凍てついた残像、溶かす体温(ぬくもり)
「物心ついた時にはもうスイッチの存在に気付いてました。一旦そのスイッチを入れると、僕の脳内は一気に覚醒し、周囲のありとあらゆる情報がインプットされ、高速で処理される。必要に応じてデータを蓄積し、予測や最適解を導き出す……そういう仕様なんです 」
「え、何それ、すごいじゃん」ソラが目を丸くして感嘆の声を漏らす。「パソコンの中のあれ……心臓部の……何だっけ?まあいいや、それみたい!」
「CPUですね」
「あ~それそれ」
ソラは悠真を指差し投げやり気味に言った。
「じゃあ、学校でもスイッチ入れっぱなしでいいじゃん。成績もぶっちぎりそうだし、行事とかでも大活躍間違いなしだよ。人気者になれるんじゃない?」
「でも、そうか」美月が何かを悟ったように、静かに呟く。「悠真くんは、高性能なCPUを積んだだけの機械じゃない。血の通った、生身の人間だもんね」
「はい」美月が自分の本質を瞬時に理解してくれたことが、悠真には何よりも嬉しかった。「CPUは電源が確保されている限りパフォーマンスを維持しますが、僕は人間です。休息させないとリソースが枯渇して、システムがフリーズしてしまう。 今日も……」
言いかけて、悠真は口をつぐみ、気まずそうな表情で隣の美月を見た。
「え?今日、どうしたの?」
ソラが食い気味に尋ねる。
「……倒れたのよ。バイト中に」
言い淀んでいる悠真の代わりに、美月が助け舟を出した。
「え?倒れたの?」
「……はい。あなたと学校の階段で対峙した時、僕の意思に反してスイッチが強制的に入ってしまったんです。結果、バイト中にリソースが不足し、深刻なシャットダウンを引き起こしました 」
「それは……悪かったわね」
素直にソラが謝ったのを見て、悠真はまた意外そうな表情を見せた。
「何よ……。私だって、悪いと思ったら素直に謝るわよ」
ソラはむくれた表情で、バツが悪そうにフラッペのカップを両手で包み込んだ。
「それは失礼しました」
悠真が申し訳なさそうに言った。
その横で、なぜか美月がクスクスしている。
悠真とソラは不思議そうに美月の方を見た。
「あ、いや、ごめんね、笑っちゃって。悠真くんが同級生の女の子と、こうやって掛け合うように話しているのを見るのが新鮮で……」
大人感を醸し出しながら、美月が釈明した。ソラは子ども扱いされてるようで小さな反発を感じたが、胸の内に押し込めた。 今はそんな感情、後回しだ。
「悠真くんごめんね、続けて?」
美月が優しく促す。
「……はい。つまり、ONモードはコンディションにもよりますが、そこまで長くは持たないんです。反対に、スイッチOFFの時はというと、脳の働きが『生存維持レベル』まで低下してしまう。……僕の脳は極端で、その中間を調整する機能が欠落しているんです」
「そんな極端な……」ソラが呆然としながら続ける。「でも、何となくだけど、わかってきた。普段、バイトで覚醒した脳を使うから、それに備えて学校ではOFFにしてるってことね」
「……まあ、はい、その通りです」
「でもさあ、逆、っていうか学校をONにした方が勉強もできて将来につながるだろうし、メリットたくさんありそうだけど……まあ、その場合バイトは出来なくなるだろうけどさ」
「小学校の頃、学校ではONでしたよ。でも、5時間目、6時間目にはもう、ダメでしたね。しょっちゅうぶっ倒れて保健室に運ばれてました。あの頃はまだ、リソース配分とか、自分のキャパシティーとか、よくわかってなかったんで。あと……」
再び、悠真が言い淀む。
「結構、深刻な話?」
美月が心配そうに尋ねる。
「いえ、大丈夫です」悠真は美月に微笑み返した。「……やはり、まわりが気持ち悪がるわけです。授業でとんでもないスピードで問題を解くかと思えば、ある瞬間から電池が切れた人形のようにパタッと止まってぶっ倒れる……。次第に、僕の周りから人がいなくなりましたね」
「それは……つらいわね」
ソラが、かける言葉が見つからないといった様子で、溶け始めたフラッペを力なくかき混ぜた。美月は、ソラから見えないように、そっとテーブルの下で悠真の手に自分の手を重ねた。
「授業中だけON、休み時間はOFF、とか、色々試してみたんですが……そんな都合よく何度もスイッチを切り替えるのも難しくて。切り替える動作自体にリソースを食いますし……。結局、中学に入る頃には、学校は『全OFF』で行こうと決めました」
そこまで話すと、悠真は一息つくように、手元のブラックコーヒーを一口飲んだ。
「……で、美月さんに言えてなかったのは」
悠真はそこで一度言葉を切り、組んだ指先に視線を落とした。
「何度も、今日こそはと言おうと思ったんですが……。どうしても最後の一歩が踏み出せませんでした。やはり、僕のこの歪な正体が分かった時、美月さんもかつての周りの人たちと同様に……僕を『気味の悪い、壊れた機械』だと思って、離れて行ってしまうような気がして」
その声は微かに震えていた。論理と効率で武装した彼が、初めて見せた剥き出しの恐怖。
「そんなこと、絶対にしないわ」
美月は首を振りながら静かにそう言い、テーブルの下で重ねていた手を、絡めるようにギュッと握りしめた。 吸い付くような力強さで悠真の熱を確かめるように。
悠真が顔を上げると、そこには潤んだ瞳を揺らしながらも、一歩も引かない強さを宿した彼女の瞳があった。
「悠真くんがどんな仕組みで動いていても、時々止まってしまうとしても……私が好きになったのは、それも含めた悠真くん自身なんだから。離れる理由なんて、どこにもないよ」
美月の声は、深夜の静かな店内に凛と響いた。迷いのない、確信に満ちた即答だった。
悠真は、自分の右手を包み込む彼女の指の温度を、噛みしめるように感じ取った。凍りついていた過去の残像が、その熱でゆっくりと溶けていく。
「……はい。ありがとうございます」
悠真は美月の瞳を真っ直ぐに見つめ返し、深く、深く頷いた。二人の間に、言葉を超えた確かな絆が結ばれた瞬間だった。
「ゴ、ゴホン!!」
目の前で見つめ合う二人を前に、ソラは慌てて自分の存在をアピールしようと、わざとらしく咳払いした。
「ああ、すいません。何か存在を無視したみたいになって」
律儀に悠真が謝った。
「そんなストレートに謝らないでよ。私がかわいそうな人みたいじゃん」
ソラが顔を赤くして「もう、バカ」と小さく毒づいた。
「でも」悠真がソラに向き直り、姿勢を正した。「美月さんに本当のことを話す、いいきっかけを作ってくれました。その点、感謝します」
「別に……いいわよ」
ソラは、自分の好奇心を満たすためだけに突っ走ったにもかかわらず、思いがけず感謝され面食らったが、何とか体裁を保ってそう返した。
「その見返り、ってわけじゃないけど……」
ソラがフラッペを持つ手の指を交差させながら、おずおずと切りだした。
「2人が付き合ってることを周りに言えない事情、聞かせてほしいな」
「それは、私が答える番ね」
美月が笑みを浮かべながら、でもどこか緊張感を漂わせながら、そう答えた。




