第Ⅳ章 紅き文身(ぶんしん)(1)
夏の森に剣戟の音が響く。
枝葉の間を抜けた光を返し煌めく刃。眼前の赤目の獣の断末魔を耳に、振り下ろしたその手応えを確信して、アーツは刀身に付いた血を払うと傍の草むらに隠れていた人々に声をかけた。
「もう出ても大丈夫ですよ」
はい、と答えて立ち上がった彼ら。再び列の前に出ていく姿に、怪我はなさそうだと見てから、黒く変色しボロボロと崩れていく複数の骸に目を戻した。
「まいったな」
「同感だ」
ふと口をついて出たそれに、後続の一団を引き連れたウィラードが小声で返してくる。立て続けに起こる戦闘。もう何度目かわからないそれに、蓄積した疲労感と嘆息をぐっと腹に押し込めると歩みを再開した。
ハイラスト龍王国の北の港町、ナーサスへの到着から五日目。
未曾有の災禍に見舞われた街は、中央政府による舵取りが本格化し、不明者の捜索活動はもとより、生活再建に向けた復旧作業が日々勢いを増して進められている。
そんな中開かれた昨日の慰霊の儀において、ユールは歴代領主が継承してきた『廟参り』を宣誓し、今朝方夜明けと共に十余名を連れ、ナーサス湾の北側に張り出す半島へと足を踏み入れたのだった。
それから半日。太陽は既に自分たちの背の側、ナーサス市街を囲む険峻な山の向こうに沈み、視線の先に茂る盛夏の森は陰り始めている。
「あらかじめ聞いてはいたが、難儀だったな」
ここまでの歩みを振り返って呟く。廟まで続くというこの道は二、三人が肩を並べられる程度の幅あったが、長く人の手が入らなかったことで原始に戻りつつあり、その状態がそのまま魔物との交戦の場となったため、遭遇のたびに余分な労力と時間を費やす羽目になった。
「だが、流石はナーサスの民だ。泣き言の一つも漏らさねぇ」
半歩前を行くウィラードの称賛に、ああと強く頷くと、自分たちの前方――先程護衛した彼らに目を向ける。先導役に抜擢された領民たち、地勢を知り尽くした彼らが、魔物と出くわす恐怖を抱きながらも草木を払い道を拓いてくれているのだ、これほど心強いこともない。
「あと一刻もすれば廟に到着するはず。もう少しの間、頑張ってくれ」
貢献を裏付けるかのように、背後に続く一群の中から大山羊に跨ったユールが激励を放つ。込められた期待に、皆滴る汗を一斉にぬぐって腕を掲げた。
その後宣言通りの時間が経過した頃だろうか、森に下りた夜の帳を縫って、ひんやりとした風と潮の香りが届き始める。
「見えたぞ!」
先頭の一人が明るい声を上げると、全員が勢いを増し、最後の一足を進めて文字通り躍り出た。木立を抜けた先に開けた広い空間、短い芝が地表を覆い、空と海とを同時に臨む断崖の突端に、黒い石造りの大きな建物が見える。あれがそうかとユールを振り返ると、彼は大きく頷いて、乗ってきた大山羊から芝の上に降り立った。
「予想通り困難な道のりだったが、皆の力を借りてここまでたどり着けた。ありがとう。儀式は月の南中を待って始めようと思うが、それまでは各自食事を取って休んでいてくれ」
岬は既に暗く、よく晴れた空には月が上り星も瞬いている。その下で周囲を見回すと、灌木が点在する岬の一角に、石造りの建物がもう一つ見えた。随行してきた政庁の役人曰く、後年造られた関係者の滞在施設とのことで、中に入るといくつかの区画に分けられ、奥にはかまどのある土間も設えられていた。
雨風をしのげるそこに荷を下ろし、近場から薪を拾い集めて火を熾す。
そうしてやがて伝わってきた煮炊きの匂いに、やっと到着の実感が湧いて、皆ほっと安堵の息をついた。