第六章-1 殺意の刃
数日間、ルークは周囲に言われた通り、おとなしく過ごしていた。朝の鍛錬は控え、昼間の政務は主に座って行う。時折身体を動かしたくなるが、ジークハルトやアリーシャの目があるため、控えざるを得ない。
夜の外回廊は、昼とは別の静けさに包まれていた。石柱の影が長く伸び、灯された燭台の炎が揺れるたび、闇がわずかに形を変える。執務を終えたルークは、皇居へと向かっていた。数歩後ろには護衛の近衛騎士、エルンスト・クライスが一定の距離を保って続く。ルークにも、念のため護衛を一人つけてくれている。自分が戦えるから必要ないと言ったが、そういうわけにはいかないとヴァンには言われてしまった。この時のルークは帯剣していなかった。王城内、それも私的区画で必要になるとは思っていなかった。後から思えば、それは慢心だったのだが。
柱の影が、わずかに濃くなる。殺気を感じてルークが視線を動かした瞬間だった。黒装束の男が、音もなく間合いへ滑り込む。刃が閃き、一直線に首元を狙った突きが繰り出される。
「――っ」
咄嗟に体を捻り、腕を喉の前に出して、迫る刃から守る。叩き落とそうとした刃先が、左前腕をかすめた。
鋭利な痛みの後に、焼けるような鈍痛が続く。同時に、背後で鋼がぶつかる音が響く。もう一人の黒装束の男が、エルンストと応戦している。短剣が、再び迫る。的確に急所を狙っている。ルークは踏み込み、男の手首を掴む。力が拮抗し、刃が喉元寸前で止まる。男の目は冷たく、何の感情も見えない。そうしているうちに腕の内側が、じわりと痺れ始めている。長引かせるわけにはいかない。ルークは膝を男の腹へ叩き込み、体勢を崩す。
「ぐっ」
男は呻き声を上げるが、その隙に手首を捻り上げる。骨の軋む音がして、短剣がわずかに緩む。ルークは短剣を奪い取る。躊躇はなかった。男の喉元へ、深く突き立てる。温かい血が噴き出て、男は声も上げず、その場に崩れ落ちた。
静寂の中に、荒い呼吸だけが響く。だが、左腕の痺れが広がっている。脈が速く、左腕が重い。
これはただの切り傷ではない。
「……毒か」
受けたかすり傷は小さいが、痺れや灼熱感、即効性があるのだろう。量は少ないだろうが強い毒だ。ルークはすぐに腰のベルトを外す。傷口よりやや上を強く締め上げる。血流を抑える。それでもなお強く締める。
背後の戦いは、すでに決着がついていた。もう一人の暗殺者は、エルンストの刃を受け流すと、躊躇なく身を翻す。柱を蹴り、闇へと消える。追おうとしたエルンストはルークを振り返る。
「殿下!」
ルークの腕から、血が滴っているのを見て、顔色が変わる。
「浅いが、毒だ」
「……っ!」
エルンストは即座に状況を理解する。
「失礼します」
腰の小刀を抜き、傷口をわずかに切り広げる。
「くっ!」
痛みに声が漏れ、血が溢れる。エルンストは傷を強く絞り、溢れた血を吐き出す。今度は傷口に直接吸い付き、吐く。それを数度繰り返す。
「まだ痺れますか」
「腕が……重い」
視界の端が揺れる。
「急ぎましょう。皇居へお連れします」
回廊に、他の近衛も駆けつけ、一人は宮廷医師を呼びに行った。死んだ暗殺者の喉元からは、黒ずんだ血が広がっている。その刃には、鈍い光。猛毒を仕込んでいたようだ。あの刃を深く受けていれば、確実に死に至っていただろう。ルークは意識を保ったまま、支えられて歩き出す。まだ倒れるわけにはいかない。守るものが、ここにある。だが、左腕が焼け爛れていくような感覚だった。




