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第Ⅰ章 過客(かかく)、触る(5)

 エドヴィンとの合流後しばらく南に駆けると、やがて翼竜の彫像の立つ大きな広場にたどり着いた。

 おそらくは炸裂弾などを用いたのだろう。死した獣が石畳のあちこちに転がっている。そして彫像の真ん前では、今まさに逆毛立った熊に似た魔物が唸りを上げており、黒い鎧のヴェルジ神官たちがそれを取り囲んでいるのが見えた。

「今のうちに麻酔を!」

 若者ばかりの集団のどこからかそんな声が上がる。捕縛用の網が複数絡まった隙にと踏んだのだろう。しかし魔物が咆哮を上げ威嚇するや、圧倒されたその腰が一斉に引けたのがわかった。

「アーツ」

 そのとき、遠目に様子を伺っていたウィラードが自分を呼んだ。

「お前、副神殿長補佐相当……部門長総括権限を持ってたよな」

 思わず彼を見つめ返し、そうして意図を察するとエドヴィンに声をかける。

「今この広場に居るヴェルジ信徒の中で、一番の上役は?」

「え?」

 飛び出そうとしていたエドヴィンが立ち止まり、かすかに眉をひそめつつぐるりと見回す。

「幸いなことに俺だな。安全部課長の高司祭だ」

 そうして三人で申し合わせたように頷き合い、二手に分かれて走り出す。アーツは魔物の右手側に回り込むと、腰袋から魔化石をひとつ手に取り精神を集中させた。

「兄たるヴェルジよ。導きたる力を我に」

 短く呪文を唱え意識を小石に向けると、巨体に向かって思い切り投げつける。

「《足止めスタック》」

 発動のげんと共に石が眩しく輝き、直後魔物の足元だけが泥沼と化す。ぐずぐずと身体が沈み、同時に破裂した石が粘性の高い泥に変態して全身にまとわりついた。動きが止まった刹那を狙い、反対側に回っていたウィラードがひときわ大きく叫ぶ。

れい、『駆除』!」

 それと同時に、帯同していた腰袋の中からばね式の小型弓を取り出して矢を放つ。鋭いやじりのついた縄が飛び、魔物の脇腹に深々と突き刺さった。警察ヴェルジで装備されるものではあるが、通常任務ではほとんど使われない武器。同じく大型生物を相手にした『駆除』の令も、市街地での、ましてや若者ばかりの編隊ではなおのこと、発動の経験はほぼなかろう。訓練科目にあるとはいえ、果たして即応できるだろうかと心配していたが、すぐさま倣ったエドヴィンに続いて、次々と矢が放たれていくさまにほっとする。

「左、巻け!」

 次ぐそれに、二手に分かれ魔物の左手に回った者たちが一斉に綱を引くと、傷口から新たな血が滴った。

「今だ、切れ!」

 そうして綱を引いていたその手を一斉に離すや、魔物の体は右手側にぐらりと傾き、派手な音を立てて泥の中に倒れた。泥に巻かれた重い体で鈍くもがく隙に、すぐさま青いマント姿が駆け寄る。

「法のもとにて、はいし平らげん」

 短く宣言した刹那、陽光を照り返してひらめく銀色の刃。ウィラードが回り込み、養父クレードの剣を構えると、鋭い切っ先で腋下を狙う。突き刺さった瞬間、筆舌しがたい咆哮が上がった一方で、アーツも借り物の剣を抜いて巨体に駆け寄ると、延髄に狙いを定めてひと思いに切り裂いた。

「オォォゥ……」

 血しぶきと共に弱弱しく消えていく呼吸。《足止めスタック》の魔法が維持されていることを確かめつつ、完全に動きが止まったのを見計らってから覗き込んでみるが、先ほどと同様に、黒い石の形跡はどこにも見当たらなかった。

