5.調査
「ふむふむゥ…主食は屍肉で、死んでさェいれば人間も食べる…と。生きてるのは食べなィ?あんな生臭いの喰ェない、と。そゥだよねェあハハー」
腰掛けた丸太の横で、巨大な狼が頭を垂れている。見た目が人間の魔族に、困惑しながらも緊張しているみたいだ。
「生殖は群れのボスのみに許されるゥ…メスはハーレムに集まり、それ以外のオスはハーレムの警護ォ…ふむふむゥ」
あれからひと月ほど経っただろうか。慣れてさえしまえば、俺にとっては有意義な日々が続いている。
「人間に対しては悪感情というより、縄張りに侵入したから駆逐しているだけェ…なるほどなるほど、知らないで入ってくる方も悪いよねェ」
その間の出来事と言えば…延々と、これだ。
魔爵エルドビアゴの調査とは、彼の知らない魔物の生体調査の事だった。俺の『痕跡探知』で魔物を見つけては、知ってるの知らないのと言い、知らなければ精神言語で対話を始める。対話中はお互い黙って向き合っているだけだが、俺も『交渉』を発動すれば会話の内容は分かる。さらに戦職の恩恵で経験値まで手に入る。おかげでレベルがポコポコ上がって嬉しい限りだ。
この時は不思議だったのだが、俺を不審に思って襲いかかってくる魔物がいなかったのは、やはりシゴウの話にあった「魔族は魔物の上位存在」という定義のせいだろう。
初見では警戒するものの、次の瞬間には頭を垂れ、大人しく対話に応じている。流れてくる感情に尊敬と畏怖が混じっている事からも間違いない。
「んー、やっぱァり、しばらく調査してなィと新種も出てくるなァ」
魔物は魔界に端を発するが、物質界に具現して異種交配を繰り返すと新種やら突然変異やらが生まれるものらしい。
「ほィ、ありがとー。頑張ッて生きてネー」
俺の手がひらひらと振られ、神妙な面持ちで巨大狼が去っていく。
少し意外というか…魔族の調査と言うからには、もっと血腥いものを想像していた。
「無関係じゃァないけどねェ、そーゆゥのとは。けェど、趣味と仕事は混同しちゃァ不味ィのは人間も一緒でしョ?」
仕事…ねえ?一連の行動から何となく、国勢調査とか世論調査を思い出してしまった。
「ま、そーゆゥ意味合いも無くはないねェ。けど、まあ…魔族って、趣味を全力で楽しむイキモノなのね」
微妙に薄暗く重たい圧が両肩に乗ってくる。
「ま、実益を兼ねた趣味なボクみたいな魔族ッてェ結構いるんだけどねェ…仕事と趣味はケジメ付けないとォ、だらだらしちャうでしョ?」
実益…
「ボク達の大好物てェ、負の感情な訳ェなのよねー。特に、知能のあるイキモノの感情は濃くて美味しィんだー」
つまり、趣味を存分に楽しむために仕事も真面目にするって事か…ん?負の感情…?
「怒り、悲しみ、後悔、絶望ォ…あぁ、食べたいなァー」
いや、待て。じゃあ俺も、用済みになったら…
「あー、なィなィ。キミはお気にイっちャったから、そのままバィバィだよォ。多分、そーゆゥ子の感情は食べてェも美味しくなィ」
好きな人の悲しむ顔は見たくない…みたいなやつか?
「ォー、ちョっとカッコイー。うん、まあそんなトコねェ」
なるほどな。助かった。どうせそれ人間殺したり拷問で苦しめたりして絞り出すやつだろ?
「そォそォ、良く分かってるゥ。大好きだョ…断末魔…」
まあ永遠に理解出来そうにない趣向だが、覚えてだけはおくよ。
「ウォルド君さぁ、そういや僕の事、怖がらなィよねェ…」
ん?まあ…慣れ、だろうな。
「慣ァれ?」
魔物使いからの獣爵だろ?異形やら強大な魔物やらと話し合ったり意思疎通する機会多すぎて、恐怖とかは麻痺してるみたいだ。あんたが優しいからってのもあるがな。
「あハハ、何回も言ゥけど、それはキミにだァけ」
ん、右斜め前方から足音だな。この摺り足は…単眼巨人族でも、サイクロプスか。
「あ!ピンク色の子ォ!アルビノかなァ、変異種かなァ…特殊能力持ってないかなァ!」
…仕事より、趣味に見えるぞ。魔物ウォッチングだ。
ま、まあ俺は別な所に目を奪われる訳だがな…
「んフフー、大丈夫ゥ。言っとィてァげるよォ。おッきいお尻カワイイねェって」
言うなよ!!
