第七章-3 王配の使命
翌日、朝議の場には、いつものように貴族たちが列をなし、女皇の入場を待っていた。囁く声には、王配の不在を不審に思う声もある中、近衛が入場を告げる。アリーシャのすぐ背後にはルークの姿があった。ざわめく声もあるが、アリーシャは顔色を買えず王座へと座る。その右後ろに、静かにルークが位置する。
黒のマントをまとい、背中側で腕を組み、ただ静かに立っているだけだ。だが、その存在に気づけば、自然と視線を向けずにはいられない。貴族たちの何人かが、わずかに視線を交わしていた。やがて、広間のざわめきが収まる。
アリーシャがゆっくりと口を開いた。
「本日の議題に入ります」
静かな声だったが、広間の隅々まで届く。それから、内政、軍務についての報告を受ける。最後に、アリーシャは静かに切り出した。
「帝国との友好関係を、より確かなものとするため、使節を送ることとします」
貴族たちのざわめきがかすかに聞こえる。一定の距離感を保っていた帝国に、この時期になぜ歩み寄りを見せるのか。真意が分からない者も多かった。だが、アリーシャは構わず続けた。
「今回の目的は、友好の再確認と通商の整理です。近年増加している輸出入品目の確認を行い、今後の交易を円滑にすることを主とします」
実務的で、簡潔な説明だった。だが、次の言葉で空気が変わる。
「使節の代表は――、王配のルークが務めます」
広間のあちこちで、より大きなざわめきが起きた。
「王配殿が……?」
誰かが小声でつぶやく。
通常、使節団を率いるのは外務を司る高官か、宰相クラスの重臣である。王配自ら赴くのは、異例と言ってよかった。しかし、玉座の横に立つルークは、無表情で、弁明もせず、ただそこに立っている。それがかえって、奇妙な威圧感を生んでいた。
そんな中、グランディール侯爵が進み出て、恭しく頭を下げる。
「恐れながら、陛下」
「申して」
「王配殿自ら赴かれるとは、帝国への大きな敬意と受け取られましょう。……しかし、随分と思い切ったご判断にございます」
アリーシャはわずかに頷いた。グランディール侯爵は、ルークが暗殺されかけた事を知っている。だから、ルーク自ら帝国へ向かうこと、体力も落ちていることを危惧しているのだろう。危険だと。それでも、アリーシャも止めることはもう出来ない。
「帝国は我が国にとって重要な隣国です。誠意をもって応じることが、今後の関係を築く礎となるでしょう」
その言葉には、迷いがなかった。老貴族は深く一礼する。アリーシャとルーク、2人の意思が固いことを悟った。
「……ご英断にございます」
議場の空気が、ゆっくりと落ち着いていく。誰もが納得したわけではない。だが、反対する理由も見つからない。政治的には、極めて整った決定だった。その間も、ルークは一言も発しなかった。ただ、玉座の傍らに立ち続けている。まるで――その決定を、背後から支える剣のように。朝議は、そのまま終了となった。
貴族たちはそれぞれ小声で言葉を交わしながら退場していく。帝国への使節という決定は大きい。だが、それ以上に、人々の関心を引いていたのは王配が自ら赴くという点だった。
玉座を降りたアリーシャは、その視線をすべて感じていた。だが後戻りはできない。女皇として決めたことだった。広間の奥の扉が閉じられると、静寂が戻る。残ったのは、数人の側近だけだった。
「宰相」
アリーシャが呼ぶと、宰相であるレオンハルト・アイゼンが一歩進み出る。
「はい」
「使節団の編成を急いでください。帝国側にはすでに書簡が届いているはずです」
「承知いたしました」
「人数は最小限で構いません。文官を数名、通商担当を一名。護衛は近衛から選抜を」
宰相は頷きながら書き留める。
「王配殿の護衛については?」
「近衛隊長と相談を。……信頼できる者を選んでほしいと」
それだけで十分だった。宰相は深く一礼する。
「畏まりました」
さらにもう一人、重い表情をした商務官が進み出る。
「帝国への贈答品についてですが」
「候補は?」
「皇国産の絹と工芸品、それに――新しい鋼の剣を」
商務官が迷いながら提案した言葉に、アリーシャは小さく頷く。
「いいでしょう」
帝国は力を尊ぶ国だ。言葉より、物で示す方が早いこともある。
「最高のものを選びなさい」
「承知いたしました」
側近たちが次々と頭を下げ、部屋を後にしていく。
やがて、アリーシャは執務室へ戻るが、そこにルークの姿はない。アリーシャは椅子に座り直す。机の上には、先ほどの議題書と、使節に関する書類が並んでいた。だが書類を手に取ろうとはせず、アリーシャの視線は窓の外へ向く。執務室からは中庭が遠く見える。そこには、剣を振るう人影が見えた。見間違えるはずもない、――ルークだった。
まだ体は万全ではないはずだ。それでも、剣を振るっている。アリーシャはしばらくその姿を見つめていた。やがて、小さく息を吐く。
「……本当に、逃げない人ね」
小さなつぶやきは誰の耳にも入らない。ルークは帝国へ行く。決着をつけに行くのだ。自分の血と、それにまつわるすべてに。アリーシャは目を閉じる。王としての決定に、迷いはない。それでもーー。
「必ず無事に帰ってきて……」
その言葉は、胸の奥で静かに消えた。
中庭では、息を切らしながらルークとジークハルトが打ち合いを続けていた。剣の柄を握る力は少し戻ってきたものの、力の押し負けでは踏ん張りが効かない。剣先をいなし、いままで以上に精密な動きが必要だった。ジークハルトも、ルークが以前の状態にはまだ遠いことはわかっている。だが、帝国へ行くと決めたルークを、止めるつもりはない。無駄だと知っているから。
「俺と、その他には何人連れていくんだ?」
自分がついていくことは疑っていなかった。そして、それをルークも指摘しない。当たり前のように、自分の背中を預けられるのはジークハルトだけだった。
「大人数は連れていけない。精鋭を選ぶつもりだが、4、5人くらいか」
「……きついな」
ジークハルトは肩を回しながら言う。
「もし帝国で戦闘になったら――」
視線が鋭くなる。
「前に出るのは俺だ。だがなーー」
ジークハルトの剣がルークの剣を弾き飛ばす。
「お前が戦えないと話になんねえ」
ジークハルトは、ルークの左手を見据えた。疲れてくると痙攣が起きること、それでも戦わなければない時がくることを懸念している。
広間の扉の向こうでは、すでに使節の準備が動き始めている。




