表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/20

第Ⅱ章 権謀(けんぼう)と真情(しんじょう)(3)

「水源を監理しろ、だと?」

 ナーサスのヴェルジ総括神殿、その一角にあり多くの信徒が出入りする執務室に、ひげ面の中年男の訝しげな声が響いた。

「はい。ユール殿はこの通知に示すとおり、緊急対策会議にて決定された事項を可及的速やかに実行せよと仰せです」

 他にも多くの人員が集まった場。いかにも警察らしい探る視線を一手に受け、アーツは努めて静かに返した。

 領主であるユールが主導し、各神殿の暫定的な統括者を集めて開いた災害対策会議では、発災から数日以内に取るべき対応が改めて検討、集約された。最優先事項である人命救助と救護の継続はもとより、被災した市民の避難生活と復旧復興を見越し、各神殿が所掌する行政分野について指針が整理された。

 それら重要事項の伝達に当たり、ナーサス領政庁の令を臨時で預かったアーツは、現在一時的にヴェルジ指揮権を行使するユールから、神殿の幹部が未だ不在である現場に向け、会議にて決定された指示を公文書を以て伝達に来たのだ。

 しかしながら、人命救助そして治安維持の最前線で忙しく立ち回る場に突然やってきて、領主のお墨付きを手に指針とやらをいだ異国の信徒を、そうやすやすと信ずることもできまい。悪意あらんや、もしくは代理をかたる不届き者ではないかと、反感と共にあからさまな猜疑さいぎを向けてくる者がほとんどの中で、アーツはさもありなんと苦さを抱きつつも、それらの視線を真っ向からその身に受け止めた。

「何故そのようなことを」

 ひげ面の男、広場で相対した部門長ダレンの目が鋭さを増す。先刻に引き比べれば落ち着いた応対といえようが、未曾有の混乱の中、未だ行方不明の重役に代わり現場の舵取りをする中、余計な横槍を入れられてはたまらないと言った雰囲気を漂わせている。アーツは事情を察しつつもユールの真意を毅然と伝えた。

「水は命の繋ぎです」

「それは重々承知している。水がなくば命が脅かされる。しかしながら水源の管理はもとより水の女神オーマリヌの専務。なぜ我らヴェルジが越権せねばならない?」

「越権ではありません。これは『協同』です」

 そこでダレンの目つきがあからさまに険悪になる。言葉を弄している場合か、とでも言いたげだ。

「このナーサスにおける水源は、大河と湧水そして井戸。しかしながら大河については、現在その安全性を確約できません。<黒い海>が遡上したともなれば、なお用水としての使用には当面適さないと見込まれます。この街は険峻けんしゅんな地形にあり、生活用水の確保に関しては、もとより井戸や湧水が優先されている。ですから今は公用そして個人所有のそれらをつぶさにあたり、この危機に際して財産供出命令の実効を要するとのことです。あわせて一定以上の床面積を有する家屋についても同様に取り扱いせよと」

 その言葉に、驚愕が返される。

「供出……公有はまだしも、私有財産を提供しろとまで?」

「そのとおりです。ヴェルジの法務部には私的財産の登記台帳がありましょう? 現在使用に耐えうる湧水、井戸そして該当家屋の所有者を洗い出して供出の令を下し、各神殿への配分と使用につきオーマリヌ神殿と協同し調整してください。供出に際しては別に期間を定める一時措置として、解消後には、所有者に対し国と領区が返還補償にあたります」

「本当にそこまでせねばならんのか」

「それほどまでにユール殿は推移に危機感を抱いているということです。混乱の中で民の命を脅かすのは無法です。基盤の維持、秩序の堅持は、今ヴェルジの威信をかけ成すべき急務なのです」

 ダレンは低く唸ると目を閉じた。補償あるとは言えども実際は相当な抵抗に遭うだろう。しかしながら怖気づいている暇はない。絶えようとしている命は、ひとときたりとも待ってはくれないのだから。