「おい」

 剣を収めたウィラードが歩み寄り小声で言う。たしなめる表情に、杞憂が過ぎているなと一人苦笑した後、にわかに上がったざわめきに驚いてそちらを向いた。

 石畳の上で鳴る蹄の音。広場の南側から現れたのは、一隊を引き連れ、黒い鎧を纏った恰幅の良いひげ面の中年男と、馬ほどもある大型の山羊の背に乗り、襟巻きをした身なりのよい黒髪の青年だった。

「一体なんだ、この有様はッ!」

 ひげ面の男は、やってくるなり近くに居た若い隊員を捕まえて詰問を始める。

「どういうことだ! 長であるワシの命令もなしに、勝手に駆除などしおって!」

「それは『令』が」

「なんだとッ?! 『令』は場の上役のみに与えられた権限なのだぞ! どこのどいつがそんな真似をッ!」

 襟首を掴み締め上げるひげ面の剣幕に、隊員がおびえた顔で視線を流す。それを追った彼は乱暴に隊員を解放するなり、憤りもあらわにこちらへ歩み寄ってきた。

「貴様らごとき若造がどういうつもりだ」

 明らかなる侮蔑、そして苦々しい舌打ち。直後引き連れていた部下らしき数人に向かって指示を飛ばし、アーツとウィラードを捕らえさせんと動いた。

「この不届き者らをさっさと連行しろ!」

「お待ちください部門長!」

 荒っぽい事態に、エドヴィンが慌てて止めに入る。

「今回の『令』の採用は、現場における指揮権委任最高位であった私の判断によるものです。これは有事の際の正当な権限行使の範疇であり、現に彼らはせんを担いました。彼らの行動は、私自身の職責において保証されうるはずですし、それでもと仰るならば、私が直接神殿長に申し開きいたしますゆえ」

 しかしひげ面は「黙れ!」とそれを一蹴した。

「愚か者が! 部外者に部隊の指揮を委ねようなど、貴様の愚考ひとつでナーサスヴェルジ衆の面目がつぶされたのだぞ!」

 恥を知れ、と口汚く罵るさまは、誰が見たとて気持ちのいいものではない。ことここに至ってまで組織の体面を優先する態度に、周囲にいた若者たちは皆、落胆のまなざしを上官たる彼に向け始めていた。

「部門長殿」

 そのとき涼やかな声が突如響いた。山羊に乗った黒髪の青年が、少々の苦笑混じりに続ける。

「非常時の判断です。それは現場げんじょうに即し、なにより速やかにかつ優先されるべきでしょう」

「いや、しかしそれでは」

「誉れ高きヴェルジ衆の苦心は察しますが、どうかひとまずは心を平らげ落ち着かれよ」

 諭すそれに、どうやら己を取り戻したらしい部門長の面から、次第にけんが取れていく。

「目下魔物はこの場から駆逐され、市民の危機がひとつ回避されたのです。それは警察ヴェルジにとり本懐のはず。ならば次にすべき行動は何か、あなたならお分かりでしょう。指揮官たるあなたの指示を、他の現場で待っている者がいるのですよ」

「そ、そうですな! おい貴様ら何をぼやっと突っ立っておる! 次に行くぞ!」

 部門長は混乱を収め、ようやく自らの職責を思い出したらしい。集まっていた者たちを指示し、隊列を整えるとすぐさま移動を始めた。

 そうして去ってゆく様子を見守っていたアーツとウィラードの傍に、黒髪の彼が近づいてくる。

「旅の方とお見受けしますが」

「ええ」

「名乗りが遅れました。私はユール・スクラフト。ハイラスト龍王国りゅうおうこくナーサス領区を預かっております」

 年の頃はエドヴィンと同じ三十がらみか。この地を治める職であるというそれに驚く。

「ご助力に心から感謝いたします。お二人の行動はエディ・・・の言うとおり、ヴェルジに通ずる規程ゆえと解しておりますが、組織の外にある者がそれを緊急忌避的に発動した場合については、正直想定しておりませんでした。そしてなにより、街は御覧のとおりの有様。ゆえに私は本日未明より城門を閉ざし、出入りの一切を禁じております。失礼ながら拝見する限り、門兵が発する認証をお持ちでないようだが、一体いつこの街に?」

