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第Ⅱ章 権謀(けんぼう)と真情(しんじょう)(2)

 思いがけない申し入れに驚き言葉を失う。

「あなた方を見込んでお願いしたい。この街に逗留とうりゅうしている間だけで構いません、御力おんちからをお貸しいただくことはできませんか」

「それはいかなる意図で?」

 今度はこちらが疑念を持って問う。ユールは苦笑し、無意識にだろう乗り出していた上半身を戻した。

「街の様子はご覧になりましたか」

 ええ、とウィラードが答える。

「さりとて経緯については全く見当もつきません。あのような惨状、まるでひといくさあったかのようだ。一体何があったのですか」

 するとユールのおもてに影が落ちた。

「今朝、丁度明け方の頃でした。ナーサス沖の洋上に、突然、赤く太い稲妻が瞬いたのです」

「赤い稲妻?」

「ええ。海から出でたそれは、形容しがたい轟音と共に天に上り、東雲を裂いて、ひととき海と空を赤く染めました。寝床から飛び起きて自室からそれを見たとき、とある記録が瞬時に蘇ったのです」

言っておもむろに視線を外すと、本棚を見やった。

「ナーサス竜史」

 思わずの体で漏れ出たそれを聞き取ったか、ユールが少し驚きつつも小さく頷く。

「ナーサスは<ディスリトの鎖骨>川の河口に形成された街ですが、その元始たる<ディスリト>に関連して、ひとつの伝承があります」

「伝承?」

「ええ。この街は先の大戦の折、人々の住まう大地を復帰させるべく、その身を投じた<ディスリト>の首元、すなわち弱点に当たる場所という歴史学上の解釈があります。そしてそれを裏付けるかのように、先の大戦の末期、危機に瀕した<闇>が最後の抵抗にと放った呪いが、この地を、そして<ディスリト>を未だおびやかし、災厄を契機として世界を再び混沌に陥れるのだとも伝わっています。赤い稲妻はその予兆と記録され、かくして災厄は訪れた」

 語りながら、記憶の中で頁をめくる。

「ナーサスは過去にも幾度か同様の災厄に見舞われた記録があります。直近の、と言ってもゆうに100年は経過していますが、それによれば『赤い稲妻が世を穿うがつ。海は暗黒と化して<龍>を狙い人をほふらんとす』と。一体どういう現象かと長年疑問に思っていましたが、この街を襲ったものの様相を思い起こせば、それも理解できるというものです」

 ユールはそこで一息つくと、少し肩を落として椅子に背を預けた。

「あれは記録通りでした。あらゆるものを一瞬のうちに飲み込み、街の財産たるものを根こそぎ奪い去った」

 ナーサスは大陸東岸の有数な貿易港、南北海路の中継地点であり重要港湾である。主要産業たる貿易、そして漁業に甚大な被害を与えたのだ。ハイラストのみならず大陸全土の経済にとり、大打撃であることは間違いない。

「実は今日、南大陸よりきたる貿易船が、要人を乗せて寄港する予定が入っていましたのでね。滅多にない大きな取引と混交の機会です、外交と貿易そして税を所管する部署の職員に加え、各神殿から上役が出て、迎港の準備にと海岸近くの詰所つめしょに昨晩から待機していたのです。しかしながら……」

 語末が濁り、眉間に深い皺が寄せられる。

「何も出来なかった。何の力もなく、ただ見ているしかなかった」

 うつむくと共に強く組まれた両手。爪が皮膚を食い破ってしまいそうな程力のこもった様に、無念の深さと己への責めが覗える。

「だからなおさら今を乗り切らねば。それができねば、また奪われる。この街は、もうこれ以上何事をも失うわけにはいかないのです」

 その迫力に気圧される。それほどに必死な、そして哀しみに満ちた訴えだった。

「私たちに、何をせよと」

 言葉が途切れた瞬間を狙い、ウィラードが静かに問う。

「今この街には『執る力』が圧倒的に不足しています。お話した通りの現状、多くの市民の安否・・が未だ確認できずにおり、その中には要職にある人間も多数含まれています。人手不足である上に、このような未曾有の惨事の中では、おのが心とて危うい」

 そうして、視線が上がる。

「先ほどの現場での振舞い、私は事後を目にしただけですが、あなた方はあの場に居合わせた人間をすみやかに読み、おおやけに照らして権限を行使されていた。その堂の入りようは、力を知り扱うもののそれにほかならない。冷静に、平静に、常時と変わらぬ意思決定の秩序を維持するための揺らがぬもとい。それが今の私に必要な(たす)けです」

