共犯者の合言葉、悪意の焦準(フォーカス)
翌朝、白石ソラは寝不足の腫れぼったい瞼で登校した。
原因は、もちろん昨夜の二人の激白だ。
自分から望んで聞いた事とはいえ、その内容は想像より遥かに重かった。生まれて初めて他人の人生の深淵を覗き込んでしまったような感覚に襲われ、胸のざわつきが収まらず、とてもじゃないが寝付けなかったのだ。
(メイクでごまかせているかどうか不安なんだけど……)
クラスのカーストトップに君臨する身として、外見には細心の注意を払っている。少しでも綻びがあれば、格好の餌食にされ、積み上げてきた地位が脅かされかねない。
校門をくぐり、向けられる視線や挨拶に適当な笑顔で返しながら、ソラは憂鬱な気分で自分の下駄箱を開けた。
すると、1通の白い封筒が、上履きの上に無造作に置かれていた。
ソラはさりげなく周囲に知り合いがいないのを確認し、その封筒を手に取った。
表にも裏にも、差出人の名どころか何も書いていない。
(……はぁ。またラブレター? 正直めんどいんだけど)
目立つ存在ゆえに、これまで幾度となく告白は受けてきた。中には下駄箱に手紙を忍ばせるという、古典的な手法で挑んでくる男子もいたが、その全てを無慈悲に、かつ鮮やかに玉砕させてきた自負がある。
だが、無視して後で騒がれるのも癪だ。ソラは小さく溜息をつき、封筒を開けて中身を取り出した。
そこに入っていたのは、想定していたような青臭い手紙ではなく、2枚の「生写真」だった。
(……っ!? 何これ……っ!?)
指先が、微かに震える。
1枚は昨日の放課後、階段の踊り場で悠真を問い詰めた際のもの。そしてもう1枚は、昨夜、コンビニの前で悠真と対峙している場面を捉えたものだった。
コンビニ前の写真は美月の姿だけが巧妙にフレームから外され、2枚ともまるでソラと悠真が密会を重ねているかのように見えるアングルだ。
慌ててソラは再び周りを見渡した。
だが、すれ違う生徒たちはいつも通り、退屈そうに教室へ向かっているだけだ。誰が何のためにこの写真を撮って下駄箱に入れたのかーーソラには、平穏だったはずの校舎が、急に底知れない悪意の塊に見え始めた。
「緊急事態。私たちが会ってるところの写真が私の下駄箱に入ってた。昼休み、3棟の2階にある空き教室に来て。密会ってやつ。頭のスイッチオンにして、誰にも気付かれず、つけられないようにして」
少し考えた後、その場で、ソラはそう悠真にメッセージを送った。いくらオフモードでも、昼までには読むだろう。
3棟は移動教室用の部屋ばかりで常設のクラス部屋はなく、昼休みは閑散としている。ましてや空き教室だ。何回か、そこに呼び出され告白された事があるので知っていた。ついてくる人間がいれば、絶対気付くだろう。
予想に反し、メッセージにすぐ既読がついた。
ほどなく、悠真からメッセージが届いた。
「了解」
(……これだけ?……あ、そうか。オフモードなら大した文章は打てなさそうね)
ソラは昨日聞いたばかりの「設定」をすぐに察せられる自分に対し、心の中で『理解早すぎ、あたしスゴイじゃん』と自画自賛した。
そうやっておどけた考えでもしなければ、指先の震えが止まらなかったからだ。
ソラはすぐに写真を封筒に戻し、制服のポケットの奥深くへとねじ込んだ。
午前中、授業の内容が全く頭に入らなかったソラは、4時間目のチャイムが鳴り終わるやいなや、教室を飛び出した。友人たちの誘いを適当な嘘でかわし、向かったのは校舎の隅にある「3棟」の2階。
予定通り、昼休みの3棟は死んだように静まり返っていた。ソラは目的の空き教室へ滑り込むと、激しく打つ鼓動を抑えながら窓の外を伺った。
(……誰も、ついてきてないわよね)
数分後。廊下から、規則正しい、だが極めてかすかな足音が近づいてきた。
ガラリ、と引き戸が開く。
そこに立っていたのは、眼鏡の奥に氷のような理知を宿した悠真だった。
彼は入室するなり、ソラに声をかけるよりも先に、鋭い視線で教室の隅々を射抜いた。カーテンの裏、教卓の下、さらにはロッカーの隙間まで。彼はさらに素早く窓際へ歩み寄り、周囲を見渡した後、カーテンをすべて閉じた。2人だけの教室が薄暗い闇に支配された。
「ここまで、言われた通りオンモードで来ました。……視覚・聴覚を駆使した空間察知だと、誰も付いてきていないのは確実です。ここも……誰も隠れてないし、カメラ、ボイスレコーダーの類は見当たりませんーーペン型のカメラとか、盗聴器レベルになると、お手上げですが」
眼鏡のブリッジを人差し指でクイっと上げながら、悠真が続けた。「にしても、不用心ですね。カーテン閉めてなかったんですか。外から丸見えですよ」
「う、うるさいわね!」
