9.沌惑
…えー、コホン。ではこの辺で、俺が多用している戦職技能『意思疎通』と『交渉』について一講。
『意思疎通』は『魔物使い』が最初から取得している技能で、相手と自分、お互いの感情を伝え合う事が出来る通信技能だ。怒りや悲しみ、喜びと言った簡単な心情しか伝え合えないが、嘘偽りなく互いの気持ちが分かるという利点がある。
『交渉』は『獣爵』レベル10で取得可能な技能で、精神言語で互いの思考を言葉として伝え合う。
これによって『意思疎通』よりも複雑な要求のやり取りが可能となり、自分よりも格上の魔物に媚びを売って塒の傍を通してもらうなどという使い方もできる。もちろん、従属や支配も『意思疎通』とは比べ物にならない程に捗るし、従属種族数が戦闘能力にかなりのウェイトで関わってくる『獣爵』としては必須級技能だな。
ただし、表層意識に思い浮かべた言葉が相手に伝わってしまうため、慣れないと余計な意思が疎通されてしまうので要・練習だ。
ちなみに双方共に半永続技能であるためにMP消費は無く、必要な時に必要な時間だけ発動させられる上に重複可能という利点もある。
まあ、シゴウとゴゴ、エドワースが人間の連邦共通語を習得してたのにはびっくりしたけどな。
あ、ちなみに連邦共通語というのh「やぁあああん!遠くを見つめる瞳、ステキー!!」「綺麗に撮れた!ロック画面にしよっと」「あ、すごい上手ー!私にも送ってよー」
うお!?なんだ、閃光か?樹女精ってフラッシュとかの技能使えたんか!?ロック?鍵をかける??…何を言ってるんだ…
……
「…なあ、こいつらって、普段からこうなのか?」
「まさか。私も初めてですよ、こんな光景は」
必殺現実逃避・技能解説編が黄色い大海嘯に呑まれて盛大に失敗した頃合に、くたびれた声でエドワースに問う。
「もっ…ダメぇ!儀式の最中は全身全霊で我慢してたけど、もうご本人を目の前にしたら…ごめん、ちょっと俺トイレ」
「お、俺も厠に…」
髭の生えた蛙やら、筋骨隆々の牛頭やらがあくせくと部屋の奥の扉に殺到する。
うお、あんなプリプリした尻…ハッ!?
「ウ ォ ル ド」
キリキリと、油の切れたカラクリ人形のように視線を落とせば、胸元に爪を食い込ませる仔竜が。顔全体が笑ってる。瞳の奥だけが笑ってない。眉間に皺。怖気が立った…
俺は、何も言えずに引きつった苦笑を送るだけで精一杯だった。
そうだ。ゴゴの話の一つは、これだったのだ。
俺が前代未聞な程に魔物ウケする容姿の人間で、同盟諸氏達が良からぬ視線で俺を見ているというのだ。
そこでシゴウは、俺との相思相愛ぶりを諸氏族に見せつけて妙な気を起こさせないためにわざと俺に封玉の内容を教えなかった、と。
結果はシゴウの思うまま。俺の本心からの行動は諸氏の心を打ち、あちらから俺に手出しをする気配はなくなった。
ご覧の通り、手の届かぬ信仰対象と化したウォルド=ゴウクの誕生だ。
…が。
このタイミングで先手を打って俺にこの事を話しておかなければ、逆に俺からあちらにアプローチをかける可能性が無くはない。ゴゴが俺の胸元から離れようとしないのも、俺に対する牽制と哨戒の意味なんだろうと思う。
…まあ、そこまで独占したい程好いてくれる奴なんて今までいなかったし、色恋なんぞ俺には無縁だと思ってたからな、気分としては悪くない。
ちょっと、引っ掻かれた胸が痛いくらいで。
頬を掻き、なるべくゴゴと氏族達を気にしないように上座へと進むと、すでに置かれてある籠には色とりどりの果物が。
ほとんど人間社会でも流通しているような物だったのには驚いたな。
このあと盟主の挨拶だとか乾杯だとかさせられるんかな…あんま人前で話す機会とかなかったから嫌なんだよな…
真っ赤な球体…林檎を手に取ると、ゴゴが腕をよじ登ってくる。シャクシャクと小気味の良い咀嚼音が聞こえてくるが…こいつ、産まれたばっかなのに歯ぁ生えてんのか?
