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第Ⅲ章 啓開(5)

 ずず。

 夜半前、突然の重い地響きに続いて建物が揺れた。

「またか」

 エドヴィンが口にするや、カタカタと周囲の小物が音を立て始め、小刻みな振動がしばらく続く。そうしてゆっくりと遠ざかっていくそれをうかがってから、居合わせた全員がほっと気を緩めた。

「おさまったようだ」

 エドヴィンの右隣、食堂の奥側に座った黒髪の青年が、テーブルの上に置かれていたカップを押さえる手を外して言う。その言葉に頷きを返してから、エドヴィンの左隣に居たアーツは改めて話を切り出した。

「昼間エドに言伝(ことづて)が届けられた時には、まさかあなたがいらっしゃるとは思いもしませんでした」

 素直な驚きを向けると、彼――ナーサス領主たるユール・スクラフトは小さく笑った。

「正規軍の到着によって、救助に関する大半の権限を一時返上したため、少し猶予ができたんですよ」

 そう語る表情は穏やかだ。旧知の友の宅だという安心感もあろう。

「で? その希少な時間を使ってまでウチに来たのはどういう訳だ。しかも、こんな時間に護衛もつけず一人で」

 よく知る相手とばかりに遠慮のないエドヴィンの問い。ユールはひとつ息をついてから答えた。

「これからのことを相談したくてな」

 そうして先程押さえていたカップを手に取り、中の水を一口含む。

「いよいよ『召喚』を試みなければならなさそうだ」

 その言に、エドヴィンと二人で顔を見合わせる。

「今回の災禍によって、ナーサスに棲まうはずの〈竜〉の加護が失われたであろうことが確実となった。これまでは噂話の域を出ない、単なる憶測に過ぎなかったが、街にこれほど甚大な被害が及んでもなお、守護たる〈竜〉がその姿を現さずにいることに、市民はひどく消沈し将来を悲観していると報告が上がってきている。この新たな不安の種が人々の間に根付き、いらぬ混迷を招く前に手を打たねばならない」

 紡ぐにつれ取り戻していく領主の顔。成程と腕を組むエドヴィンにアーツもすんなりと同調した。

 昼間、暫時の休憩後にヴェルジ神殿へ戻った際、まさにその懸念を目にしたのを思い出す。人員の追加を得て本格的に始まった復旧への諸々の手続きの列に混じり、〈竜〉の力の喪失を嘆きナーサスの行く末を危ぶむ訴えが所々から聞こえてきていた。昨日の今日で心情的には理解できるし、加えて先程感じたような地鳴りを伴った不気味な揺れ――それは今朝方から始まり、徐々に増えているようにも感じる――に襲われるのでは、なおのこと心細さも募るだろう。だからこそユールはこの(ナーサス)にとっての支柱(よりどころ)をいち早く取り戻したいと考えているのだ。

「しかし、もとより〈竜〉は人間の理屈の外にいるものです。何か具体的な策でも授けられているのですか?」

すると、ユールは懐から一冊の書物を取り出し、天板の上に乗せた。青い表紙のそれを軽く撫でつつ言う。

「『(びょう)参り』です」

「廟参り?」

「ええ。その昔、このナーサスにやってきた〈竜〉と初めに契りを結んだ夫である『スクラフト』は、その後代々彼の一族の中から選ばれ、〈竜〉が最初に降りたと言われる場所、そこに築造された廟を訪れるのが習わしとなっています。しかしながら、私は訳あってそれを成していない」

「なぜです」

その問いに、ユールとエドヴィンが顔を見合わせ苦笑した。

「理由の一つは路程にあります。廟はナーサス湾の北側に張り出した半島の先にありますが、その道のりは非常に険しく、到着までにかなりの時間を要します。更にいつの頃からか魔物が目撃されるようになり」

「魔物」

「先代の廟参りの頃までは、魔物どころか野生生物さえ滅多に遭遇しなかったんだが、この一年弱の間に動きが活発化しててよ、挙げ句、街を囲む城壁のすぐ外側でも目撃されるようになっちまって……領館の先遣隊が調査検討した結果、廟参りは当面見合わせざるを得ないと判断されたのさ」

