第六章-3 熱に魘されて
翌朝、夜通し続いた熱は、下がる気配を見せなかった。宮廷医師は、淡々と告げる。
「意識は混濁しておられます。お傍におられても、認識できぬこともありましょう」
アルシオを、アンナに預けている昼間だけは、ルークのそばにいることにした。厚いカーテンが光を遮る。寝台の上で、ルークは汗に濡れていた。呼吸は浅く、眉間に深い皺が寄っている。
「……ルーク」
そっと汗を拭う。触れた手があまりにも熱い。額に置かれた布巾は、すぐに温くなってしまう。氷水に布巾を浸し、絞って額に乗せる。何度も、何度も繰り返す。やがて、まぶたが微かに震え、ルークの目がゆっくりと開く。焦点が合わないまま、視線が彷徨う。
「……アリーシャ……?」
掠れた声だった。
「ここにいるわ」
すぐに身を乗り出し、右肩に手を添える。身体はまだ熱い。ルークの身体は正に今、毒と戦っている。
ルークは、ようやく彼女を認識したように、わずかに目を細めた。
「……泣いてるな」
「泣いてないわ」
「……嘘だ」
かすかな苦笑。その一瞬だけ、いつものルークの面影が戻る。
「……俺は、大丈夫だ……」
呼吸が乱れる。
「アルシオは……」
「アンナに預けているわ。心配しないで」
ルークは、かすかに首を振る。
「……そうか」
途切れ途切れの声だ。
「すまない」
それだけ言うと、ルークの視線が揺れる。再び、意識が沈みかける。
「ルーク」
名を呼ぶが、返事は返ってこない。再び、苦しげに眉を寄せる。掠れた声で、魘されているようだ。
「……俺の、血が……」
アリーシャは息を止める。
「……狙いは……俺か……」
呼吸が荒くなる。指先が、無意識に握り締められる。
血。
誰の。
ルークの血。
すべてが、ひとつに結びつく。
「……俺のせいで……」
その言葉に、アリーシャは強く手を握り返す。
「違うわ」
思わず声が強くなる。
「あなたのせいじゃない」
ルークの瞼が、震えるが、意識は戻らない。
「……守る……」
ほとんど息のような声。
「……守る……」
何度も、何度も。アリーシャは、額にそっと口づける。
「ええ」
震える声で、答える。
「わたくしも守るわ」
あなたも、アルシオも、この国も。
だから、……戻ってきて。
ルークの呼吸は荒いまま高熱は続く。窓の外では、静かな昼の光が広がっているのに、この部屋だけが戦場のようだった。
二日目の昼に差し掛かる頃、長く重く、息の詰まるような時間を越えて、ようやく、ルークの熱は下がり始めていた。カーテンの隙間から差し込む淡い光を受けて、ルークはゆっくりと目を開ける。視界が、はっきりしている。胸の奥に溜まっていた重苦しさが、わずかに引いていた。隣には、見慣れた金の髪が見えた。
「……アリーシャか」
掠れてはいるが、その声は震えてはいない。傍らに座っていたアリーシャが、顔を上げる。
「ええ。よかった……、目が覚めた?」
しっかりと焦点の合ったルークの視線に、アリーシャもよくやく緊張の息が切れた。ほっとして再び涙が溢れる。ルークはゆっくりと上体を起こそうとするが、出来なかった。
「無理をしないで」
「体が鉛みたいだ」
苦笑。
「当たり前よ。熱が下がってきたからって、まだまだ熱いのよ」
ぴしゃりと返され、ルークは小さく息を吐く。アリーシャは汗をかいた夜着の着替えと、上体を起こす手伝いを侍女に頼む。流石に、アリーシャ一人では、力の入らないルークの体を起こすのは一苦労だ。水を飲んで、喉の掠れは少しマシになった。
そのとき、扉が叩かれた。
「失礼します」
入室したのは、ジークハルトとヴァンだった。ジークハルトは険しい顔のまま一礼し、ヴァンは静かに部屋を見渡す。
「顔色は戻ったな」
「なんとかな」
ルークが淡々と返す。空気は柔らかくはない。侍女らを下がらせ、ジークが本題に入る。
「暗殺者の一人は逃走。追跡はしたが、城壁外に消えたようだ」
「死体は?」
ルークの声が低くなる。ヴァンが答える。
「回収済みです。身体検分を行いましたが、身元を示すものは一切なし。一塊の刺客ではありません」
アリーシャは静かに二人を見る。
「皇国内に内通者は?」
「現時点では確認できません」
ヴァンが首を振る。
「侵入経路も不明だが、もう一人の逃走の仕方を鑑みれば、城内の構造は知っている可能性があります」
「内側から誰かが手引きしたとは考えられないが、その手のプロだろうな」
ジークハルトの拳が、わずかに強く握られる。ルークは黙って聞いているが、懸念した通りになった。
「……今度は確実に殺しに来たな」
アリーシャが驚いてルークに顔を向ける。今度は、ということは今回が初めてではないということ。
「……まさか、落馬事故も?それに、殺しにって」
「迷いなく首を狙っていた。かすり傷でもあの威力だ。突き刺さっていたら、間違いなく死んでいただろう」
ルークはゆっくりと息を吐く。明確な殺意を持って、ルークが狙われた。ジークハルトは怪訝な顔でこぼした。
「なんで王配を狙う?」
「……王家の動揺、政務の混乱と言ったところでしょうか」
ヴァンが続ける。
「そして……陛下と御子を孤立させる」
アリーシャの胸が、ひやりと冷える。だが、ルーク自身は、今は確信している。
「いや、俺自身を消すことが目的だと思う」
その言葉に、ジークの眉が動く。
「なんでお前が?」
「確かではないが、俺は帝国皇帝の落胤、かもしれない。と、帝国皇女に言われた」
帝国の内情は少なからず知られている。後継者問題で今揺れていること。そこへ、新たな後継者がでてくれば、さらなる火種となることは、想像しやすい。可能性を消しにきたということだ。前回は事故を装っていたが、今回は強硬手段で来たのだ。命を取り留めたとして、次も来るだろう。
「とりあえず寝ていろ。今はなんもできないだろ」
即座にジークが遮ると、ルークは小さく笑う。
「……分かっている」
そして、アリーシャを見る。その瞳は、はっきりとした光を宿している。
「俺は、まだ死なない。守るものがあるから」




