現実という雷が降る
「お待たせいたしました。オムライスセットでございます」
ここは今カフェだというのに、梓はノートパソコンを広げていた。はたから見るとバリバリのキャリアウーマンで、正直カッコいい。
「姫君、オムライスを極上にするための、儀式を執り行わせていただきます――」
梓は一瞥もせず、ただノートパソコンをずっと睨んでいた。
「ぜひ貴方にも、ご協力いただきたいのですが」
「あぁ、勝手にどうぞ」
梓の一言はとても冷たかった。
私を他人と同義しているような、血が感じられない言葉。
まぁ、こういうタイプのお客も中にはいる。そういう人はあまり相手にせず、マイペースで進めるのが得策だ。
「では、始めさせていただきます」
両手をオムライスに向けて、占い師が水晶玉を撫でるかのようにオムライスの周囲をこねる仕草を行う。次に心の中にある思いを吐き出すイメージで九字を唱える。
「りん・どう・でん・らい・がん・さく・まん・だん・らん」ここは適当なアドリブで乗り切る。本物の九字なんて唱えれば、コンセプトカフェーごっこが消えてしまう。
最後に胸の前で礼を合わせる。左手でグーにした右手を包み、無言の一礼を行う。
ここまでが私の設定、ツクヨならではのコンセプト接客の一連の動作だ。
梓は何も感じていないのか、ただ黙ってノートパソコンを見つめていた。どれほどノリが悪い人でも、こんなに気まずい瞬間は感じたことがない。
早く帰らないと私は泣いてしまうんじゃないかと思うほど、居心地が悪かった。
「では、ごゆるりとおつくろぎ――」
「いつまでこんなことやってるつもり?」
梓のもとを離れようと思った直前だった。梓の疑問と呆れが込められたとげのような質問がぶつけられた。
「はい?」
いつまでこんなこと……。どうしてそんなことを、あなたに決められなければならないの?
心の中で波打つ感情を、表に出ないように堪える。
「姫君のおっしゃっていることは、私にはよく分かり――」
「分かるでしょ。アンタも、わたしも、同じ志だったんだから」
心に突き刺さる言葉は、私の神経を壊しに来ているのだろう。なぜなら、今私は猛烈に殴り掛かりたいほどなにかに掻き立てられている。
対して梓は、大人になったことを私にアピールするかのように、一緒に注文したブラックコーヒーを涼しい顔で飲んでいた。
高校時代『コーヒーが美味しくないなんて、キミはナンセンスだね』と言いながら、ゴキブリをかじったような顔で飲んでいたあのころとは違い、本当に慣れているみたいだ。
「あなたさ、恥じらいとかないの?」
「……どういう意味でしょうか?」
つい反射的に、私は吐き捨てて言葉を出した。梓はやれやれといった、ため息一つ置いて私のほうに目を向けた。
「あなたは、いつまで中二病を拗らせるつもりなの? 私たちもう25歳、人生の四分の一を過ぎたんだから、もういい加減地に足ついた人生送るべきなんじゃないの?」
たまにこういう輩も来る。当店ではお酒も出しているから、酒に飲まれて私たちキャストに説教をかますモンスターが。そういうやつは適当にあしらって、すぐ店長に行ってで金にするだけ。大概そういう奴は自己優越に浸りたいだけのさみしい化け物だということは、長年の経験で理解している。
だけど梓、こいつは違う。私を本気で責めている。おい、お前の人生間違っているぞ。どうしてこんなことをしているんだ。と言わんばかりに。
「どうして私の人生を貴方に指図されないといけないの?」
「今、私が聞いているの。社会人なら質問に答えて」
私の感情任せの抵抗は、『社会人』という盾に弾かれ相手にされなかった。きりっとした目つきで睨まれると、頭の中で言葉や絵が駆け巡る。
言葉を必死に紡ごうとした。だけど、「え……」だの「あ……」だの、情けない中学生時代の再現VTR が始まっただけだった。
「いい加減、大人になりな」
呆れたように梓は言った。私の言葉を待たずに、話し出す。
「東京でバカな夢叶えに言って、結局潰れて出戻りしたんでしょ。いつまでも現実から逃げていないで、そろそろ真っ当に生きな」
つらつらとこちらの気も知らないで、正論に浸って私のすべてを否定し始める。口調は諭すように穏やかだけど、出てくる言葉の一つ一つに『無駄』や『恥』ときつい言葉が隠れていると思う。
「これが30になると、後戻りできないよ。このまま一生こんな暮らし。理想ばっかり追いかけて、後悔の中で死んでいく。それでいいの? お前」
……
「私たち、もう高校生じゃないんだよ」
なにも反論ができなかった。
反論したかった。できることならしたかった。だけど、私には何もない。反論できる検証がない。バリバリのキャリアウーマンとコンカフェのフリーターでは、潜り抜けてきたいばらの道が違う。培ったスキルが違う。社会的常識範囲が違う。
私に備わっている反論の余地は熱意と感情だけ。そんなもの、社会という枠組みの論理では次返されて終わりだ。
梓と私は、いったいどこで間違えたんだろう。高校時代は、同じ中二病仲間だったのに。私の夢を応援してくれたのも彼女だったのに。
「じゃあ、これで帰るから。おつりはいらない」
梓はコーヒーをすべて飲み終わると、私に二千円を差し出して扉のほうへ足を進めた。カランカランと、扉が開閉した音が響く。
手元には、梓から渡された北里柴三郎が二人。右手の人差し指に感じる、薄紙とは違った厚めの小さな紙。
それは名刺だった。
『ワタナベ紳士服店株式会社 十三支店 桧垣梓』
あいつは、私のことが嫌いなのか。
「なら、それでいいのに」
私はその時、天蓋ますみとしてずっと接客していることに気づいた。




