第5話 孤独
家に帰ると、家族はまだみんな仕事なのだろうか、誰もいなかった。ひっそりとした自分の部屋の中、使い慣れたPCの電源を入れる。
色々なことが中途半端だ、作りかけの曲もあるし、バンドの曲も練習しないと。
けど、何もやる気がしない、体がうまく動かなかった。
ああ、もう色々嫌になって机に突っ伏す。
眼を閉じて、じっとしていると、いくつもの光景が頭の中をよぎる。
初めてあかりと一緒に陽気な空の下で、クジラを初めて見たときのこと。
原っぱにいるタンポポの幽霊、手に残った冷たい感触。
真赤な眼をして暴れまわるクジラ、自分の感情にのみ込まれた。
幽霊はあんな風になっていくのだろうか?
もう元には戻れないのだろうか、怒りと恐怖に満ちていた。
上手く言葉が表示されなかった、ホエリンガル。
そして甲高いクジラの鳴き声、今にも張り裂けそうな悲鳴。
甲高いクジラの声?不意に僕の頭の中に何かが閃いた。
音だ、単純に周波数だ、クジラの声がうまく変換されないのは。
ガタリと椅子を蹴るようにして身を起こす。
僕の予想が正しければ、ホエリンガルがうまく動作しない原因は音の高さだ。
元になっているクジラの音に対して、空を飛んでいるクジラの声は妙に高いのだ
どうして、こんな簡単なことに気付かなかったのだろう。
そこで僕はスマホに録音した原っぱクジラの声の周波数を少し下げてみた。
用はカラオケとかであるキーを下げるのと同じことだ。
そして下げた声をホエリンガルにかけてみる。
最初は音を下げ過ぎたのかうまくいかなかったけど、何度か微調整を続けるうちに
僕のスマホに初めて、文字が浮かんできた。
おお!
はやる心を抑えきれず、調整を急ぐ。
長かった、ここに来るまでにどれだけかかったことか。変換中にノイズが混じり、言葉は途切れ途切れになる。
けれでも、そこには
“さみしいな、一人だな”
“誰もいない”
“誰も僕の話を聞いてくれない”
“海に帰りたいなあ”
“友達がほしい、友達がほしい“
“おおーい、おおおーい、誰かいませんかあ”
あまりにも孤独で辛い、そんな文字がスマホ上に表示される。
こいつ、何を思って今までいたんだろう。
思わず僕が色々考えている間にも、録音音声は再生され続け、クジラが大絶叫を上げ僕らに突撃してきたときの声が変換される。
“ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ”
“そこにいるのは、誰だよ、こっちを見ろよ”
“僕の話を聞けよ、聞けよ、助けてよ”
“助けてよ、助けて、誰か、助けて、一人でいるのはもう限界だ”
“辛いんだ、寂しいんだ、もう無理だよ、もう無理だ”
“誰か助けてよ、友達になってよ、さみしいんだ。”
“さみしんだ・・・・・・”
“海に帰りたい、ここはどこなんだ、うまく泳げない“
“ああ、ああ”
それから声にならない悲鳴ともつかない泣き声のような音が聞こえてくる。
録音音声が終了しても、僕はその場から動けなかった。
孤独なクジラの声が突き刺さる。
お前いったいなんで・・・・・・
クジラが抱えていた思いは、“孤独感”
あまりにも一人ぼっちだ。
そういえば、前に学校の図書館で
クジラについて調べていたときにちらりと見たとある記事の内容が僕の脳裏かすめた。
一人海の中を孤独に泳ぐクジラの話。
必死になって、震える手でページを探す。
学者たちの研究ではこのクジラの声は他のクジラよりも若干高い。
仲間たちが一定の周波数内の声で話すのに対し、彼の声は高すぎて誰にも届かない。
他のクジラと、コミュニケーションをとるためのものが何もかも違うのだ、耳も、口も、言葉も、全部・・・・・・
今日も一人海の中をさまよい。
誰にも届かないままずっと、ずっと・・・・・
クジラの言葉は、少し前の僕と同じ感情だ。誰にも認められず、部屋の片隅で曲を作り続けていた。本当に孤独で、何もないみたいだった。
そうだよなあ、僕はお前なのかもしれない。
僕はもう一人の自分を見ているのかもしれない。
別の最新記事によると日本の大学教授が、浜辺に打ち上げられている彼の死骸を見つけたらしい。青と黒の混ざった特徴的な外見と、昔からある傷の位置からほぼ間違いないとのこと。
そしてその骨は標本として教授の母校である高校付属の博物館へと寄贈されることになった。
あれ、この学校ってもしかして・・・・・・それは間違いなく僕らの高校だった。
そしてこの教授が集めたクジラの音源を使って僕はホエリンガルを完成させている。世の中は狭いものだ。
一人で叫び続けて、助けを求めてずっと泳いで、それでも結局お前は独りだったんだな・・・・・・
そして、誰とも会うことができずにそのまま死んでいったのか。
このままクジラを放置しておくなんて絶対にできない。
何が何でも助けてあげないと。
誰にも見えない孤独な幽霊のまま、この広い空を飛び続ける。そんな風にはさせたくない、僕はそう思った。
絶対に・・・・・・




