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皇国のアリーシャ  作者: 岡井チマ
第三部
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第六章-2 それぞれの戦い

 皇居へ運び込まれ、空いている部屋を治療室として使うよう指示をとばす、ルークの意識はまだはっきりしていた。だが顔色は白く、左前腕の傷は既に腫れ始めている。駆けつけた宮廷医師は無駄な言葉を挟まず、すぐに傷口を確かめた。


「毒ですな。痺れや他の症状はありますか」


 医師の問いにルークは短く答える。


「傷はここだけだ。少量だが強い。痺れと、燃えるような痛みが」


 エルンストが、宮廷医師に補足を加える。


「殿下がベルトで毒を遮断し、私が傷口を少し広げております。その後、毒は可能な範囲で吸い出しております」


 医師が指示を飛ばす。湯で傷口を洗い、布で押さえつける。手際は迅速だった。


「殿下、少し痛みます」


「構わん」


 再び血を搾り、毒の混じる血を吐き出させる。エルンストが処置した排毒は、間違っていなかった。医師はエルンストへ声を返す。


「駆血も適切です。よく判断されましたが、貴殿もすぐに口をすすいでください」


 ルークの顔色はさらに悪くなり、指先は絶えず震えている。


「……痺れは?」


「まだある」


 拳を握ろうとするが、完全には閉じきらない。医師の目が鋭くなる。


「解毒剤を」


 苦い液体を流し込まれる。ルークは顔色一つ変えずに飲み下す。そのとき扉が開いて、アリーシャが真っ青な顔で駆け込んでくる。


「ルーク!」


「俺は大丈夫だ」


 言葉は落ち着いている。だが、額には既に汗が滲んでいた。医師が一歩前に出る。


「すぐに毒を排出し、解毒剤を飲んで頂きましたが、まだ安心できません」


 アリーシャの喉が鳴る。


「今夜から高熱が出ます。二日は峠でしょう」


「峠……」


「処置が遅れていれば、危うかった」


 何が、とははっきりと言わないが、その意味は十分だった。ルークの呼吸が、わずかに荒くなる。痺れは腕から肩へ、じわりと広がり始めていた。


「寝台へ運んで下さい」


 医師の指示のもと、ルークは抱えられ寝台へと寝かされる。


「高熱と意識混濁が予想されます。安静が必要です」


 アリーシャが即座に言う。


「わたくしはそばにおります」


「譫言や痙攣が起きる可能性がございます。私どもにお任せください」


 アリーシャには刺激が強いと、医師は言いたいのだろう。理解は出来る、でも心が拒む。その時、ルークがゆっくりと目を向けた。


「……アルシオは」


「今はネリーが見てくれているわ」


 アリーシャはルークの右手を握る。すでに手が熱い。


「ルーク!」


「俺は死なないよ。だから、心配しなくていい」


 か細く震えた声で、アリーシャを安心させようと強がっているのは分かっていた。


「アルシオのそばに戻れ」


 ルークはアリーシャに諭す。


「あの子は聡い。そんな顔で接すれば、伝わってしまう」


「熱が上がってきました。氷水を!」


 医師が告げる。バタバタと、侍女らが行き交う。アリーシャに出来ることはない。何もできなくても、ルークのそばにいたい。そばを離れることはしたくなかった。だが、アルシオにとって、アリーシャの代わりもいない。そばにいること、安心させることが今、何よりしなければならないことだった。


「ルーク。わたくし、アルシオのそばに戻ります。だから……、だから、貴方も頑張って」


「……ああ」


 医師らに最善を尽くすよう、事付けてアリーシャは部屋から静かに出ていった。扉を閉めると、アリーシャの目からは涙が溢れる。そして、声を殺して泣いた。

 もし、これがルークとの最後の会話になってしまったら。そんな最悪の未来を想像してしまうと、怖くてたまらなかった。でも、アルシオのそばにいることを、ルークに託されてしまった。母として、アルシオの前では泣くことは出来ない。涙を堪えて、アルシオのもとへ戻らなければ。


 居室へと戻ると、ネリーがアルシオを抱きあやしている。不穏な空気を感じ取ったのか、アルシオはいつもより強く泣いていた。小さな拳を握りしめ、顔を真っ赤にして、途切れず声を上げている。


「アリーシャ様、殿下は……」


「大丈夫よ」


 ネリーからアルシオを受け取ると、アルシオはすぐに胸元へ縋りつく。温かく、小さな体。けれど、その泣き声はどこか焦るようだった。


「お父様がいないのが、分かるのかしら」


 ぽつりと零す。アルシオは泣きながら、アリーシャの衣を強く掴む。その小さな指が震えている。


「大丈夫。お父様は、強いからきっと大丈夫よ」


 ゆっくりと揺らしながら、繰り返す。


「強いの。誰よりも」


 そう、言い聞かせる。アルシオへ――そして、自分自身へ。泣き声は次第に小さくなり、すすり泣きに変わる。だが、握りめた手はまだ固く、何度も寝かせようとするが、揺籠に置こうとすると、必死に泣き出す。


 結局、胸に抱いたまま、寝台の端に腰を下ろした。


 遠くで、慌ただしい足音が微かに響く。医務室の方角だろうか。耳が勝手に拾ってしまう。不安な顔はできない。この子は、よく見ている。大人が思うより、ずっと敏感だ。


「大丈夫よ」


 小さな額に口づける。


「お父様は、戻ってくるわ」


 やがて、アルシオの呼吸が少しずつ落ち着いていく。まぶたが重くなり、指の力が緩む。眠ったのを確かめ、そっと体を横たえる。静かな寝息が聞こえた瞬間――アリーシャは、ようやく深く息を吐いた。胸の奥に渦巻く不安は、消えないままだ。


「……きっと、大丈夫」


 小さく呟く。願いではなく、信じると決めた。託された命を守る。だから、貴方も守って。貴方自身を。





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