1 プロローグ
西暦300x年、日本はサガ帝国の支配下にあった。
話を遡れば、西暦250x年、日本政府は崩壊。
政府崩壊後、群馬県がその圧倒的な武力を以て台頭。
グンマー帝国を形成し日本の実権を握っていた。
しかし、西暦285x年。グンマー帝国内で帝位争奪争いが勃発。
内部闘争によって弱体化したグンマー帝国を倒したのが、北九州一帯に勢力を持っていた、
サガ伯のワラスーボ族であった。
ワラスーボ族の族長、ワラスーボ1世は皇帝即位を宣言、ここにカラツを都とする、
ワラスーボ朝サガ帝国が誕生した。現在、日本は同皇帝:ワラスーボ4世の支配下にある。
サガ帝国の支配は過酷そのものである。
重い人頭税と棟別税を臣民に課し、ワラスーボ族に優位な諸政策を打ち出した。
また、他部族の勢力を弱めるため、強制移住政策を打ち出した。
それは殊に、トゥツィギー族に対して厳しい条件であった。
トゥツィギー族はかつての栃木県に住んでいた一族の末裔である。
誇り高き彼らは、サガ帝国の侵略に対し、最後まで降伏を拒み抵抗した。
トゥツィギー族とサガ帝国軍の最後の戦いである、アシカガーの決戦では、
最終的にサガ帝国軍が勝利したものの、犠牲者の数はサガ帝国の方が多かった。
戦いは当初、栃木県の隣に位置し、茨城県から独立した、イヴァラキー社会主義共和国連邦軍が
トゥツィギー軍に味方したため、サガ帝国軍が劣勢であった。
しかし、戦いの途中、自治領とすること条件にサガ帝国がイヴァラキー社会主義共和国連邦の第一書記長であったミットー書記長を説得。
連邦軍司令官ゴカーがサガ帝国側に寝返ったため、形勢は逆転し、トゥツィギー軍は敗北した。
故に、時の皇帝ワラスーボ2世は、トゥツィギー族に対して厳しい処分を下した。
「トゥツィギー族をトチギの地からアオモリンへ移住させる。」
この“アオモリン送り”と呼ばれる処分は、諸部族から恐れられていた。
アオモリンは列島の最北端に位置し、寒い不毛の地として知られている。
トゥツィギー族は愛する故郷、トチギを追われ、アオモリン送りとなった。
強制移住の日の朝、
トゥツィギー族の酋長、オヤーマ・シャー1世は一族の居館であったギオン宮殿
に一族を集めて演説を行った。
「トゥツィギー族は、今日限りでトチギの地を追われ、アオモリンに行くこととなった。
おそらく、過酷な生活が待っていよう。
しかし、みんな、トゥツィギー族の誇りだけは、どんなにつらくとも忘れてはならない。
いつの日か、再びトチギの地に帰ってくるその日まで、耐え抜こうではないか。
トゥツィギーに栄あれ!!!」
「オーーーー!!」
トゥツィギー族の旅路は悲惨なものであった。
アオモリンまでの過酷な行進は“死の行進”と呼ばれ、トゥツィギー族の約半数が亡くなった。
死の行進から100年、祖父:オヤーマ・シャー1世の遺志を継いだ、孫のオヤーマ・シャー3世は
アオモリンの地で誓う。
トゥツィギー族に光を。
ワラスーボ朝を打倒して、オヤマを都とするトゥツィギー王国を建て、圧政から人々を救おう。
第一話 プロローグ 完