04 どうやら転生したようです
おはようございます。
私、米沢芹那 活字と漫画とゲームをこよなく愛する負け組喪女、享年32歳
どうやら転生したようです。
現在の私は、ディアナ・クラニティス15歳
王立魔法学園に在学中の公爵令嬢らしいですよ!
なんと、公爵令嬢!魔法学園!
ファンタジーかッ!
ネット小説で散々読んだ転生モノだけど、まさか我が身に降りかかるとは、お釈迦様でも気づくまい。
大事なことなので、もう一度言いますが、公爵令嬢!魔法!ファンタジー!
「……ハァ…マジかァ…」
ベッドの上に身を起こし、ふっかふかのクッション背を預けながら己の手を見る。
「じっと手を見る…って石川啄木かッ!」
この世界では誰も理解することがないツッコミが虚しい。
隅から隅まで入念に手入れされた白く繊細なこの手…働いたことなんてあるわけないネ、この手は!
グーパーグーパー閉じたり開いたり、右手、左手と順に動かし、再びため息を吐く。
「ハァァァァ……」
私の中で芹那の意識が戻ったあの日。
気絶しました、人生初の気絶。
ふうっと意識が遠くなる感覚、一回経験すればもういいです。
気が付いたらやたらと広いベッドの上でした。
精神的疲労の所為なのか、発熱してしまいそのまま寝込み今に至ります。
やっと熱も下がって、我に返ればとんでもない現実が待っていました。
異世界転生。
体はもちろんディアナのものだけど、今の私が芹那なのか、ディアナなのか。
若干芹那の意識が勝ってるような気がするけど、ディアナが消えたわけではない。
芹那であり、ディアナである。
両者が一つの体の中に混在して境目がなくなっているような感覚。意識だけでなく記憶もそう、どちらの記憶もあるようでないような。
完全には思い出せないけど、決して消えてしまったわけではなく、言うならば、引き出しの奥にしまわれていて場所が分からなくなってしまった状態。
15歳のディアナ。なぜ今になって芹那の意識が覚醒したのかは分からない、けど…
「ハァァァァァ……」
ため息を吐くと幸せが逃げるとかいうけど、
ため息なんかついてもどうにもならないけど、出てしまうものは仕方ない。
「なるように、なるか……」
どうにもならないなら、受け入れるしかないよね。
無理矢理にも前向きに考えてみる。
幸いにして五体満足、行動に制限はありそうだけど、衣食住は保障されていてる『お嬢様』だ。
サラリーマン家庭に育った生粋の一般庶民にはかなり厳しいけど、
お嬢様、お貴族様といっても人間だし、大丈夫、うん、どうにかなるさ!
考えてもどうにもならないことを悩むのは苦手。
軽く頭を上げ、目を閉じて気持ちを切り替える。
覚悟を決めた私の耳に控えめなノックの音が響いた。
「失礼します」
重そうな木製のドアを開いて姿を現した侍女が一礼をしてこちらに歩み寄ってくる。タオル、水差し、洗面器の乗ったトレイを手にしている。
ベッドの脇のサイドテーブルにトレイを置くと、私の様子を見るように屈みこんだ。
「お加減はいかがでしょうか?」
「ん、大丈夫」
「それはようございました、けれどまだお顔の色がすぐれませんね」
心配そうに眉を寄せて顔を曇らせるメイドさん(仮)。
彼女、ルシィは私付きの侍女で、幼い頃からそばにいて何くれとなく世話を焼いてくれる姉のような存在。
ちなみ従僕さん(仮)は本当に従僕でした。正しくは幼馴染兼従僕のカイ。ルシィと同じく幼い頃から一緒にいる兄のような存在である。
「そうかしら?」
「そうですよ、熱は下がったばかりですし、ご無理はなさらないでください」
私としてはいたって元気なつもりだけど、傍から見れば違うのだろうか?
