第六章-2 それぞれの戦い
皇居へ運び込まれ、空いている部屋を治療室として使うよう指示をとばす、ルークの意識はまだはっきりしていた。だが顔色は白く、左前腕の傷は既に腫れ始めている。駆けつけた宮廷医師は無駄な言葉を挟まず、すぐに傷口を確かめた。
「毒ですな。痺れや他の症状はありますか」
医師の問いにルークは短く答える。
「傷はここだけだ。少量だが強い。痺れと、燃えるような痛みが」
エルンストが、宮廷医師に補足を加える。
「殿下がベルトで毒を遮断し、私が傷口を少し広げております。その後、毒は可能な範囲で吸い出しております」
医師が指示を飛ばす。湯で傷口を洗い、布で押さえつける。手際は迅速だった。
「殿下、少し痛みます」
「構わん」
再び血を搾り、毒の混じる血を吐き出させる。エルンストが処置した排毒は、間違っていなかった。医師はエルンストへ声を返す。
「駆血も適切です。よく判断されましたが、貴殿もすぐに口をすすいでください」
ルークの顔色はさらに悪くなり、指先は絶えず震えている。
「……痺れは?」
「まだある」
拳を握ろうとするが、完全には閉じきらない。医師の目が鋭くなる。
「解毒剤を」
苦い液体を流し込まれる。ルークは顔色一つ変えずに飲み下す。そのとき扉が開いて、アリーシャが真っ青な顔で駆け込んでくる。
「ルーク!」
「俺は大丈夫だ」
言葉は落ち着いている。だが、額には既に汗が滲んでいた。医師が一歩前に出る。
「すぐに毒を排出し、解毒剤を飲んで頂きましたが、まだ安心できません」
アリーシャの喉が鳴る。
「今夜から高熱が出ます。二日は峠でしょう」
「峠……」
「処置が遅れていれば、危うかった」
何が、とははっきりと言わないが、その意味は十分だった。ルークの呼吸が、わずかに荒くなる。痺れは腕から肩へ、じわりと広がり始めていた。
「寝台へ運んで下さい」
医師の指示のもと、ルークは抱えられ寝台へと寝かされる。
「高熱と意識混濁が予想されます。安静が必要です」
アリーシャが即座に言う。
「わたくしはそばにおります」
「譫言や痙攣が起きる可能性がございます。私どもにお任せください」
アリーシャには刺激が強いと、医師は言いたいのだろう。理解は出来る、でも心が拒む。その時、ルークがゆっくりと目を向けた。
「……アルシオは」
「今はネリーが見てくれているわ」
アリーシャはルークの右手を握る。すでに手が熱い。
「ルーク!」
「俺は死なないよ。だから、心配しなくていい」
か細く震えた声で、アリーシャを安心させようと強がっているのは分かっていた。
「アルシオのそばに戻れ」
ルークはアリーシャに諭す。
「あの子は聡い。そんな顔で接すれば、伝わってしまう」
「熱が上がってきました。氷水を!」
医師が告げる。バタバタと、侍女らが行き交う。アリーシャに出来ることはない。何もできなくても、ルークのそばにいたい。そばを離れることはしたくなかった。だが、アルシオにとって、アリーシャの代わりもいない。そばにいること、安心させることが今、何よりしなければならないことだった。
「ルーク。わたくし、アルシオのそばに戻ります。だから……、だから、貴方も頑張って」
「……ああ」
医師らに最善を尽くすよう、事付けてアリーシャは部屋から静かに出ていった。扉を閉めると、アリーシャの目からは涙が溢れる。そして、声を殺して泣いた。
もし、これがルークとの最後の会話になってしまったら。そんな最悪の未来を想像してしまうと、怖くてたまらなかった。でも、アルシオのそばにいることを、ルークに託されてしまった。母として、アルシオの前では泣くことは出来ない。涙を堪えて、アルシオのもとへ戻らなければ。
居室へと戻ると、ネリーがアルシオを抱きあやしている。不穏な空気を感じ取ったのか、アルシオはいつもより強く泣いていた。小さな拳を握りしめ、顔を真っ赤にして、途切れず声を上げている。
「アリーシャ様、殿下は……」
「大丈夫よ」
ネリーからアルシオを受け取ると、アルシオはすぐに胸元へ縋りつく。温かく、小さな体。けれど、その泣き声はどこか焦るようだった。
「お父様がいないのが、分かるのかしら」
ぽつりと零す。アルシオは泣きながら、アリーシャの衣を強く掴む。その小さな指が震えている。
「大丈夫。お父様は、強いからきっと大丈夫よ」
ゆっくりと揺らしながら、繰り返す。
「強いの。誰よりも」
そう、言い聞かせる。アルシオへ――そして、自分自身へ。泣き声は次第に小さくなり、すすり泣きに変わる。だが、握りめた手はまだ固く、何度も寝かせようとするが、揺籠に置こうとすると、必死に泣き出す。
結局、胸に抱いたまま、寝台の端に腰を下ろした。
遠くで、慌ただしい足音が微かに響く。医務室の方角だろうか。耳が勝手に拾ってしまう。不安な顔はできない。この子は、よく見ている。大人が思うより、ずっと敏感だ。
「大丈夫よ」
小さな額に口づける。
「お父様は、戻ってくるわ」
やがて、アルシオの呼吸が少しずつ落ち着いていく。まぶたが重くなり、指の力が緩む。眠ったのを確かめ、そっと体を横たえる。静かな寝息が聞こえた瞬間――アリーシャは、ようやく深く息を吐いた。胸の奥に渦巻く不安は、消えないままだ。
「……きっと、大丈夫」
小さく呟く。願いではなく、信じると決めた。託された命を守る。だから、貴方も守って。貴方自身を。