 言葉尻を取ったエドの補足に、アーツの心がざわついた。

「廟参りは〈竜〉との絆を永く結ぶための儀式であると同時に、『召喚』の方法を紐解く重要な機会でもあるのです」

「召喚、ですか」

「ええ。失われた竜の守護を回帰する唯一の方法は、廟の最奥に隠されていると言い、領主たる者がそこを訪れる以外には知る術がないのです」

「それで、どうしようってんだ」

 話の先を促すエドの声に、ユールがテーブルの上でおもむろに手を組んだ。

「エディ」

「あん?」

「そしてウィル殿」

「はい」

「二人にそれぞれ頼みがある」

 強い語調に居住まいを正して聴く。

「エディには、明後日予定しているシリュエスタ統括神殿での『慰霊の儀』で私の警護を頼みたい」

 曰く、今回の災禍に見舞われ、各神殿や公共施設に安置されている遺体は、身元が確認され引き渡された者から順に、シリュエスタの〈鎮魂の(つかさ)〉で慰霊され神々の世界へ魂を送られる手はずとなっているという。その初回にはユールも列席するため、ヴェルジの警備部が動員されることだろう。

「所属部署は異なるが、代理者権限で一時的に命ずるからそのつもりで」

「それは警護って理由だけでのことか?」

 何気なくさらりと発した問いかけ。けれどその一言で、ユールの(おもて)に、これまでにない複雑な心情が溢れ出たように見えた。

「公私をわきまえない我儘な男だと責めてくれるなよ。こう見えて、私は街に友人が多いんだ」

「んなこと、とうの昔にに知ってるさ」

「みんなに()()を誓って送り出したい」

「そうか」

 わかった、と短く答えたエドに次いで、今度はこちらを向く。

「ウィル殿」

「はい」

「あなたには、鎮魂の儀の翌日から始まる『廟参り』での護衛を頼みたい」

 思いがけない依頼に心底驚く。

「先程話したとおり、廟までの道のりは険しく魔物も跋扈している状態だ。本来なら自国の者を引き連れたいところだが、今は皆持ち場を離れられない。ならば、腕の立つ()()()()()を任意に採り上げた方が、よほど効率が良いのではないかと思ってね」

 似たような話を昨日も聞いた気がするな、と相変わらずの胆の強さと思い切りの良さに思わず苦笑する。

「明日到着予定の中央行政庁からの増援を以て、君ら一行の隊長たるアーツ・ラクティノースとあなたの臨時登用はすべて解く。以降は私個人が雇う護衛として力を貸して欲しい。このことは既に(アーツ)に伝えていてね」

 言いながら椅子の背にかけていた上着から何か取り出し、テーブルの上に置く。

「ひとまずはこれを手付金としたいんだがどうだろう?」

 ナーサス領区の紋章が刻まれた丸い赤札。領主自ら交付された滞在認可証を見やってから小さく息をつく。

「私は一員でしかありません。(リーダー)の返答次第ですね」

 言いながらも、内心では瞬時に結論付ける。

「ならば交渉成立だな」

 やはりなと思う目の前でにこりと笑い、首尾は上々と言わんばかりにやおら立ち上がったユールは、天板の上の書物をこちらに差し出してきた。

「これは」

「『ナーサス竜史』という記録書だ。隊長(アーツ)には既に目を通してもらったから、君にも目を通しておいて貰いたい」

街の成り立ちと竜との関わりを知るには手っ取り早いぞと渡し、そのまま上着を羽織ると通りに面した扉に向かって歩いていく。一歩足を出すごとに、踏みしめる強さと決意が増していくような、そんなふうに見える足取りと背中だった。その彼がふと扉の前で立ち止まりこちらを振り向く。

「ところで、館を出掛けに舞い込んできた情報なのだが」

 その目に宿る光は深刻で。ただならぬ気配に一瞬で空気が張る。

「エディ」

「なんだよ」

「お父上が見つかったぞ」

 ざわりと場が凍る。だが。

「昨夜、第三階層の問屋街近くのシリュエスタ分神殿に運び込まれたらしい。軽症で、意識が戻ったあとは受け答えもしっかりしているそうだ」

 行ってこい、という続きを最後まで聞かぬうちに、彼が開きかけていた扉を怒涛のごとく疾風が駆け抜けて行く。

「よかったな、エディ」

 開かれたまま捨て置かれた扉。その向こうにある宵闇に呟いたユールの顔には、どこか泣きそうにも見える安堵の笑みが浮かんでいた。

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