 はっきりとした要求に、アーツとウィラードは三度みたび顔を見合せ、それから返した。

「しかし本当によろしいのですか? 私たちは友好国とはいえ他国の、しかも軍属の人間です。そのような者に被害の実情を明かすばかりでなく、直接支援を乞うなど、今後のご領主のお立場に障るのでは」

 実質的な補完事務の要請。その言葉に、ユールは顔を上げると小さな苦笑を浮かべた。

「仰るとおりです。誇り高きハイラストの地方領主たるものが、本来本国に頼るべき支援を受ける前に、たまたま目の前にいた他国の旅人に縋ろうなどとは、軽率極まるとそしりを受けることでしょう。しかしながら私がすべきは、ナーサスに今ある命を生きながらえさせること。私個人の体面や立場など、その重みに比べればどうということはない。領主の存在意義に照らせば、非難される覚えなどありませんよ」

 すがすがしいほどにきっぱりとした覚悟である。

「もちろん決定権や命令権そのものは領主固有の譲れぬもの。ですからすべては私の名において決定し発布しますが、どうか諮問しもんとなっていただきたく」

 己を自覚して認め、力量と現実を引き比べ決断したその潔さに、アーツはちらと隣をうかがった。目を閉じた彼の横顔には思案が浮いており、しばしの沈黙が間に下りる。

「ユール殿」

 あえて親しげに名で呼び、目を開けたウィラードが続ける。

「あなたはこの非常時にも関わらず、一介の旅人たる私どもに礼節を尽くし、そのうえ内情を包み隠さずお話くださった。それは人としての義に値します。私は他国の人間、そして職責ある立場ではありますが、の人としてあなたの援けになりたいと願う。この思いはきっと、何人たりとも犯さざる高潔なものであるに違いない。あなたの決意と同じほど、高尚なものであるに違いない」

「では」

 静かに、ひとつ頷いてヴェルジの印を胸の前に切る。

「この身を手足の添え木として。この知恵を、兄弟たりしあなたの糧に」

 それはヴェルジにおける義兄弟の宣誓だった。全幅の信頼を寄せる宣言と共に、まっすぐな視線を彼に向ける。

「諮問につき、謹んでお引き受けしましょう。この地にある限りは必ずやあなたを支え、ナーサスの民に尽くすと、我ら両名共に身命に誓います」

「ありがとう」

 少し揺らいだ声と共に、ユールの口元にほっと安堵の笑みが浮いた。そしてすぐさま表情を引き締めて立ち上がる。

「まずは現時点で確認されている情報を引き渡します。その後、具体の対応に係る指示を検討したいので、私案に御意見をいただきたい。それから現在行方不明のヴェルジ神殿長になり代わり、私が捜査と警備権限の一切を一時的に掌握します。ですから合せてその後見こうけんを」

「承知しました」

 次いで「ウィラード」と彼が自分を呼んだ。

「はい、士団長」

「俺がユール殿の指令を下達かたつする。お前はなるべく現場に貼り付き、その運用支援に回れ。特にも基幹となるヴェルジ衆の体制を早期に復帰する必要がある。人員に関する情報を現場と共にまとめ、配置と行動計画案を練って次回の対策会議開催までにユール殿に上申しろ。情報の収集にかかる身分保証は、今この場で申請する」

 速やかなる方針の提示にユールが頷く。

「ウィラード・ヴォーリュック殿」

「いえ、どうかウィルとお呼びください」

「そうですか。ではウィル殿、当面はあなたにヴェルジ関連の情報収集と定時報告、そして私の指令に関する運用計画の立案を命じます。行使の期限は別途指定し、また今後の適用範囲の拡大については、都度指令を発しますのでそれによること」

「はい。謹んで拝命いたします」

 胸に手を当て、一礼する。

「信用していますよ。ナーサスをどうか、共に」

 顔を上げ強く頷く。

「ではこちらに」

 言ってユールが隣室へ続く扉を開く。その向こう側は、どうやら彼の執務室のようだった。先に移動したその背中を追わんと、一歩を踏み出そうとしたとき。

「ここからだな」

 隣に立ったウィラードが口元にひとはしの笑みを浮かべる。

 ふとつぶやかれた激励。いつもにも増して熱の込められたそれに、アーツもまたぐっと気を引き締めながら、新たな場所へと繋がる扉をくぐった。

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