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第Ⅳ章 紅き文身(ぶんしん)(3)‐2

「どちらさまですか?」

「おや、シリア嬢」

 残り日を背にして発せられた言葉に、咄嗟に動きを止め身構える。目が慣れ、相手の姿形がはっきりするやなお緊張した。

 アーツと並ぶ、いやおそらくは彼以上の長身。褐色の肌に、銀糸のようにも見える白い髪を馬の尾(ポニーテール)に結い上げた、至極整った面貌の青年。

「こんなところで美しいひとにお目にかかれるとはね。今日の俺はたいそう運がいいらしいや」

 細長い耳飾りを揺らしつつ、オーマリヌの舞台俳優のような涼やかな声で話しかけてきた。間近に迫った気配に少し身を引くと、彼は察したのか、抱えていた少女に目を移し小さな手を取った。

「こっちのお嬢さんもシリュエスタ(愛らしいひと)だな」

 その一言に合点する。シリアという名前は、光の女神(シリュエスタ)をもじって女児に多くつけられるが、美しいもの、愛でたいものを指す俗語(スラング)でもある。様子からしてアス・ノーマたる自分を特定した訳ではなかろうと、少しだけ緊張を解いた。

「あの、ご用件は」

 すると、彼はああと思い出したように少女の手を離した。

「こちらはヴェルジ信徒のシフファートさんの御宅で間違いないかな?」

「ええ」

「俺は森の男神(ガンダルモート)分神殿の臨時雇いで……」

 話の途中で視線が逸れる。丁度その時、作業を終えた婦人達と中庭に居た子供達が一斉に食堂へ入ってきたところだった。その中に居たルーシアが、こちらに気づいて共に応対してくれる。

「あら、お客様?」

「こんばんは。ここの奥さんかな?」

「ええ」

「俺は病院(シリュエスタ)で治療を受けた患者に薬を届ける仕事を請け負った者だが、配達先の何人かがここに来てるって聞いたもんでね」

 言いながら小袋を掲げる。それを見るなり速やかに理解したらしく、ルーシアは彼が取り出した書き付けを覗き込むなり叫んだ。

「アマリア、カトリン、ミニー、ミーシャ、ルイザ、ヴァレリア、用があるからちょっと来て!」

 はぁい、とすぐさま集まってきた女性たち。統率の取れた行動に彼は驚きつつも、順番に薬を引き渡して受領のしるしを貰い、瞬く間に手が空になった。

「いやぁ流石は浜の御婦人方だ。反応が早いし動きが機敏だね」

 助かったよと向けられた感謝に、居合わせた皆が頬を染める。

「ねぇねぇ色男さん、どこから来たの? この辺じゃ見かけない顔だけど」

「さぁてね、どこだと思う? 当ててごらんよ」

「そうねぇ、『ラ・エトワル』とかかしら」

 興味津々の視線と共に口にされたそれに、青年の目がすっと細まり、緑色の目が鋭く輝く。

「そうかい、御婦人方は海の物語をご所望なのかい……なら任せな、得意分野だ」

 どこか芝居がかった台詞に、直後わっと期待の声が沸く。にこりと笑って踵を返した彼は、シリアと少女の前を通りざまにぱちりと片目をつぶり、

「再会を祝して」

不可解な言葉を残すと、そのまま家の外まで踊り出て通りの真ん中に陣取った。

「さあさ皆の衆、とくと聴け」

 両手を掲げ宣誓した後、静かに息を吸い込み歌い始める。始めはさざなみのように細やかに、次第に高く朗々と。石畳も、白い家壁も、彼が纏った衣服や長物などすべてが、残り日の薄明かりの中で一体の演出となり場面が展開されていく。声に表情、体捌き、仕草、視線のひとつに至るまで、人々の目を惹き気を引いて繰り広げられ、やがてゆっくり収束していくと、彼は幕引きとばかりに恭しく一礼して歌を終えた。

「見事だ!」

「いいぞぉ兄ちゃん!」

 直後、いつの間にか出来上がっていた十重(とえ)二十重(はたえ)の囲みから、大きな歓声と拍手が起こった。それに笑顔で応えていた彼だったが、一転困り顔で放つ。

「さてと。喝采を浴びるのは至極気分のいいもんだが、それだけじゃ腹は膨れねぇ。いい加減神殿に戻らねぇと、今日の食い扶持を貰い損ねちまう」

 軽い笑いを引いて締め、家壁の外に置いてあった籠に近づきそれを背負った。

「さらばだ皆の衆。俺はあてのない旅に身を置く者だ、もう会うこともないだろうよ。ただ……運命の人なら別だがね」

 最後まで劇的な台詞を残し、ひらひらと手を振って歩き始める。そうして見送る拍手にも振り返ることなく、馬の尾(ポニーテール)を揺らしながら、暗がりに落ちかけた通りの奥へと姿を消していった。

「なかなかいい声してたわね」

 本業みたいだったわ、と傍らに立って見ていたルーシアの声が心なしか楽しげで。ナーサスは水の女神(オーマリヌ)信徒が多く、歌や芸術に造詣が深いというだけあってか、集まった人々もひととき悲哀を忘れ、晴れやかな余韻を味わっている様子だった。

「そうだな」

 しかしいささか訝しむように発せられたその声で立ち返る。見れば黒い鎧を身に着けたエドヴィンがいつの間にか玄関脇に立っていた。お帰りなさいとの労いを受け、彼は衣服についた土埃を払ってから家の中に入ろうとする。が、ちょうど夕食が始まり中が混み合っているのを見ると、外壁の前に置いていた長椅子にとりあえず腰を下ろした。

