Drop.019『 The EMPRESS:R〈Ⅰ〉』【2】
「ははは。――こんな豪雨の中ですからね。――足元か空くらいしか見てられませんよ」
そして、そう言うなり雷は、ビルの案内プレートを見るため軒先から半身を出した法雨を、傘で護る様にした。
法雨は、その雷に気付き、慌てて言った。
「アラ、ごめんなさい。――雷さんが濡れちゃいますから、アタシは大丈夫ですわ。――それと、先ほどのお話ですけど、――依頼人でもないのに、事務所にお邪魔してよろしいんですか?」
法雨が、さっと軒先にその身を引っ込めながら言うと、雷は変わらぬ笑顔で頷く。
「勿論です。どうぞ遠慮なく。――それに、毎日忙しくしておられるんですから、風邪をひいてしまっては大変でしょう」
雷の云う通り、法雨は、家族が代々営んできた大切なバーを営む事も、自身の生き甲斐としているだけあり、風邪などをひいて、望まぬ休日など作ってはいられない――というのが本心だ。
それゆえ、法雨は、この度の雷の厚意を、丁重に受け取る事にした。
「――そうですね……。――それじゃあ、恐れ入りますけれど……、――今回は、お言葉に甘えさせて頂きますね」
「はい。――ぜひ」
そして、そんな法雨が礼を言うと、雷はまたひとつ笑むなり、すっかりとずぶ濡れた法雨を、丁重に事務所へと案内した。
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「――どうぞ、中へ」
雷は、事務所のドアを開けると、法雨を中へと促した。
「あ、ありがとうございます。――でも、このまま入ると汚してしまいますわ……」
そう恐縮し、中に入るのを躊躇う法雨の秋物ジャケットは、両手に持っていた彼の荷物と共に、すっかりと濡れてしまっていた。
しかし、そんな法雨をも安心させるように笑むと、雷は再度促した。
「大丈夫ですよ。――ですので、さぁ」
「す、すみません。――じゃあ、このままお邪魔させて頂きますね」
「はい。――どうぞ、お気になさらず」
そんな雷の厚意に背を押され、法雨がおずおずと事務所に入ると、扉を閉めるなり雷は言った。
「――ジャケットの中も濡れてしまっていますか?」
「あぁ、いえ。――幸い、ジャケットの中は無事でした」
「それは良かった。――では、こちらにどうぞ。――あぁ、濡れてしまっているところは、これで拭いてください」
「あぁ、本当にすみません。――ありがとうございます」
雷に促されたソファに腰掛ける前にと、尾や髪から滴る雫をハンカチで拭う法雨に、雷は、清潔感のある柔らかなタオルを丁寧に手渡した。
法雨がそれに恐縮しながら受け取ると、雷は笑んで続けた。
「法雨さんは、紅茶でよろしかったですか?」
その問いの意図を察し、法雨はあたふたと恐縮しながら応じる。
「えっ、あ、あぁ、はい。――紅茶で、大丈夫です……。――もう、本当にすみません……。――何から何まで」
「ははは。俺が勝手にお誘いしたまでですから、そう恐縮なさらず。――それに、空が機嫌を直すのには、まだしばらくかりそうですからね」
タオルを受け取った法雨が、しきりに恐縮するので、一度事務所の奥に向かった雷は、そこから安心させる様にして言うと、次いで、奥から戻ってきては、洒落たティーカップを法雨の前にことりと置いた。
そして、落ち着いた高級感のあるローテーブルを挟んだ向かいのソファに腰かけると、雷は、自身の前にマグカップを置いた。
そこで――、洒落たティーカップの中、温かに煌めくオランジュカラーに対し、向かいのシンプルなマグカップでは、暗い鳶色が温かな水面を揺らしている事に気付いた法雨は――、以前、不意に投げかけられた京の言葉を思い出す。




