睦言
彼がどこかさみしそうだったから、できるだけ優しい声で「愛してるよ」と言ってみた。
そしたら、
「ケイのそれは自己満足だよ」
と、少し笑って彼は言った。
ひどい男だ。
昨日映画を見にいった。
ちゃちなタイトルの、でもわりにうまくできたラブストーリーで私はよく泣いた。とはいえ泣くという行為は言葉たらずな私にとってただの感情の発露でしかない。
だから彼も見慣れたもので、
「今日は鼻水出なかったな」
と、からかわれただけだった。
帰りがけ、チェーン店のファミレスで唐突に彼は言った。
「ケイは俺のこと信じてる?」
ナポリタンをすすったかっこうで私は顔をあげる。
「なんで?」
彼は顔をしかめて「はねてるぞ」と言い、白いシャツの赤いシミに私は舌打ちした。
「で、なんでそんなこと言うの」
しかめた顔のまま唇をゆがめる。
「俺はケイのこと疑ってるから」
付き合い始めた当初、彼は私のことを信じて、あるいは信じようとしてくれていたらしい。
でも一年の時間をかけてちまちまと裏切っていたら信用をなくしてしまったようだ。
しかし、どうしてこの人は信用と一緒に好意をなくしてしまわなかったのだろう。
疑ってると言って自嘲する彼のことを思う。
信じていないではなく、疑っている。低い声の向こうに、信じたいという色が見えて私はどきりとした。
疑うという行為はとても面倒なことだ。疲れることだ。もうやめてしまえばいいのにとも思う。
だけど好意と不信の間で苦しそうな顔をする彼の姿は、少しみじめですごく魅力的なのだ。
そんな彼が私は好きだった。
ひどい女だ。
私は彼を信じない。だから彼を疑わない。
彼がどこかさみしそうだったから、できるだけ優しい声で「愛してるよ」と言ってみた。
そしたら、
「ケイのそれは自己満足だよ」
と、少し笑って彼は言った。
そのとおりなのかもしれない。
でも彼には言われたくなかった。
せめて彼ぐらいは騙したかった。
なのに、彼だけは騙せないのだ。
彼は私を疑っている。
電話はやはり唐突だった。
用件は単刀直入で、何の前置きも脈絡すらなく。
『別れようか』
抑えた声に背筋が冷える。
「…なんで」
『もう、疲れた』
それは確かにそうだろう。あれだけ疑っていれば。あれだけ、
しかし。しかし、これは私の望む状況ではない。
「私のこと、好きじゃないの」
できるだけ冷めた声に聞こえるようにつとめる。
卑怯なのはわかってる。しがみつくのは好きじゃない。だけど、他に手段が出てこない。
ところが。
『わからない』
あっさりと彼は言った。
虚をつかれて呼吸を止める。わからない、と、彼は言った。
私は彼を信じていない。だから彼を疑わない。
嘘。
結局、私は信じていたのだ。
彼の行為を。そこににじむ好意を。そのことを忘れてしまうほどに。
馬鹿みたいだ。
一気に力が抜けてしまった。目からウロコってこういうことを言うのだろうか。
妙におかしくなってくすくすと乾いた笑いをこぼした。
頭がうまく動かない。
彼の言葉は続く。
『ケイはどう思う?』
『俺はケイのことを好きなんだと思う?』
「うん、」
『なら、きっとそうなんだろう。ケイが信じてくれるなら』
「じゃあ、私は?」
「私には、信じてくれる人はいないの」
『信じてほしい?』
「うん」
自分の声に意識がもどる。
『じゃあ、言って』
口調がほんの少し強くなる。
「好きだよ。愛してるとは言わないけどさ」
受話器から小さく息をはく音がした。笑ったのか。落胆だったのか。
もうそれを知る方法はない。
『…うん』
それでも、彼のこたえが肯定だったから。
私も細く息をはいた。