11 目覚める前に
キアラン視点
診察を終えた医者を見送り、王宮にいる父へ知らせを飛ばす。
一通りの処置を終えた後、何があったのかとカイとルシィに問いただせば、カイは力なく首を振り、ルシィは辺りを憚るように目を伏せた。
(人前では憚られるようなことがあったというのか)
「ここは大丈夫だ、皆ありがとう、持ち場に戻ってくれ」
私の言に侍女たちはそろって一礼し、部屋を退出していく。この場に残ったのは、意識の無いディアナと私たち三人だけだ。人払いをした後、改めて二人に向かう。
「教えてくれ、何があった」
「俺にも分かりません、様子がおかしいなと思ったら突然倒れられて…」
突然…いきなり意識を失った?
私を見ていたカイがルシィに向き直る。
「ルシィ、知っているんだろ、お嬢様に何があったんだ」
「……」
「お嬢様と一緒にいたはずだ」
カイの声は固い、抗するように黙り込むルシィに尚も問いかける。
「ルシィ」
自分でも驚くほど低い声が出た。
肩を震わせたルシィは手元に落としていた視線を上げた。
一瞬、グレイの瞳に逡巡の色が浮かぶ。
「キアラン様、カイ…」
二人に問い詰められたルシィは観念したように話し始めた。
* * * * * * *
眠るディアナの傍らに座り、顔を見つめる。
青白かった頬には血の気が戻っている。回復したわけではない、発熱のためだ。
息は浅く、うっすらと開いた唇から漏れる呼気は熱を帯びている。
(一体、何があったというのだ)
ルシィを信用しないわけではない、けれどその話は俄かには信じ難かった。
年齢相応に子供っぽいところがあるマティアスは、ディアナに対して素直とは言い難い。けれど、傷つけるようなことはしないはずだ。マティアスとディアナの婚約は政治的な配慮や、マティアスの生母であるロザリンド第二妃の意向によるものが大きいが、マティアス自身が望んだものでもあった。
正直、私自身はこの婚約について快く思ってはいないが、マティアスは確かにディアナを好いている。考えたくもないことだが、いずれは嫁に出さなければならないのならば、クラニティス公爵家の力を目当てに縁を持ちたいと考える男よりも、ディアナ自身を好いているマティアスの方が大事にしてくれるだろうと考え、飲み込んだのだ。
(…なのに、何故)
何故ディアナをないがしろにするようなことをしたのか、考えれば考えるほど不思議であり、マティアスの軽はずみな行動がディアナを傷つけたのかと思うと抗しがたい怒りが湧いてくる。
「ん……」
寝返りを打ったディアナが苦し気に息を吐く。汗ばんだ額に手を伸ばせば、ディアナを苛む熱が伝わってくる。
(熱い……医者だけでなく回復魔法の使い手も呼ぶべきだったか)
水属性の魔力を有する者は多くいる。だがその中でも高位とされる癒しの力を持つ回復魔法の使い手は希少だった。クラニティスの血は月の神に属する闇属性に長けるが、水属性の魔法は得手ではない。苦しそうに浅い呼吸を繰り返すディアナを前にして、私はどうすることもできない。己の無力さに歯噛みするしかない。
それでも、ただいたずらに手を拱いてる場合ではない。医者が処方していった熱さましの水薬を飲ませようとするが、意識の無いディアナには難しく、唇の端から零れてしまう。
数瞬の逡巡の後、水薬を口に含む。ディアナの上半身を抱き寄せると、唇を合わせ、舌を使って口内に送り込んだ。わずかに喉が動き、薬を嚥下するのを確認する。続いて二口、三口と送り込む。十分な量を飲み込むのを確認し、唇を離した。
* * * * * * *
「…大分落ち着かれたようですね」
いつの間にか眠ってしまったようだ。静かな声に顔を上げれば、隣に立つソフィーがほっとしたような顔でディアナを見ていた。
改めてディアナに目をやれば、その顔は穏やかで、呼吸も落ち着いている。
「まったく、坊ちゃまの方が病人のような顔色ですよ」
ディアナから私に視線を移したソフィーは腰に手をついて、呆れたような顔をする。
「坊ちゃまはやめてくれ」
「お嬢様のおそばにいたい気持ちはわかりますが、ここは私に任せて休んでください」
「いや…」
多少は落ち着いたといえども、今はディアナの傍を離れたくない。
「お嬢様が目を覚まされた時にそんなお顔を見せるつもりですか」
動こうとしない私にソフィーが大袈裟に眉を上げる。
「睡眠はもちろんですが、ちゃんとお食事もなさってくださいよ、その顔色をどうにかしない限りお嬢様には会わせませんよ」
焦れたソフィーに追い立てられ、重い腰を上げる。
主家に対して不敬ともいえる行いだが、侍女頭であり幼い頃から私とディアナの母代わりだったソフィーには頭が上がらない。ぼっちゃまは勘弁してほしいが、この気安さを私は確かに嬉しく感じている。
「ソフィーには敵わないな」
「さあさ、お休みになった後には温かいお食事を用意しておきますからね」
仕方ない、夜明けまでにはまだ間がある。一眠りして朝食をとってから戻ってこよう、出来るならディアナが目覚める前に。