こいつが魔族だなんて、本当に信じられなかった。俺の体を乗っ取ったり、さらっと人を殺したりしてる部分では信憑性はあるんだが。
なんて言うか、その他の部分が普通すぎて。普通の、人間みたいだと思えて。
だから、結局このあと五ヶ月…出会いから数えて六ヶ月の間、体を貸す事になるんだが、全く苦じゃなかった。本人は魔族の人徳だとか訳の分からない事を言っていたが、今思えば照れ隠しだったのかもな。
魔王城近隣の魔物をほぼ網羅した頃合…半年ぶりに自分の体が自分の元に帰って来たんで、色々と確認しようとして冒険者手帳を開いてビックリするよな。
メイン職の獣爵はレベル75、サブ職の戦士と魔物使いはレベル50になってたんだから。『お礼はする』って言ってたから、この事か…有意義な時間を過ごせた上にレベリングまで出来て、十分すぎる礼を頂いたな。
しかし…協会からのお知らせが三ヶ月ほど前から更新されていないのが気になった。要注意魔物情報とかレベリングおすすめスポットとかの情報は、かなりの頻度で更新されているはずなのに。
俺は魔法には疎いし、確認のためだけに人間の街に転移するのも馬鹿らしい話だし、このまま魔王城に進む事にした。
別れ際にエルドビアゴが「また会ォうねェ」と去って行ったのは気になったな…いくら有意義な時間を過ごせたとはいえ、会ったらまた体貸さなきゃらんのかな…正直、もう体は貸したくない。
なにせ体を返してもらった直後は立っているのがやっとな程に違和感と倦怠感が酷くて、歩くに歩けず四つん這いで移動したくらいだったからな。例えるなら体が軋む程の筋肉痛。全身がバラバラになるかと思ったぞ…
社交辞令って線もあるが、だとしても…去り際があっさりしすぎてる気がしてな、気にはなるよな。
魔王城に入った後は、特に急ぐことも無く探索に勤しんだ。屋内でキャンプというのも滑稽な話だが、まあ、ある程度の拠点を決めて探検しながら魔物達と親睦を深めてたよな。
草食獣の干し肉は沢山作っておいたから、その辺の合成獣と分け合って喰ったり、美味い魔物を教えてもらったり。
驚いたのが、人間を主食にする魔物は数少ないという事だった。何食ってるのか知らんが、雑食の生き物は内腑が不味くて食えたもんじゃないという意見が多数。ここでもまた、見聞が拡がった。
奥の方に書庫があったので、中にいた魔書の魔物…グリモワールと言ったか?彼に日付を確認したら魔王城に入ってからすでに半年が経っていて、またさらにビックリしたよな。魔王城広すぎか…
けど、冒険者手帳の最終更新日は以前見た時のまま。やっぱ故障かね…
ほんで、あんまり緊張感もないままに豪華な両開きの大きな扉を開いたらシゴウが「よく来たな人間よ!!」って襲いかかってくるだろ?
よくよく考えたら、魔王城での戦闘ってシゴウと自動発動罠の守護巨人石像が数体くらいだったんじゃね?
魔物の親玉のくせに、何と話の通じん奴だと思ったら…まあ、その、一目惚れされちまうよな?
うん、今も俺を膝の上に載せて「あーん」を強要しているぞ。
「ウ、ウォルドや…魔物の食事は口に合わぬか…?」
今度はどっぷりと回想の海に浸かっていた俺を不機嫌と見なしたようで、魔王ともあろう者が狼狽えている。
「あ、すまん…またちょっと考え事だ。食事は美味いぞ?人間がグロテスクと思うような物もないし。ただな、出来れば一人で座って食いたいかな…って。あと…」
ちらりと横を見遣れば、ビシリと背筋を伸ばしたガーゴイルが二体。恐らく給仕係なのだろう。
「服、着て食いたい…」
いくら俺が魔王のお気に入りであれ、たとえ見られているのが魔物であったとしても、羞恥って、ございますでしょう…?