はじまりは雨の中
これは、「思い出は風の中」の続編です。そちらを読了されてから読まれることを推奨します。
朝から雨が降っていた。これから一雨ごとに涼しくなっていくのだろう。
俺は杉山を見回って、まだ小さな杉の苗木が順調に育っているのを確認していた。
やがて空が暗くなってきたので、今日は早く家に帰ることにした。雨足が強くなっていく。土砂降りだ。
家の前まで来た時、人影が見えた。
「こんにちは、トオル君。今、帰りなの?」
それは、元同級生のユリ子だった。あの同窓会の日の、衝撃の彼女。つい、また目をそらしてしまう。
「あ、ああ。雨が降ってきたからな。で、何か用か?」
俺は、そっけなく答えた。
数秒、奇妙な沈黙が下りた。さすがにこれは同級生に対して冷たすぎたかと反省する。
何か言わなければと口を開きかけた時、ユリ子が話し始めた。
「う・・・ん。先日の同窓会の写真ができたから、持ってきたの。トオル君以外にもみんなが写ってるのがあるけど、見る?」
「そうか。悪いな、わざわざ。こんな雨の中なのに。外じゃぬれるし、中に入れよ。」
「・・・ありがとう!」
ユリ子の顔がパッと明るくなる。よく見ると肩のあたりがだいぶ濡れていた。きっとほかの同級生の家も数件回ってから来たのだろう。傘に入りきれないわけではないと思うが。
玄関の引き戸を開けながらユリ子に訊いてみる。
「大変だな、お前も。写真屋だもんな。今日は家の手伝いか?何件か回ってたんだろ?」
「えっ・・・ううん。別に・・・」
ユリ子はなぜか口ごもっていた。そして言いにくそうに切り出した。
「ねえ、あの・・・タカシ君から聞いたんだけど・・・さ、」
言い終わらないうちに、おふくろが俺たちに気づいて家の奥から出てきた。
「あら、トオル。お客さん?」
「ちがうよ。同じクラスだったユリ子だよ。写真を届けに来ただけだって。」
するとおふくろの声が一オクターブ跳ね上がった。
「まあ、久しぶりねー。ユリ子ちゃん、元気だった?」
「はい。ご無沙汰していました。今度こちらへ戻ってきたんです。またよろしくお願いします。」
「あなたも大変ねぇ。お父さんが体調崩して呼び戻されたんでしょう?せっかくいいお勤め先だったのに。お父さんの様子はどうなの?」
「それが・・・あまり良くないみたいです。あの性格だから休みも取らずに働いていたらしくて・・・。
「まあ!そうなの!?とにかく上がって。お茶を淹れるわね。あら?濡れてるじゃないの!女の子に風邪をひかせちゃ大変だわ!」
おふくろは急いで中に入っていった。タオルでも持ってくるのかな。
ぼんやり考えながら、俺はユリ子に言った。
「んじゃ、入れよ。」
それにしても、おふくろってこんなに喋る人だったけ?さっきのマシンガントークなんて聞いたことなったぞ。
「全くトオルは気が利かないのね!タオルも持ってこないし、お茶の支度もしないで突っ立てるだけなの?!」
いろいろ手に持ったおふくろは、珍しく怒っている。何だ?いつも俺はそんなことするタイプじゃないぞ?
ふと、気づいた。もしかしておふくろは女の子がいたら、こんなふうになっていたのかもしれない、と。寡黙な親父にいつもむっとしていた俺。話す相手がいなかっただけなのかもしれない。
女が二人も家にいると、急に家の中が明るくなった気がした。なんだか不思議な感じだ。
目の前でお茶を飲むユリ子の指に指輪はなかった。おふくろと話しながら、照れくさそうに笑うユリ子に昔の面影が重なった。まるで中学の頃に戻ったような気持ちになっていた。
同窓会の写真はよく撮れていた。昔、一緒に遊んだ仲間たちが、ネクタイなんぞをしめてビールジョッキ片手にカメラ目線でどや顔をしている。
他の写真も見られてよかったと思った。ユリ子が来てくれたおかげだ。
「プリント代はサービスしておきますね。これからもどうぞごひいきにしてください。」
「えっ?悪いよ、払うよ。そっちも仕事だろう?」
「いいんですよ。あいさつのかわりです。」
その時、俺は急に何かがのどに詰まったように息苦しくなった。いや、苦しいのは胸か?
なかなか帰らないユリ子は、もしかして・・・
他の家を回っていたのではなく、雨の中ずっと俺を待っていたのではないか?
不意に、ユリ子の言葉がよみがえった。
『タカシ君から、聞いたんだけど・・・さ、』
そうだ、タカシは俺の初恋がユリ子だと知っていたはずだ。あいつの友情に心がほんわりと温かくなる。
うん。きっとそうだ。
「じゃ、その代わりに、今度食事をおごるよ。それでいいか?」
これが、脳みそをフル回転させて出した俺の答えだ。
この俺の返答にユリ子は目をまん丸にした。そして、涙がぽろぽろっと見開かれた目からこぼれた。
それを手でぬぐいながら、ユリ子は言った。
「・・・私、結構食べますけど、いいですか?」
おれは、「ほどほにしろよ」と言いそうになったが、上目づかいにみつめられると、違うことを言っていた。
「ま、いいんじゃないか。お前はお前だし。。」
いつの間にかおふくろの姿はなかった。どうやら気を利かせてくれたらしい。でも、どこかで聞き耳を立てているはずだ。
「じゃ、送っていくよ。」
俺が立ち上がると、つられてユリ子も立ち上がった。俺はこいつの前ではかっこいい男でいたいと思った。
いつの間にか、雨は上がっていた。