「お義父(とう)様の様子はどうだった?」

 隣に座りながらルーシアが問う。エドヴィンの実父であるザケリーは、ナーサス漁業協同組合の長だが、災禍の折に一時行方不明となり、その後病院に搬送されていたことがわかり再会に至ったのだそうだ。

「どうもこうも、ありゃすぐにでも退院しかねない勢いだったぜ。『軽症』なんて本人が言ってるだけで、全身怪我だらけ、海水を飲んで内臓もやられてるってのに、見舞いに来た組合の連中に寝台の上からあれやこれや指図してたからな」

 半ば呆れたように言うが、どこかほっとしたような顔をしている。

「ユールの方は?」

「領庁から共有された情報では、先刻『大事なく、程なく廟に到着しよう』って連絡があったそうだ。ま、アイツが帯同してるんだから無事は当然だろ」

 そう言って片目をつぶって見せたエドヴィンに、シリアも胸を撫で下ろした。昨夜数日ぶりに合流したウィラードから『廟参り』の護衛を請け負ったと伝えられた時、魔物との交戦は避けられまいと話していたが、どうやら被害はないらしい。

「『廟参り』は領主たる者の義務、とのことでしたか」

「そう。ナーサスが〈竜〉の守護を受け続けるのには必要な儀式なの。特に今回は……ユールはなんとしてでも成し遂げる気でいるだろうけど」

「『召喚』もそうだが、『契印』を持たない者がスクラフトを継いだ前例はないようだからな」

 そこでふと何かに思い至ったようにエドヴィンが顎に手をやる。

「そういや、それも『ラ・エトワル』の話によく似てるな」

 先程来口にされていた単語だが、話が見えずに戸惑っているとルーシアが補足してくれた。

「『ラ・エトワル』っていうのはね、なんの力も持たない漁師の青年が出世していくオーマリヌの歌劇なの。さっきのお兄さんが歌ってたのは『あみ闘士と海蛇』っていう幕の一節で、海沿いの街での出来事が描かれているから、ナーサスでは一番人気の劇なのよ」

 なるほど、それであれほどまでに人々が食いついたのかと納得がいく。

「それがどうかしたの?」

「親父が言ってたんだ。『あの日、海の中で影を見た』ってな」

 曰く、大波が湾に達したその時、ザカリーは組合所属の大型漁船の甲板に居たそうだ。襲ってきた波に船は押し流され、他の多くと同じに転覆すると、その勢いのまま海に投げ出された。うねる海中、息もできずに翻弄される中で、彼は水底に蠢く巨大な影を見たのだという。

「上下左右も分からねえ海中でのことだ、幻覚ってこともあり得るし、話半分で聞いてたんだが、さっき歌を聞いて思い出しちまって……作り話とはいえ、こうも状況が似通ってるとな」

 懸念する表情。劇中に何か不穏な展開でもあるのかと問おうとしたその時、ふいに遠くから響いてきた地鳴りが重なり場に緊張が走る。しばらくしておさまったあと、座っていたルーシアがやおら立ち上がり、エドヴィンの袖を強引に引っ張って立たせた。

「なんだよルーシア」

「さっさと中に入ってご飯食べて寝なさい」

「はぁ?」

「悲観的な時って、空腹か寝不足のどっちかだって相場が決まってるの。そういう時にあれこれ考えたって時間の無駄よ」

「無駄っておまえ」

「『ラ・エトワル』の主人公も『持たぬ者』だったけど、数多の苦難を乗り越えたでしょ。もしもこれからのことを、劇で起こる危機になぞらえて考えてるっていうんなら、漁師(ユール)が立派な王様になって大団円、って最後が約束されてるも同じじゃない。魔物が出ようが海蛇が襲って来ようが、どっしり構えてればいいのよ」

 そのまま、ぐいぐいと背を押して食堂に押し込む。そうして「わかったわかった」と返しながら中へ入っていくエドヴィンの顔から、いつの間にか翳りが消えているのを垣間見、微笑ましくもさりげない支え合いを見ていたシリアも心がほんのりと温かくなった。

 その直後、ふと抱えていた少女の身じろぎを感じる。

「どうしたの?」

 見ると、彼女はどこか落ち着かない様子で、首から下げた飾り物をぎゅっと握りしめていた。ここに来た当初は手の中に握り込めていたという、魚の鱗にも見える小さく透き通ったそれ。きっと大人たちのどことない不安を察してしまったのだろうと、シリアは彼女を一旦下ろすと優しく抱き寄せた。

「皆が一緒にいるわ。希望を失わず、待ちましょうね」

 私たちも、あなたも。そんな気持ちを乗せて伝えると、少女の双眸がこちらを向いた。見上げてきた琥珀色、そこに何かが揺れたように見えたその直後、彼女が視線を外し、小さな右手をすいと動かした。

 指さしたその方向には通りの石畳があり、さらには港まで続く下り坂がある。けれど訴えようとしているのは、おそらくそれではないだろうとも感じた。

「海?」

 たゆまぬ視線に問いかけるが、答えは返って来ない。けれど無言のうちの横顔が、およそ少女のそれとは思えないほどに端正で冒しがたく見え、シリアは宵の色に染まった海面にざわつく心を、ひとはしの残光の中に瞬き始めた星を仰いで慰めた。

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