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第Ⅳ章 紅き文身(ぶんしん)(2) 

「やれやれ。まるで開拓の行軍だったねぇ」

 温かいスープと携帯食料で腹を慰め、しばし寛いだ雰囲気の漂う一行。そこから離れて外で海風に当たりながら、夜のナーサス湾を望んでいたアーツとウィラードの背に、聞き慣れた遠慮のない声がかけられる。振り向けば魔術師のナタリフが革水筒を手に歩み寄ってくるところだった。

「代々承継に使われてきた道だっていうから、さぞかし荘厳優美な設えなんだろうと思っていたのに」

 彼もその魔法技能と知識量で今回の同行――名目は記録兼検証係――を依頼された一人だったが、移動が相当堪えたのだろう、水筒の中身を一口含んだあとで恨み言がこぼれる。

「なぁに言ってんだ。これ幸いとあちこち描画するやら、あれこれ質問やらしてたじゃねぇか。傍から見たら、ただの浮かれた観光客の風体(ふうてい)だったぜ」

 次いで回された水筒をあおり、呆れたようにウィラードが言う。失礼なと頬を膨らませたナタリフだったが、しかしすぐに好奇心を浮かせた表情に戻った。

「ま、なかなかに興味深い道中ではあったよ。寄り道した甲斐があったってものさ」

 それこそ皮肉だろうかと今度はアーツが苦笑し、受け取った薬草茶を一口飲み下したところで。

「アーツ・ラクティノース」

 割って入った呼びかけに三人して振り向く。見れば儀礼着に着替えたユールともう一人、がっちりと全身を鎧で覆い、繋ぎ金具を鳴らして歩く男が、皆が滞在している建物からこちらに近づいてきていた。

「ここにいたのか」

 どうやら探していたらしい口ぶりに、「何事かありましたか」とウィラードが警戒をあらわにする。

「いや、そうではないんだ。本当は到着後すぐにと思っていたんだが……びょうに入る前に、君たちに礼を言っておきたくてね」

 そうして姿勢を正した。

「道中、魔物による被害を危ぶんでいたが、怪我もなく、誰一人欠けることもなくたどり着けた。護衛を引き受けてくれなければ、ここまで首尾よく事は運ばなかったろう。心から礼を言う、ありがとう」

「兄弟のお役に立てたのなら、それだけで充分です」

 ウィラードが数日前と同じく法の男神(ヴェルジ)いんを結ぶ。

「先頭に立ってくれた君にも感謝している」

 次いで向けられたそれに、いえ、とアーツは答えた。

「私たちが前方の敵にのみ集中できたのは、背後の守りが堅固だと分かっていたからです」

「そのような謙遜(けんそん)は無用だ。彼らとて、あえて前線には手出ししない理由があったのだから。そうだろう、ダリウス」

 廟参りの列の中ほどから殿しんがりにかけ、ユールを囲むように随行していた政庁の役人と数名のハイラスト正規兵、その一人である全身鎧の彼――今朝顔合わせの時に『龍使(りゅうし)』と紹介されたダリウスがどのような反応を示すものかと、皆が注目したその時。

 ずず、と重い地響きと共に揺れる足下。全員が一時身構えるが、地響きは次第に弱まりやがて収まった。

「道中にも何度か感じましたが、こう頻繁だと気になりますね」

 含みのある口調で言うナタリフに、ユールはひとつ頷く。

「どうにも嫌な予感に駆られるのだ。雷光の走った朝が思い起されて、また多くの何かが失われるのではないかと」

 そうして数歩進み出、夜のナーサス湾を望む。眼下で黒くうねる波が寄せていく先にある市街、そして湾を挟んだ対岸には、ちらちらと揺れる小さな光が、街までの道を示すかのように灯っているのが見て取れた。

「あれは『人心(じんしん)』と呼ばれる燈火(とうか)だ」

 背中に向けられた皆の視線に答えるようにユールが語り出す。

「南半島はこちら側と違って立ち入りが容易でね、海に生きる民が最後に行きつく場所として、岬付近には古くから墓地が置かれていた。昨日の慰霊の儀の後、多くの領民がそこへ参り、祖先と犠牲者に復興を約束し燈したところだ。あの炎は皆の祈りと決意そのものであり、同時に竜へ向けた道標ともなるもの。だからこそ、その期待に是が非でも応えねばならない」