俺も負けじと真紅の表皮に歯を立てた瞬間だった。
『緊急警報!D-6にて知の猿確認!!周辺の監視記録に予兆なし、突如出現したものと見られる!!』
ざわり…今まで蜂の巣をひっくり返したような大騒ぎだったものが、水を打ったように静まり返る。
『知の猿』とは、魔物側から言う人間の総称だ。前に何度か『交渉』で聞いた事がある。
「クマル、映像は出ますか?それと、撮影時刻も分かれば」
テーブルに巨大な本を生み出しつつ、静かだが凛とした張りのある声を放つエドワース。
『撮影基は53番、時刻は一時間ほど前です。映像転送完了、出力どうぞ』
巨本の捲られたページから薄青の光の玉が生まれ、浮かび上がったかと思うと、間近にあった部屋の壁に長方形の縁取りが映し出される。
「…これか、数は…四。D-6の53番で一時間前と言うと…この城を目指して進むなら、あと一時間ほどで到達しますね」
そこには、何も無い空間から人間が現れる有様が映っていた。そしてーー
ロメロ…ルザーナ、スメネ!
危うく声に出しそうになり、口を塞いでいた林檎に感謝した。
知った顔の仲間…一年前、俺が殺した…勇者、僧侶、魔法使い…四人目、もう一人は見た事のない人間だ。半身盾と片手剣…そして全身の大部分を覆う金板鎧。騎士か聖騎士だろうか。
皆が皆、顔が緊張に貼り付いており、慌ただしく道具袋を漁っている。同時に、僧侶…スメネが何らかの魔法の詠唱に入った。
魔法使いルザーナが取り出したのは小さな噴霧器。仲間達全員に行き渡るように霧を吹くと、勇者ロメロも皮袋からきらきらと輝く硝子の粉のようなものを同じように振り撒く。
即座に彼らの姿が掻き消えた事からも、これは恐らく『不可視の粉』だろう。
となると、噴霧器の中身は『不可嗅の霧』だろうな。
さらに、詠唱しているのは…『不可聴恵』で間違いないだろう。魔物が人間を探知するとされる視覚、聴覚、嗅覚の三大知覚を消す事で安全に移動する方法だな。
ただし、どれも効果時間は限られているから、このように掛け直しの際は細心の注意を払いつつ素早く行わなければならない。
「知の、猿…」
誰かが発した声が、水面に落とした水滴の様に波紋を呼ぶ。耳に、ではなく肌に、空気のざわめく感触が届く。視線が、集まってくる。
困惑、畏怖、疑念…奴らが俺の仲間だった人間達とは知れていないはずだから、単に俺と侵入者が同族だった事に対してだろうな。
まさかとは思うが、俺の手引きでは…という疑いの空気だ。
俺の様子を横目で伺うと、エドワースが冷静に声を張る。
「予想進路はこの城で間違いないでしょう。この映像からするに、彼らは何らかの不知覚処置を繰り返して接近しているものと考えられます。近隣の盟族はA、B、C-6に直線集結、知覚看破能力を有する氏族を派遣し、彼らの進路を阻害してーー」
右手で、エドワースの言葉を止める。
「いや、逆だ。近隣の盟族は当該地区を避けるように距離を取れ。もし下手に探知に成功して戦闘となり、相手が勝てば経験値をくれてやる事になる。となれば、どんどんこちら側の犠牲が増える。レベルが上がれば討伐も困難となるしな」
「しかしーー!」
言いかけた魔書の精に、微笑みで返す。
「三大知覚程度なら、俺が暴ける。すまんが城のエントランスを借りるぞ」
腕にしがみついたまま成り行きを見守っていた我が盟主を、テーブルに下ろす。
「俺が行こう。その『知の猿』の流儀でお前達の信頼を得てみせる。俺の正当性を立証するために、監視基…『静観の巨眼』を配備し、俺の挙動をこの部屋に映してくれ」
ざわり…今度は動揺が空間を支配する。
逆に俺の脳みそは、自分でも驚くような速度で回転を始める。
「もし俺が負けるようなら…なるべく時間は稼ぐ。少しでも長く戦って、お前達に情報を託す。
…その後の事は任せるぞ、エドワース」
この時、穿たれた点と点が線で繋がっていく感覚を覚えたんだ。