無題2
部屋の照明を落とした時、よく思います。隣に、誰かが居て欲しい。出来るならば、自分が心に決めた相手が居て欲しい。そう思います。
私は男です。男性は、隣に女性が居ると、少なからず癒しを感じて、心地よい気分になります。もし隣に誰も居なくても、それを想像するだけで同じような気持ちになります。
でもやっぱり、現実に居て、自分を包んでほしい。
ふと、去年終わった恋を思い出しました。高校生活もそろそろ終わりを迎えようかという頃、それまで一途に思いを寄せていた人に、自分の気持ちを曝け出しました。でも、直接は言えなかった。メールでのやりとり。相手の顔が見えないからこそ、自分の感情はどんどん高まっていきました。結局、駄目でした。
その時の胸中の感覚、ムズムズした感じが、未だに懐かしく、忘れられません。
恋って怖いもので、人を色んな姿に変えていきます。というよりかは、恋は、本当の自分を相手に露見させます。誰かと会ったとき、その人が恋をしているかしていないかなんて、目を見れば一目瞭然です。
恋をしている人の目は、決まってやる気に溢れていて、輝いています。それは、自分がコントロール出来るものではありません。人間の本能なのです。ということは、誰しも一度は恋を経験します。そんなことまだ一回も無い、と思っていても、自分で認識していないだけで、実は思いを寄せている人が居ます。人は、どんな時だって恋をしているんです。
恋の対象は、人間だけに留まりません。音楽だって、スポーツだって、結局は、恋をしているからこそ好きになれるんです。
そう考えると、認識の順番は変わってきます。例えば、人を好きになるプロセス。
おそらく殆どの人は、まず話してみて、そこから好きか嫌いかを判断しているのだと思うでしょう。しかし、それは違います。自分が関わりたいと思ったから話した。つまり、その時点で恋をしているんです。
別に私はホモセクシュアルではありませんし、そうなるつもりもありません。とても理屈っぽくなってしまいますが、ホモセクシュアルは恋ではなく、愛です。愛は恋の延長線上にあるものだ、と言われれば、私はそれに抗うだけの反論は出来ません。しかし、私は愛と恋は別物なのではないかと思うのです。
そんな講釈をグダグダしておいて、結局は欲求不満なだけではないかと思うかも知れません。確かに、私は欲求不満です。しかし、その状態にあるからこそ、そうでない人に見えない何かが見えるのではないかと思います。
人間にとって、恋をするということは大変良い事です。何かに恋をしているときは、その事しか考えられなくなります(いわゆる、恋煩いです)。一見不必要なものに見えるこの現象も、本当は大切なものです。
多くのものに恋をして、そのそれぞれにいろんな思考を巡らせて。そうして人間というのは成長していきます。最初は失敗しても構いません。恋をするというだけで、十二分にその効果を発揮します。
話はとんでもない方向に飛んでいきました。しかし、私はただ感じた事をそのままコンピュータへと打ち込んでいるのです。最初から、プランなんてありません。
文章を作ることが好き。これも立派な恋です。勉強するのが好き(最近はあまりいないみたいですが)。もちろんこれも恋です。
そう考えてみると、人って案外たくさんのものに恋しているんじゃないでしょうか?
恋をすることは大切です。なのに、恋をするのにお金は要りません。
結局、何を言いたいか。それは、またとんでもない方向に飛びます。
私は、たくさん外にでて、いろんな所を探索して、いろんなものに恋をして、人生をより楽しく過ごしていただきたいのです。
人生をまだ18年しか生きていない自分がこういうことを言うというのもおかしい話です。こういうことをすることに、自分は恋をしたので、こうやって執筆をしているのです。
どうか、皆様の出会いが、恋が、素晴らしいものになるだろうことをお祈りします。
今は、自分よりも他人。自分の事について求めるのは、もうちょっと後かと思うのです。今更だとは思うんですが。
毎度の如く、思いついた文章を打ち込みました。
深夜になればなるほど文章って浮かんでくるよね……。