 その語気は極めて強い。多くの希望を負う、まっすぐな熱意がそこにある。

 けれど。

 ふと走った直感、彼の横顔を目にして胸に湧いたものに押されるように、アーツはその隣までゆっくりと進み出た。

「ウィル?」

 突然並んだ気配に、ユールが戸惑いを向けてくる。しかしそのまま黙って見つめていると、ほんの少しだけ彼の口元が緩んだ気がした。

「不思議だな、君は」

 そして再び海を見つめる。

「先日、びょう参りには二つの目的があると言ったのを覚えているか」

「はい」

「一つは〈竜〉の召喚の方法を紐解くこと。召喚とはいわゆる魔法的な儀式を指し、先ほど話した『人心(じんしん)』はその過程の一部だと言われているが、スクラフトに伝えられたより具体的な進行と術の錬成を知るには、廟を訪れなければならない」

 先日借りた『ナーサス竜史』にも同様の記述があったため、頷いて理解を示す。

「そしてもう一つは〈竜〉との絆を永く結ぶため。すなわち〈竜〉との契りを結ぶに値する証を立てるということだが……実はこれこそが最大の難関だ。私は『契印(けいいん)』を持たないからな」

「どういうことです?」

「名乗りを許されたとはいえ、あくまでも仮の領主、正式なスクラフトの後継者ではないということだよ」

 語られたそれに驚き、咄嗟に先日エディの家で見せた不可解な行動と突合していると、彼は苦笑しおもむろに両手を上げた。

「これは植物の染料を使い『契印』に似せて描いたまじないだ。首にも同じように施してある」

 絹地に刺繍が施された儀礼着の袖がずり落ち、その下に隠れていた複雑な紋様が姿を現す。手の甲から肘関節にまでびっしりと描かれたそれに、どこか既視感を覚えつつしばし見入った。

「もともと次代の領主は、一族の中からその身に『契印』を顕現する者が代々選ばれて来た。その人物が契りの始祖たるスクラフトを戴き、ナーサス領議員連の承認を得て領主に就くのが古くからの街のしきたりなんだ」

「そうだったのですか」

「だが父の顕現後50年近く、生まれた子の中に次代の『契印』を現す者は出ていない。〈竜〉の姿を見ることそのものも久しくなかった上のことで、一族のみならず、市民の中にも、加護の喪失を危ぶむ声が高まっていたんだ。そんな中での父の急死だったからね、皆激しく動揺したよ」

 ところがだ、と続く。

「父の葬儀を終えた夜、一人自室に居た私に突然語りかける声があった。男とも女ともつかず、脳を揺さぶり言葉を直接刻み込んできたんだ」

自らも経験のあるそれに、アーツの背にぞわりと冷たいものが走る。

「その声の主は、我らハイラストが国父、偉大なりしいしずえである〈始祖龍(ディスリト)〉の後継たる〈(ディスリーティア)〉だった」

「〈(ディスリーティア)〉ですって?」

「そうだ。驚くばかりの私に、彼は『名を継ぎ、理を接ぎ、その時至らば喚べ』と託宣(たくせん)をくだされ、そしてもうひとつ言い置いたのだ」

 輝く星星を仰いで深く息を吸う。

「『過客(かかく)るべし』と」

 はっきりと放たれた声が空に抜け、海から吹いてきた強い風が、並んだ二人の黒髪をいて流れていく。

「翌日、〈(ディスリーティア)〉の託宣があったことを一族の長老たちと領議員連に伝えると、次代の顕現までの間に限り、私が代理となることが許された。そうして領主(しごと)を継いだ私は、その手始めに、いくつかの分野にわけて優遇措置を付した入領証を交付することに決めたんだ」

 アーツの腰にくくり付けられた印入りの赤札に、ちらと視線をやる。

「過客とは過ぎゆく人のことを指す。とどまることのない一期(いちご)の接触……託宣に従ったことで、君たちのような勇士に巡り会えたのだから、まさに幸運というべきだろうな。かくいう私とて、突然担ぎ上げられた領主なのだから、そういう意味では過客と呼べるのかもしれない」