きゅっと絞った冷たいタオルで汗ばんだ私の体を拭きながら自制を促され、思わず首を傾げる。
まぁ、大人しくしていることについては吝かではない。
ディアナであり芹那である私だけど、何しろ記憶が完璧ではないのだ。
抜け落ちている部分を埋めるためにも情報収集をしなければならない。
いきなり学園に戻されても戸惑ってしまうし、まずは自宅で出来る範囲から始めた方がいいかも。
とりあえず、体を拭いてくれるのはありがたいけど、熱が下がったならお風呂に入りたい。
「旦那様もキアラン様もそれはそれは心配していらっしゃいましたよ」
「お父様とお兄様は?」
「旦那様はもうお出かけになられました、キアラン様はお食事中のはずですが、先ほどお嬢様の様子を訊いていらっしゃたのでそろそろお見えになるのではありませんか」
ボーっと考えながらなすが儘になっていると、手早く清浄を終え寝衣を整えてくれたルシィはこちらに向かってくる足音を聞きつけて笑みを浮かべる。
「噂をすれば…いらしたようですね、キアラン様」
心得たように退室していくルシィに呼びかけられた男性は二言三言言葉を交わしてから、入れ替わるように入ってきた。
「おはよう、ディア、私の天使」
うぉ!眩しい!
少女漫画なら背後がキラキラと光り、花が舞い飛ぶような笑みに目が眩む。
つやっつやでサラッサラ、文学的に言うならば烏の濡れ羽色の髪。
どこまでも蒼く、空の色を映した氷河を思わせるアイスブルーの瞳。
猫のような瞳はけぶる睫毛に彩られ得も言われぬ色気を醸し出している。
ともすれば冷たい印象を与えてしまいそうな怜悧な美貌の青年は、柳眉を下げ、形の良い薄い唇で弧を描き、白皙の面に綻ぶような笑みを湛えている。
とろけるような甘い声で囁きかけるこの人は…
「おはようございます、お兄様」
キアラン・クラニティス。
クラニティス公爵家の跡取りであり、なんと!私の本物の兄である。
お兄様は滑るような足取りでベッドに近づくと上半身を屈めて、私の瞼にキスを落とした。
(ひぃぃぃ……)
洩れそうになる悲鳴を飲み込んで、引きつりそうになる顔を笑みで取り繕う。
ディアナの感覚では普通なのかもしれないけど、控えめな愛情表現を是とする日本人感覚をもつ芹那の意識が覚醒した今、この行為は受け入れ難い。
身を固くした私に、お兄様はちょっと首を傾げると、そのまま私の頬に両手を添え、額をコツンと合わせた。
(ちょっとやめてぇぇぇ)
兄なのはわかっているけれど、いくら何でも接触過多でしょう!!
漫画だったら顔一面に赤面を現す斜線と頭の上に湯気の効果を入れる場面だ。
32歳の喪女には刺激が強すぎる!
いや、今は15歳だけど?ともかく離れてほしい!
「熱は下がったと聞いたけれど、まだ具合が悪そうだね?」
先ほどまでの笑みを消し、愁いを浮かべたその面には何とも言えない色気が漂っている。
そもそもお兄様は無駄に色気が有り過ぎる、そんなもの妹に振りまいてどうするんだか!
あたふたする私の心を知ってか知らずか、お兄様はベッドの上に投げ出している私の手をそっと握ると指先に口づけてから、掛布の中に戻す。
「指先が冷たいね」
(なーぜーにーいちいちキスをするぅぅぅぅ)
続いて並ぶようにベッドに腰掛けると、ヘッドボードに身を預け、背後から掛布ごと優しく抱き込んでくる。
(ひぃぃぃ、離れて!離して!)
「具合が悪いなら無理をしてはいけないよ、ゆっくり休んで……」
まるで恋人にするような甘い囁きを耳元に落とされて、思わず肩を震わせる。
「寒いの?」
(寒くないっ!寒くない!いや別の意味で寒いですぅぅ)
心の中のツッコミは声にならない。
「ほら、こうしていれば温かいよ」
背後から回された手に力がこもる。
うっとりと目を閉じ、私の肩にあごを乗せる兄。
確かに温かい、温かいけど、これがこの世界では普通なのか?
恋人じゃないよね?兄妹だよね?家族間のスキンシップがこのレベルなの?
芹那的にはNGだけど、ディアナ的にはこの接触は多分普通、普通なんだ…よね?
うん、私の中のディアナはこの状況を平然と受け入れている、だけど…。
美貌の兄の体温を背に感じながら、本当にこの世界でやっていけるのか、不安が募るいっぽうだった。