Drop.010『 The EMPEROR:U〈Ⅰ〉』【1】
「――そういえば……。――これの事も、すっかり忘れてたわね……」
法雨と若いオオカミたちの密会が、完全なる終幕を迎えてから数か月ほど経つ頃には、梅雨もすっかりと明けていた。
そして、亜人たちの尾の毛並みもようやっと湿気から解放され、風は夏を思わせるようになってきたその日――。
いよいよとやってくる夏に備え、店のワインセラーへと向かうべく、デスクから鍵束を取り出した法雨は、ふと、引き出しの中で佇む小さな紙に目を留めた。
それは、法雨が雷と初めて会った日に手渡された、雷の名刺であった。
その名刺には、雷の名や連絡先と共に、“円月探偵事務所”という印字が添えられている。
“円月”とは、雷の姓であるが――、その名刺に因れば、雷は探偵業を営んでいるらしい。
そして、そんな雷の様々な情報を法雨に伝えてくれるその名刺が、“何故、法雨に手渡されたのか”――を、法雨は今しがた思い出した。
「う~ん。――修理代、ねぇ……」
そんな法雨は、そう言いながら名刺を手に取ると、それからしばしばかり、印字された“雷”の名を眺めた。
― Drop.010『 The EMPEROR:U〈Ⅰ〉』―
法雨は、その名刺を渡されてから数か月が経過した今も、雷への連絡はしていない。
そして、あの日以来――、雷への連絡はおろか、その顔すらも見ていないのだが――、実のところ、“雷の話だけは”――散々と聞いていたりはする。
――と云うのも、法雨が一切尋ねていなくとも、店にやってきた京たちは、雷の話を勝手にし始めては、それを散々と法雨に聞かせてくるのだ。
どうやら彼らは、数か月を経た今も、雷とはよく会っているらしいのだが――、そんな彼らは、店に来る度、毎度、こう切り出すのだ。
――雷さん。マジかっこいいんすよ!!
そして、そんな決まり文句から、日々様々な雷の話題が法雨へと共有されるため、法雨は、一切会っていないのに、まるで毎日会っているかのように、雷の事を掌握してしまっているのであった。
だが、そのような中でも、当の本人――雷はと云えば、やはり、一向に顔を見せる気配はない。
(――“私立探偵”って云うのが、あの子たちにはかっこよく見えるのかしら……? ――まぁ……、外見がイイのは認めるけど……)
あの日――、静かに差し込む朝陽のみがその場を照らす――明け方らしい薄暗い倉庫の中でのやりとりではあったが、――幾つか会話を交わした短い間に見ただけでも、雷の容姿が端麗である事は、はっきりと見て取れた。
さらには、あのがっしりとした体つきに高身長ときているのだから、外見的な魅力は文句なし――と言ったところだ。
また、身に纏う漆黒の毛並みも、魅力的な彼にはまさに最適な毛色でもあった。
そんな雷の容姿をしばし想いながら、その優しく低い声色をも思い出したところで、法雨はひとつ思う。
(――正直、修理代なんて請求するつもりは一切なかったけれど……、お礼はちゃんと伝えたいのよね……。――それと……、お詫びも……)
そして、そこで意を決するようにした法雨は、すっとスマートフォンを取り出すが――、雷の名刺を見やりながら、電話にすべきか、メールにすべきか迷っている途中で、連絡をとる事自体を保留とする事にした。




