4.エルドビアゴ
シゴウには「死んだ」と言ったが、正確には
「俺が殺した」んだ。あいつらは。
あれはもう一年ほども前になるのか。この魔王城からそう遠くない森で野営の支度をしていた頃合だったな。
俺の『交渉』で強行軍を敷き、周域の適正レベルを遥かに下回る一行の野営支度と言えば、まずは周囲に聖水を撒くことから始まる。聖なる力で魔物を寄せ付けない云々と胡散臭い言葉を並べられて買い漁った時は馬鹿かコイツら…とも思ったが、これだけ有象無象がひしめき合う危険地帯で不眠番も置かずに安眠出来たのだから効果はあったのだろう。
魔王城にはさらに強大な魔物が山ほどいるだろうから、無理せずこの辺でレベリングしたらどうかと言う俺の意見は棄却。勇者の話では、装備やらアイテムやらを買い漁ったせいで財布が空になり、今の手持ちが尽きたら買い足せる資金がないから、との事。
であれば一縷の望みに賭けて、このまま『交渉』の力で魔王城を踏破、魔王と会敵、全員で俺に強化魔法を掛け、魔王と戦ってもらおうという事で合意しやがった。
後衛職の二人もやたら真剣にこの無謀な作戦を推していたあたり、恒常的な混乱にでもかかってたんじゃなかろうか?正気の沙汰とは思えない。
恐怖…まあ、その辺を散歩してる魔物に一発殴られただけで首が飛ぶ程度の戦力差だからな、正常な判断など無理だったのかも知れない。
当然、俺は拒否。いくら強化が云々と言ったところで勝算など微塵もない。
そもそもこの先、俺の『交渉』が通用し続けるとも限らん。
必死で無謀策を押し付け続ける三人と、断固として拒否し続ける俺。
魔王城近隣の夜の森で怒鳴り合いの仲間割れが始まった。本当に、間の抜けた話だ。
勇者の右手が剣の柄にかかった頃合、静かだが身の毛のよだつような響きを含んだ声が耳朶を刺した。
「おやおや、楽しそうだねェ」
怒号は瞬時にして止み、水を打ったような静けさが戻る。咄嗟に辺りを見回すも、何者も見つけることは出来なかった。
背筋に冷たい水が落ちる。同質の水が、額にも浮かぶ。
焚き木の爆ぜる音が妙に耳障りだ。
俺に向かい合う、三人の瞳が凍りつく。
半開きの口々が、言葉を紡げずに震えていた。
俺でなく、俺の後ろを見つめる彫像が三つ。
体が動かない。目だけを横にーー
「キミに、決めたァ」
妙に間の伸びた優男の声を発する鮮血を塗り付けたような唇、紅蓮の夕日のような双眸、黄金に血煙を吹き付けたような頭髪…その、浮世のものとは思えないほど整った顔が目に入った次の瞬間、視界の全てが真紅に染まる。
「キカレテルヨ」
耳でなく心から聞こえた。そう、『交渉』のような、精神言語ーー
どん…と、胸を押されたようになると、よろけて二歩ほど後退…して、いない…
体が、動いていない…
後退したのは、俺の意識。
「少し借りるねェ?キミの体…うふゥ、中々居心地が良いネ」
先程の顔が、俺の眼前で逆さまにぶら下がる。
「んふ…ビックリはしたけど、怖がってはなィ…あそこの三人とは別物みたいだねェ、キミのココロは」
紅のモノトーンは、袈裟懸けに切り伏せられた女を映す。
ーー僧侶。
徐々に滲みぼやけていく画面に、背後から剣を突き立てられた女が映る。
ーー魔法使い。
「気にイっちゃった」
片頬に細くしなやかな指が触れ、反対の頬に柔らかな唇が押し当てられる。
赤の影絵で、人型の「何か」が手足を切り飛ばされる。転がり落ちた胴体は喉を踏まれ、胸から腹までを縦一筋に裂かれる。
ーー勇者。
視界が赤で染まる。濃淡もない、ただの赤一色。何も、見えない。
手が首筋に触れ、何かをつまんだ。
右足を踏み出した感覚がある。
この仕草は…剣の露を払って鞘に収めているのか?
「ごめんねェ、誰かのカラダを借りないと、とても不便でねェ…きちんと『お礼』をするから、ちょっとだけ貸してねェ?」
耳が風を切る音を、肌が上から下に流れる突風を感じる。跳躍にしてはやけに長い。
「ァ、そうそう…自己紹介してなかったねェ」
大上段の構えから、振り下ろしつつ着地。何かしらの手応えがあった。
「ボクはねェ、悪魔。」
「悪魔ッて言ゥ言葉、すッごく嫌ィだけど、そう言うとすぐ分かッてくれるでしョ?」
反時計回りに身を捌きつつ真横に一閃。また手応え。断末魔の、耳を劈く音…人間の叫び。見知らぬ人の声。
「魔爵エルドビアゴ。よろしくねェ」
デ…ヴィル…
「んー、良イねェ…キミのカラダの具合…他の子と比べて、段違いに馴染むよォ」
全身に、四方八方から突風が吹き付ける。重力が上から下、右から左…至る所の筋肉に負荷がかかる感覚。宙返りやらロンダートやらで俺の体の順応具合を確かめているようだ。
「あー大丈夫ゥ。キミが人間として生きてくのに迷惑かかるよゥな事はしなァいからァ。ちョーっと、調査したァいだけー」
…っていう割と、いきなり人間殺したよな?
