相似に迫る夕闇
姫、か。
アークは心の中でそう呟いた。
ちょっと前、冗談で口にした時に随分と狼狽えていたようだが、そういう訳か。と得心がいくのと同時になぜと言う疑問も生じる。
アークでも知っている。普通、それは国中から羨ましがられて当然の立場だ。この国で一番の地位を持っている者と言っても過言じゃない。……確かに、その地位になりたいかと言われたら首を横に振るが。
「……で? その姫様が性根が似てるってだけで俺なんかに興味を持ったってのか?」
「姫、と呼ぶのはやめてほしいな。特に君には。できればアルテと呼んで欲しい。姫と言う立場なんて、私にとっては捨て去りたいものなのだし。」
「贅沢だな。」
「自覚はしているよ。だけど、それは君も同じだろう?」
「俺だったら、すぐ出て行くけどな。」
「か弱い乙女に酷なことをいうな、君は。それになかなか血縁と言うものは縁を切りにくくてね。例え城を飛び出したとしてもすぐに連れ戻されるのが関の山だ。仮に自由になったとしても、王族の血縁者相手に何も感じない人間なんて普通いない。
特に私は、ね。これが上の兄上だったらその聡明な頭脳と器の大きさでもって誰しもに好かれるだろう。下の兄上だったらその抜きんでた武でもって慕う人間は多い。でも、ただの小娘でしかない私は姫という肩書くらいしか持っているものがない。
結局どこに行っても私は姫と言う肩書でしか見られない。アリア・アルテ・フォン・フェルラーテという人間はただのアルテにはなれないのさ。
―――でも、君なら。君なら私をただのアルテとして見てくれるだろう?」
今日一日、君を見ていてよく理解できたよ、と語りながらアルテはアークに近づき、手を差し出す。
「確かに、私一人じゃすべてを捨てるなんて決断、できなかった。でも、もし、君がこの手を取ってくれるなら―――私は全てを捨てて、どこにでも行ける気がするんだ。例え、このまま二人で国を出るのだとしても、君と一緒なら喜んでこの命を捧げるよ。」
「は! 冗談も大概にしとけよ。なんでお前とそんなことしなきゃなんねえ。」
「うん? 割と本気なんだけどな。君が傍にいてくれるなら、私はなんだってするさ。」
感情の籠っていない金色が、再びアークを射抜く。
その目が、どうにもアークは受け付けない。その金色の双眸が向けられると、どうにも上手くしゃべれない。
恐怖? 畏怖? まるで違う。
ともすれば、魅入られてしまうほど。その目に、魅力を感じている。
思わず頷いてしまいそうになる。何も考えずにその手を取ってしまえと心の中のアークが叫ぶ。そうしないのは―――過去の自分全てを否定することになるから。
「まあ結論を急げとは言わないよ。私が私を見てくれる誰かを欲したように、君にも譲れない物があるんだろう?」
「うるせ。」
「まあ、私はいつでも君を歓迎するよ。あと半年たっても結論が出ないようなら、私のところに来ても良い。君が結論を出すまで付き合うというのも悪くないしね。
ただまあ、今日のところはもうしばらく過去を懐かしむのもいいじゃないか。」
◆ ◆ ◆
「さて、そろそろ帰ろうか。もうだいぶ日も傾いてきた。」
「いや帰らん。せっかくここに来れたんだ。もう戻る必要もねえ。」
「ちょっと、それは困るな。公爵家から引き抜くならともかく、ただの孤児を側仕えにするのは無理がある。」
「冗談だっつの。さすがにな。」
西日が差し込み、二つの長い影が壁に映る。二人はずいぶんと打ち解けたようで、影の間は非常に小さい。
あれから一時間ばかり、二人はたわいもない話を楽しんでいた。アルテの姫としての暮らし、アークの孤児院での思い出。たった一時間ではあるが彼にとって過去と未来の折り合いをつけるのに必要不可欠な時間で―――幸か不幸か、彼にとってはこの孤児院での思い出を振り返る最後の機会になる。
だが、そんな緩やかな時間は終わりを告げる。
陽も落ちてきて帰り支度を、と思った時のことだった。
孤児院の入り口から聞き覚えのある三人組の声が聞こえてきた。
「兄貴ぃー! ホントにガキどもが帰ってきたんですかぁ?」
「さあな。中に入るのを見たやつがいるってだけだし、案外ただの物取りかもしれねえ。ただまあ、どちらにせよ……見せしめをやれ、とのボス直々の命令だ。この『鋼斧藍獣』にたてついたら、どうなるかってのな!」
◆ ◆ ◆
「あれ、アークくんじゃん。そっちの嬢ちゃんは……見たことないな。」
「どうでもいいっすよ、兄貴! さっさとやっちまいましょうぜ!」
夕日に照らされた孤児院で、アークは三人組―――『鋼斧藍獣』の下っ端と対峙する。
「……なんの用だよ、お前ら。ここにはもう、金目の物なんてなんもねえぞ。」
「いやぁ、そうだねえ。アークくんたちが逃げてくれちゃったおかげで、こっちは随分と大損だよ。まったく、なめた真似をしてくれる。」
肩をすくめながら、歩いてアークに近づいていく。そして―――
「だからまあ、こうしてボコって、落とし前つけてもらわなきゃなぁ!」
思い切り、アークを殴りつけた。
大人と子供、体格差も相まって数メートル以上吹き飛ばされる。打ち所が悪かったのか、頭から血を流し倒れ伏すアーク。
「アーク!」
「へいへい、嬢ちゃんはこっちでおとなしくしといてもらうっすよ。」
「っ! 放したまえ!」
アルテが駆け寄ろうとするも、その腕を掴まれ動けない。
「おいおい、あんまり乱暴に扱うんじゃねえぞ。傷があると高く売れねえだろ?」
男はそのまま倒れ伏したアークに近づき、髪を掴んで持ち上げる。額から流れる血が目に入り、アークの視界が赤く染まる。そればかりか、眼から溢れ流れる血は頬を通り、水滴となって地面に落ち模様を描く。
「俺たちがよぉ、お前らに優しくしてやってたのは、あくまでお前らが従順な金づるだったからだ。そもそも、最初から暴力で言うこと聞かせてやっても良かったんだぜ?」
滲む視界と殴られた衝撃で朦朧とする頭。アークは無抵抗で男の言葉に耳を貸すことしかできなかった。
「チッ、なんも言いやがらねえ。ガキ相手に強く殴りすぎたか?」
「放せっっ! アークが死んでしまうだろう!?」
「うるせえなぁ。……おい、とりあえず黙らせとけ。」
「むぐぅ!」
「ったく、女ってのは口うるさくてかなわん。おい、起きろ。お前には聞きたいことがあんだよ。」
男はペチペチとアークの頬を叩く。言葉通り何やら尋ねたいことがあるようだ。
「……うる、せえ。」
「あんだよ。口きけるんじゃねえか。で、なんだって?」
「お前らと話すことなんて何もないってんだ……!」
かすれた声で、啖呵を切るアーク。
「ははっ、この期に及んでまだなめた口きけるとはな。もう一回ぶん殴られてえのか?」
「……。」
「チッ、めんどくさいヤローだな、お前。いいか、お前がこのまま黙ってるっていうんだったら俺ぁお前を殺す。死なせてほしいって思うくらいに痛めつけてからな。
そうなりたくなかったら―――俺がこれからする質問に正直に答えろ。そしたらてめえの命だけは助けてやんよ。」
「さあ、この孤児院にいたガキども―――お前含めてな。どこに身を隠してんのか、しっかりと教えてもらおうか?」