 ふふ、と小さく笑うが、すぐに表情を引き締める。

「〈竜〉への尊意と敬愛を未来永劫捧げ尽くす誓いの炎、『尽心(じんしん)』をこの廟に灯すことは、スクラフトの後継と認められた者にしかできず、同時にそれは召喚の儀式をる条件がすべて整ったことを意味する。だから」

「ユール様」

 そこまで言った時、背後から思わぬ声がかけられる。

「皆様が」

 頭をすっぽりと覆う兜の内側から発せられる、初めて聞くダリウスのそれ。いやそれよりも、いつの間にこれほど近づいたのか、先ほどのように繋ぎ金具が擦れる音はしなかったのにと、アーツはさとられぬよう彼の実力を読んだ。

「時間らしいな」

 鎧姿の背の側に、政庁の役人が儀礼着姿で待ち構えているのが見て取れた。儀式は翌朝の日の出までかかるのだそうで、ユールは夜通し一人で廟に籠もる事となる。

「どうやら自分で思う以上に気が張っていたようだ。だが、君と話したおかげで大分落ち着いたよ」

 そんな彼の胸元に、紐を通した透明な手のひら(よう)の板が下げられていたことに初めて気づくが、その正体を問う猶予は既になく。

「では、行ってこよう」

「はい」

「見ていてくれるな」

 最後、自身を鼓舞するような口ぶりに、言葉ではなくひとつ頷き答えると、彼は安堵したように微笑み、儀礼着の裾を翻して廟へと向かっていった。

「廟に参り、未知を拓け」

 その背を見送っていた耳に、場にとどまっていたダリウスの呟きが届く。

「私がお預かりした〈(ディスリーティア)〉の御言葉です」

「〈(ディスリーティア)〉の?」

 一体誰に向けたものかと聞き返す間もなく、彼はがしゃりと金具を鳴らして踵を返し。

「じきに」

 不可解な一言を残してユールを追い、去って行った。

「『龍使(りゅうし)』というのは、〈(ディスリーティア)〉の声を()()()()伝達することのできる特殊能力者を指すそうだよ。国全体でも、片手で数えられるほどしか居ないとか」

 入れ替わりで近づいてきたナタリフが解説してくる。

「中央政府が寄越してくる部隊だ、リシリタの動向を知ってりゃなおさら、何がしか仕込んでくるだろうとは思ってたが……まさか直接投入してくるとはな」

 同じくしてやってきたウィラードが補足する。

「すると、今回の廟参りに関しても」

「持ち込まれた新たな『託言』ってやつを元にユール殿が出した案を、アイツがひとつ頷いただけで決められたのさ」

 ウィラードは補完事務の依頼が解消された後も、ユールに個人的に乞われて政庁に残っていた。廟参りの方策決定会議にも出席していたというから、その言葉は見てきた場そのままなのだろう。

「〈(ディスリーティア)〉の声は、彼が成り代わる()()()()()によって、必要な時それを理解しうる者に届くと言われているそうだ。種族や人種、性別、年齢、来歴に関わらずな。希少な魔法現象である上に、気運と時機を読み下されるそれは予言も同然の扱いで、こと至高の国(ハイラスト)においては絶対的であるらしい。ま、それが俺たちの信用保証となったのも事実だが」

「そうそう。諸々詮索されずに同行を許されたおかげで、この間の魔物の出所と手引きの方法がほぼ確定したも同然だからね」

 さらりとこともなげに口にされたそれに驚く。

「儀式の完了までには大分時間があるから、他に獲得した情報も含めて、じっくり詳しく解説してあげるよ」

「徹夜で付き合わせる気か? こちとら日がな一日の肉体労働の後だぞ」

「僕だってそこまで非道じゃないよ。疲労回復の霊薬(エリクサ)も持参してあるし、ちゃんと数刻は睡眠時間を取ってあげるから安心して」

 まるで水を得た魚のように顔を輝かせるさまに、アーツは苦笑する。本当だろうなと疑いの目を向けているウィラードをなだめてから、遠目にひととき廟を見やった。

『見ていてくれるな』

 直前のユールの表情を思い起こして。願わくば、彼の、そして皆の願い通りにならんことをとしばし祈る。

 そうして今の自分には待つことしかできないと腹をくくると、早速解説を始めたナタリフに向き合い、月明かりの下で耳を傾けた。

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