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空虚な心は豊を拒む


 次の日のこと。

 いつもならば人通りのほとんどない、孤児院の前が何やら騒がしい。見れば、このような狭い寂れた通りに場違いなほどに豪華な馬車が来ていた。


 周りに住むボロボロな服を着た人間が何事かと飛び出してきては、馬車を守っている騎士に追い払われている。

 そしてこの馬車の目的地は―――ここ、アークたちの住む孤児院だ。


 門の前で馬車が止まると、一人の騎士が伝令役として来訪者の名を告げる。


「控えぃ! 恐れ多くもここにおわすはクレバドール公爵様である!

 要件はここオルトリッチ孤児院の視察だ! 早急に責任者は出てくるがいい!」


 そうして手にしていた槍を地面に打ち付け、ドンッと音を鳴らす。同時に馬車の扉が開き、中から熊のように巨大な偉丈夫が現れた。

 枯葉色の地味な色合いの服に身を包んでいるものの、細部には細かな意匠が刻まれ高級品だと分かる。服装だけを見れば高貴な気品漂う貴族だ、ということを疑う者はいないだろう。

 しかし、その服から覗く手足、首元。そこに付いた筋肉と歴戦の傷跡は別の意味で只者ではないと感じさせる。極めつけにその眼光はまるで獣のように鋭く、一瞥しただけで大抵のものは恐怖で震えあがるだろう。


 現に、遠巻きに野次馬していた者たちは彼が姿を見せた瞬間散り散りになり家に閉じこもり、ある者は白目をむいて気絶までする有様。

 その相貌が実際に向けられた孤児院の中など、もうてんやわんや。通りのにぎやかさにすわ何事かと窓に張り付いていた子供たちはその顔まっすぐ見てしまった。


 幼い子供たちは例外なく泣き始め、一回り大きな子たちも身を寄せ合って震えるばかり。フィオナも腰を抜かしてへたり込む有様である。


 なんとか動けるのはアークだけ。

 仕方なく―――本当は彼も恐怖で身がすくみそうなのだが―――孤児院を出て、ひきつった笑みで大男と対峙する。


「―――? お前は、ここの子供か?」


「そ、そうだ。 いったい何しに来たんだよ。」


「言ったはずだ、視察だと。お前たちに危害を加えるつもりはない。そう怖がるな。」


「そんな顔で言われても信用できっか!」


 言葉こそ優しいものの、あんまりの剣呑な表情と雰囲気に思わず声を荒げてしまうアーク。

 アークの出した大声―――そして暴言ともとれるその言葉に背後に控える騎士が一斉に殺気立つ。


「貴様ぁ! 公爵様を愚弄するつもりかぁ!」


「―――よ、よせ。俺は決して傷ついたりなどしていない。」


 と制止する大男だが、アークの言葉に存外ダメージを食らったようだ。少し足元がふらついている。

 

「と、とにかくだ。ここに少なくとも一人は大人がいるはずだ。その人を連れてきてほしいのだが―――。」


 たしかに、孤児院にはアークたちの母がわりとなってくれたマザーがいる。だが―――


「マザーなら出てこれねえ。話なら俺が聞く―――それじゃダメか?」


「なぜ出てこれん。」


「長いこと病気にかかってんだよ。動けねえんだ。んでもって俺がこん中で一番年上だ。だから話なら俺が聞く!」



 アークが孤児院の中に入れようとしないのを見て、大男はため息を一つ。このままアークと話し続けても意味のない問答が続くと感じたのか、強硬手段で孤児院の中に押し入ろうとする。

 そうはさせないと、行く手に立ち塞がろうとするアークであったが。



「孤児院に手は出させねえかんな!」


「……はぁ。らちが明かん。仕方ない。―――コイル。」



 言葉とともに大男の背後から現れた初老の騎士によって、あっという間に拘束される。



「すまない。だがこれは君たちのためでもある。そこでおとなしくしていてくれ。」



 そして悠々とのっそりとした足取りで孤児院へと入っていく大男。

 アークはそれをただ眺めることしかできなかった。



 


「あっ、クソ! 待て、放せコラ!

 この嘘つき野郎! 皆に手出したらぜってえ許さねぇかんなー!」



   ◆ ◆ ◆



 その後、中でどのようなことが行われたのか、外で拘束されていたアークは知らない。

 ただ中から暴れるような物音はせず、子供たちは全員無事に出てきた。が、唯一彼らの面倒を見てくれていたマザーが姿を見せることはなかった。


 結果だけを見ればオルトリッチ孤児院は解体、アーク、フィオナ含む以下17名の子供たちはクレバドール公爵家にて保護されることとなり、彼らからお金を巻き上げていた『鋼斧藍獣』は資金源を一つ失うことになった。


 そして保護されたアークたちは何をしているかというと―――クレバドールのお屋敷で使用人見習いとして働いていた。



   ◆ ◆ ◆



「フィオナ、どうだ? ここでの暮らし。」


「いや~、最高だよね~! 制服も良いやつだし、ご飯は賄いって言っても高級食材だし! 端っこの方とは言えお肉食べれるんだよ? 昨日はお砂糖なめさせてもらったし……!