「殺したけど、冒険者だもォん。どーせ生き返るでしョ?キミの迷惑になると思ったから、わざわざ魂抜かないでおいてあげたんだョ。ボクがォ世話になる、君の心と体の具合を確かめただけェ」
いつの間にか、あの整った顔が俺の胸元から見上げている。ほっそりとした腕は俺の腰をに回され、華奢とも思える肢体が密迫する。背には翼…羽先に朱を配した、鴉のような漆黒。
「そりゃわざわざ気を遣ってもらって、どうも」
喉の奥の方で心臓が鳴っている。ほんわりと頬に朱が差す気配もする。
「あハハ、大したもんだねキミ!ボクの魅了を抵抗してるゥ。並の人間なら一言も喋れなくなるのにィね」
魅了を抵抗…ちょっと頬を赤らめる程度で、悪魔の魅了に耐えたって事か?
「人間にしとくの、もッたいないなァ」
心の底から口惜しそうに言うと、腰に回された細腕が俺の首を抱く。胸に埋められた美貌が、眼前を満たす。
軽薄な台詞を吐き続けた真紅の唇が、俺の浅黒く薄い唇と触れる。そのまま透けるように、優男の細い四肢が俺に染み込んでくる。
ーー地面に落ちた雪が溶け、染み込んでいくように。
視力を塞ぐ赤が、靄が晴れるように引いていく。映ったのは、焚き火の朱に染められた人間の死体が二つ。恐らくは…エルドビアゴとかいうこの悪魔が操る俺が殺した冒険者。
唐突に柔らかな青白い光が亡骸を包んだかと思えば、ふっと消え失せる。あとに残ったのは焚き火と静寂だけ。
これが、冒険者協会の誇る全滅確認転移システムだ。
冒険者手帳には自分の現在ステータスがリアルタイムで表示されるが、同時にバイタルメーターも機能しているのだ。
つまり、パーティとして編成・登録された仲間が自分自身を含めて全員死亡した場合、自動で転送術式が展開、最後に立ち寄った教会に転送されるのだ。
神官に冒険者手帳を提示し、転送先を変更登録してもらう都合上、当然ながら冒険者協会に加盟・協賛している教会でなければこのサービスを受ける事は出来ない。
まあ、平たく言えば、この地域での全滅はかなりシンドい。
魔王城の近隣ということもあり、徒歩圏内には教会は愚か人間の集落すらない。亜人の集落はあったが、冒険者協会へ加入済の教会など絶望的だろう。とすると…
この地域に最も近い教会というだけでも近隣の大陸という事になり、船で二週間はかかる。それでなくても危険な海域に船を出す訳なので、船乗りへの交渉や礼金、食料や飲料水などの準備も必要となる。さらに天候との相談もあるため恐ろしく手間と時間がかかるのだ。
これに関して言えば、転移魔法なり転移アイテムは使えないのかという疑問もあろうと思うが、なんと魔王城以外に転移可能箇所がない。
次に近い場所で、その船で二週間の教会のある街なのだ。
さらに、無料で復活させてもらえるのはパーティリーダーのみ。他のメンバーは通常復活同様に修めた職の総合レベルによって歩合で復活費用が必要となる。
経験値の減少も深刻だな。死亡時の記憶の混乱からか、復活に際して経験値が減るのだ。これは死亡時のメイン職のみではあるが、高レベルともなれば喪失量は尋常ではない。
まあしかし、それでも未知の土地で大地に還るよりかは幾分かマシ…あ、思い出した。
「ん?あァ、そッかそッか」
俺の声が、優男の口調で響く。上着の裏ポケットに入れてあった冒険者手帳を取り出すと、パーティ編成のページを開いた。
「優しィね、キミ。あんなに喧嘩した人達でも、殺したくなィのかー」
パーティ編成、解除。列記された名前をペンで消せば処理完了だ。
そう、いくら悪魔に体を乗っ取られて仲間を殺したからとはいえ、それだけでパーティ解散とはならないのだ。この処理をしなければ、先述の通り未知の土地で地に還ってしまう。
ってゆーかな、
「同調は完了してるからねェ、キミの思ッた事、考えた事はボクにも伝わるんだョ」
うわ、めんどくせぇ。便利だけど不便だ。余計な事考えらんねぇじゃねぇか!
「んフフー、さっきのキス良かッたのォ?嬉しいなー、ありがとありがと」
おい!やめろ!!結構深いとこまで読まれてんじゃねーか!!
…恐怖も不安も吹っ飛ぶほどメンドクセェやつとの共生が、始まっちまった…