「今目の前のこと、明日のこと、ひと巡り後のこと、ひと月後そして一年後。ユール殿はその全てを同時に見つめている。そしてそこへ繋ぐには、今この街の持ちうるすべてを、そこにある人の力を結集する必要があるのです。ダレン部門長、あなたはまさに今このときのナーサスヴェルジ衆の要石かなめいし。人と地を支えるその基礎にあらねばならない重責を担っています。ですがあなたは一人ではない。英知を有してるユール殿と、多くの力ある同胞がいる。皆があなたを支え共に戦い抜く決意です。そして、及ばずながら私も」

 己の中にある誠心を載せて言い、あとは待つ。しばしの思案の後、ダレンが苦々しくつぶやいた。

「青二才が生意気な口を叩きおって。まったく不愉快極まりない」

 ち、と小さく舌打ちして瞼を開ける。

「本来このような苦境とて、ナーサスの民は自力で立ち上がり乗り越えられる力を持っておるのだ。わざわざ余所者に檄を飛ばされずとも、そんなことは重々承知だ」

 次いだ言葉に、アーツはひとつ頷いて返す。

「舐めるなよ、若造」

そうして顔を上げ、放つ。

「令!」

 上がったそれに一瞬にして静まった場に、ダレンが告いだ。

「法務部登記管理課へ。領庁通知の条件を満たす湧水及び井戸、そして家屋を台帳より検索し、そのすべてについて領名にて供出命令を作成せよ。警護部管理課はそれを以て現場げんじょうにて命令を実効し、貯水量を確認すると共に、別途定めるまでの期間監理に当たれ。使用にあたってはオーマリヌと協同し、各神殿への必要量調査を速やかに実施したのち配分する。なお返還補償に関しては国及び領区の定めによることを合わせて所有者に伝達しておけ。以上これらの令は、総務部事務課により明文化しヴェルジ神殿において公告するものとする。以上だ。事務方は作業を開始しろ」

 はい、と一斉に返答があるなり場が再び動き出す。目的を得たその動きを追っていたアーツに、ダレンがゆっくりと向き直った。

「これで文句はあるまい」

 むすりとした言いよう。けれどアーツは心からの感謝を一礼に現した。

「現場は人手が足らんのだ。宣言したからには、貴様にも働いてもらうからな」

「もちろんです。伝令の職務は完了しましたので、ここから次回の対策会議までの間はなんなりと。ただ」

「ただ?」

「ユール殿から、現場の状況を包み隠さず報告せよと命ぜられておりますので、どうか御協力を」

「どこまでもクソ生意気なヤツだ。ところで貴様は何ができる」

「ヴェルジのひと通りは対応出来ます。ですがもしも許されるのなら、救助の隊に遣わしてください。ナーサスは決して孤軍ではないと示すことこそが、今この場に居合わせて、異国の同胞たる私がなすべき使命であると存じます」

 自身の熱、きっと彼も同じように言うだろうと確信を持って願うと、ダレンはしばし沈黙し間を置いて考え込んだ。

「貴様、名は何と言ったか」

「ウィラード・ヴォーリュックと申します」

 そうか、と返して顔を上げる。

「では我らが兄ヴェルジの名において、貴様に人命救助と捜索の任を与える。警邏けいら部第五班のエドヴィン・シフファートは知り合いなのだろう? ひとまずはヤツの隊に暫定的に所属せよ。今は港湾南岸の船揚場ふなあげば付近で活動しているはずだ。詳しい指示は現場で直接聞け」

「ありがとうございます。誠心、務めます」

 そうしてふんと鼻を鳴らし、ひそりと呟く。

「頼むぞ、兄弟」

直後どっかりと執務椅子に座り込んだ彼に、アーツは覚悟を持って頷くと、すぐさま身を翻し、己の立つべき現場へと駆け出した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