 公爵様が踏み込んできたときはどうなることかと思ったけど、勇気だせてよかったよ~。」


 二人は中庭の木陰に座り込んで話し込んでいる。

 使用人見習いであるがゆえほとんど休憩時間もなく、二人がこうして落ち着いて話をするのは屋敷に来てから初めてだ。

 見ればフィオナの顔は非常に生き生きとしている。孤児院での生活も最底辺と言うほどひどくはなかったが、それでもここでの生活に比べれば雲泥の差だ。フィオナが特段はしゃいでいるという訳でなく、歩くのも精一杯という子供も含めてその全員がここでの生活を甘受している。


 唯一アークを除いて、であるが。


「そうか……。俺はここでの生活好きじゃないな。」


「え!? なんで!? あ、ひょっとして乱暴されたことに怒ってるの? あれはしょうがないよ~、お貴族様だもん。」


「違うわ。」


「じゃあ……なんで?」



 フィオナの問いかけに対して言葉に詰まるアーク。

 正直、彼自身もなぜそう感じるのかは分かっていない。だが今の満たされた生活と前の孤児院での生活を比べて、前に戻りたいと感じる自分がいるのは確かだ。


 生活自体に不満があるわけではない。

 貴族の屋敷ゆえに、そして新参者であるがゆえに忙しい日々を送ってはいるものの、孤児院での先行きが不透明な生活と比べれば今の生活がずっと良いものであるのはアークだって理解している。

 新参者である自分たちを不当に扱う者もおらず、無茶苦茶にこき使われることもない。


 満たされているはず―――けれど、物足りない。




「男は仕事忙しいとか?」


「そっちと大差ないし、なんなら孤児院いた時の方がチビ達の面倒見なきゃいけない分大変だったわ。」


「仕事全然覚えれないとか。」


「むしろ覚えるの早いって褒められるくらいだが?」


「なんなのよ!? というかそもそも、私達に行き場はないんだし慣れるしかないじゃない。」


「いや……俺は来年の春になったらここを出て行くつもりだ。話はつけてある。」




   ◆ ◆ ◆



「ここを出て行きたい、か。こちらとしてもやる気のない者を置いておこうとは思わん。」


「そっか。じゃ、すぐに荷物をまとめて出て行く。俺みたいなやつはいねえだろうし……他のみんなはよろしく頼むぜ。」


「待て。ここを出て行くというが、そのあとはどうするつもりだ。」


「ん?」


「働くアテはあるのかと聞いているのだ。」


「なんも考えてねえ。まあ適当にやるつもりだ。」


「……そんな奴を放り出せるか。時間はやる。最終的に出て行くにしても、今後の身の振り方くらい考えてからにしろ。」



   ◆ ◆ ◆



 と、まあ。大体このような経緯を経て半年ほど時間の猶予をもらったアークだった。

 出ていくつもりだとアークが告げた後、かなりゴネていたフィオナだったが、アークが意思を曲げないと理解したのか、もしくは諦めたのかその事については口をつむぐ。



「でも、正直なーんも思いつかねえんだよなぁ。孤児院にいたころはできるかどうかはさておき、それなりにやりたいことはあったはずなのに。」



 だが、流石にこの物言いには呆れたように言葉が飛び出る。


「じゃあ、せめて働きなさいよ。免除されたからって別にやっちゃダメなんてルールないんだから。」


「それとこれとは別の話だろ……!」


 こうしてゴロゴロしているよりかは、働かされている方が幾分マシだった。そう思いながらもやる気は起きない。


「せめて外に出られればな。『鋼斧藍獣』だがなんだか知らないけど、関わらなくなってもまだ迷惑をかけるとは。」



 王都の影を支配する『鋼斧藍獣』。ここ十年で急成長した犯罪組織であり、金と暴力によって王都のならず者をひとまとめにしている。騎士団の調査ですらその実態をつかむことはできず、ただ一つ分かっているのは頭目の異常な強さだけ―――それも、派遣した騎士が無残な死体になって帰ってきたという事実のみ。

 かなりの大勢力であるソレは、資金源を一つ潰したからといって弱体化するようなものではなく、むしろアークたちに報復を考えていないとも限らないので、彼らは公爵邸の敷地から出ることを禁じられている。




「まあでも、外に出たって特にしたいこととか思いつかねえけど。」


 そんなことをつらつらと考え、アークは答えの見えない思考に沈んでいくのだった。

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