「ちょっと待てよユール!」

 話が本旨に到ったところで、エドヴィンが割って入る。

「疑ってるのか?! こいつは俺の知り合いだ。同じヴェルジの信徒として力を貸してくれたって、お前も今現場を見て分かったはずだろ!」

「だが領区にとり、その入領の経緯に関して嫌疑あることには変わりない。これは入国管理の一環でもある」

 厳然とした言いように怯む。しかしその発言の中に、エドヴィンは何かを覚ったらしい。伺うように続けた。

「お前が直接この件を受け持とうってのか」

「ああ。その方が色々と手っ取り早いだろう。忙しいヴェルジの手を煩わせはしないから心配するな」

 だから早く行けと短く伝えると、エドヴィンははっとした表情を見せたあとで頷き返した。

「すまねぇアーツ」

 そしてこちらに向き直る。

「あいつは信頼できるヤツだ、安心してくれていいぜ。あとで必ず迎えに行くから、それまでは待っててくれ」

 こちらに言いおき「頼むぞ」とユールに念押しすると、彼はすぐさま通りを南へと走り去った。

「さて」

 その背をしばし見送っていたユールが声をかけてくる。

「恩人たるお二人には大変申し訳ないが、経緯をお聞きしたい。やかたまでご足労願えますか」

 有無を言わせぬそれに、二人して頷く。

「我らとてヴェルジの信徒。この身に疑いかからば、それを濯ぐのが務めです。とは申せ」

 ウィラードが少々の間を置いて次ぐ。

「こと聴取・・に関しては、充分なご配慮をいただくのが、ご領主、そしてハイラストにとり得策かと存じます」

 なんともふてぶてしい言いようである。それはユールも同感らしく、すうっと目が据わる。

「それはいかなる了見にて?」

「私は本国において、副神殿長補佐相当職の資格を有する職位におり、有事にはその行使も認められております。そしてヴェルジ内規では『聴取に当たり、担当官、立会者並びに記録官は被疑者の職位相当以上の者を原則指定する』と定められており、また『同所属の複数人の被疑者の聴取に関しては、せんをあらかじめさだむる』ともあります」

「私も有事にはヴェルジ神殿長の職務代理権限を行使する者ですから、もちろん存じていますよ。当然入国管理における取扱いもそれに準じていますから、なんらご心配には及ばぬかと思いますが……なにかご希望が?」

「聴取に当たっては、私を先としていただきたい。実際『令』を下したのは私です。この者は旅の連れですが、信徒としてあくまで場に下された『令』に従い行動したまで。ですから私の聴取が済みましたら、お咎めなきものとしてどうかそのままご放免を」

 異論を唱えようと背後に寄ったアーツだったが、後ろ手で制され引き下がる。

「どうやらなにがしかの事情がおありのようですね」

 ユールがうそぶく。

「お約束いただけるのなら、こちらも包み隠さず誠心誠意お話させていただきましょう。それこそ、ヴェルジ兄弟の契りにかけて」

 最後の圧しに、彼がしばしの沈思の後で頷いた。

「わかりました。充分に礼を尽くすこととしましょう」

 ありがとうございます、とウィラードが丁重に頭を下げる。

「では私もあなた方を信用することにして、先に館に戻ります」

 被害の現状視察の途中でしたのでと言い、傍に控えていた従者と思しき鎧を着込んだ男に指示すると、山羊の頭を巡らして先に広場を去っていった。

「ウィラード」

 残った見張り役に気取られぬよう、ひそりと話しかける。

「大丈夫だ。悪いようにはしねぇよ」

 誰に向かっての言葉なのだろう。その横顔に浮かんだ小さな笑みに疑念が湧く。

「では、ご案内いたしますのでお続きください」

 一人宣言して歩き出した男を追い、二人は領主の屋敷へと移動を始めた。

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