突っかかりそうな勢いでソラはそう言ったが、すぐ視線を下にそらした。
「……そこまで気が回らないわよ。寝不足だしテンパって頭真っ白だし」
ソラの様子を見て、悠真は「……そうですね。配慮せずズバズバ言ってしまい、すいませんでした」と素直に謝った。
「うん……」ソラは力なく不安そうに頷く。
「長居は無用です。早速ですが、例の写真、見せてもらえますか」
悠真が促すと、ソラはポケットから例の封筒を取り出し、写真を教卓の上に置いた。 悠真は写真には触れず、顔を近づけて写っているものを確かめた。
「……昼間の方は階段の踊り場の死角から。もう一枚はコンビニ前の道路、反対側の歩道からかもしれません。どちらも画質が荒いので、よっぽど古い性能の悪いカメラでない限り、かなり望遠で撮影したようですねーーまあ、そもそも近い位置にいたなら私もオンモードだったので気付いていたと思いますがーー問題はコンビニの方の写真ですね」
「うん……美月先輩が、写ってないよね」ソラが答えた。
「はい。気付きましたか?」
「そりゃそうよ。……バカにしてる?」
「そんなつもりはありません」悠真は写真から目を離さずに言った。「狙って美月さんが写らないアングルで撮影したか、写ってしまった美月さんを写真加工アプリかソフトで消したか……どちらかはわかりませんが」
「そんなことくらい、言われなくてもわかるわよ。私も普段、余計なものが写らないよう写真撮るし、写ってしまったらアプリで加工するし」
ソラは苛立ったように言った。
「僕ら2人が密会してるかのような写真を捏造し、白石さんに送りつける犯人の意図は何なのか……」
悠真は脳内で演算を開始したが、すぐに終了した。
「……いくつか、可能性が考えられますが、この写真だけでは、どれも推察の域を全く出ないので話にならないですね」
悠真は溜息をついた。
「じゃあ、どうすんの?結構、怖いんだけど……」
ソラが腕を組み、身をすくめながら言った。
「犯人の意図が分からないので不安ですよね」悠真が寄り添うように言った。「だから、現時点ではいくつか取り決めをしておくしかなさそうです」
「取り決め?」ソラが首をかしげた。
「まず、美月さんに話すかどうか。美月さんは写真から省かれてますので、現時点で犯人の狙いが美月さんに向いているとは考えにくい。余計な心配をかけたくもないですし、ここは話さない方が得策かと」
「そうね……私も話すべきじゃないと思う」
「じゃあ、それは決定で」
悠真は淡々と述べた。
「次は、何か犯人から接触があった時はもちろんですが、気になることがあったら何でも連絡して下さい。遠慮はいりません。私もそうします。それぞれが独断で動くと、足をすくわれる可能性もありますので、ここは協力し合いましょう」
「うん、わかった」
ソラは素直にコクコクと頷いた。
「3つめ。合言葉を決めておきましょう」
「合言葉?……なんで?」
「犯人が我々の片方に成りすまして連絡してきたり、何か非常事態が起こった時とかのために。用心するに越したことないです」
「スパイ映画じゃないんだし、なんかやりすぎな気がするけど……」
ソラは眉をひそめた。
「合言葉は片方が『パソコンの心臓部って何だっけ?』と聞いて、もう片方が『CPUだよ』と答える形でどうでしょうか」
「あんたねえ……まあいいわ、それで」
ソラはしぶしぶ悠真の提案に同意した。
「最後は……言うまでもありませんが、お互い、用心しましょう。今みたいに2人で会うのは極力避けたいところですが、同じクラスかつ同じバイト先なので、避けようがない場面もあります。その時は細心の注意を払って。でもできるだけメッセージアプリでやり取りしましょう」
「そうね……また、同じような写真撮られたら、元も子もないもんね」
「では、そういうことで。白石さんから退室して下さい。早く戻らないと、周りから怪しまれます。私はその後、周囲を警戒しながら戻ります」
悠真はソラの方をまっすぐ見てそう言い、ソラに退室を促した。
「……わ、わかった」
写真をしまい、ソラが教室の引き戸を開けて左右をキョロキョロ確認した後、口パクで『誰もいない』と悠真に伝えた後、戸をそっと閉めてそのまま立ち去った。
「さて、どうするか……」
ソラには、はぐらかして伝えなかったが、悠真の脳内ではすでに、冷徹なまでの結論が弾き出されていた。
美月を周到に排除し、ソラと自分という組み合わせのみを抽出。夕方の校内と夜遅くのコンビニという、時間も場所も隔たった二地点での執拗な記録。そして、あえて何もメッセージを残さず、ただ写真を投函してソラを精神的に揺さぶる。
それら全ての変数を統合した結果、導き出された最も合理的な仮説は――『犯人は白石ソラに執着するストーカー』であった。




