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皇国のアリーシャ  作者: 岡井チマ
第三部
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第五章-2 警戒の強化

 王城へ戻ると、皇居の前でアルシオを抱いたアリーシャが待っていた。すでに伝令から落馬したことは聞いているらしく、心配そうにルークへと駆け寄ってくる。


「ルーク!大丈夫なの!?痛みは?」


「アリーシャ」


 ルークはアルシオごと、アリーシャを抱きしめる。


「大したことない。心配かけてすまない」


 その声音に、ロビーにいた者たちの張り詰めた空気がわずかに緩む。だがジークが補足する。


「少し背を打っていますので、念のため宮廷医師のところへ、これから向かいます」


 その言い方はどこか固い。アリーシャは顔を上げる。


「……本当に?」


「大袈裟だよ」


 ルークは苦笑する。だが少し動きが、ぎこちないのをアリーシャは見逃さなかった。


「大袈裟じゃありません!問題ないことを、診てもらってきて!」


「……仰せのままに」


 少しだけ肩をすくめ、ルークは医務室へと向かった。宮廷医師は慎重に触診を行い、背を確かめる。


「打撲でございましょう。骨に異常は見られませんな。数日は安静を」


「安静は必要か?」


「無理をしますと、かえって悪化します。なるべく安静にお願いします」


 湿布の薬草の匂いが広がる。表向きは、ただの落馬事故だが、診察を終えたルークの横顔はどこか硬い。


 医務室へと向かう直前、ジークハルトはネリーを呼び止めた。


「ネリー」


 振り向いた彼女の顔から、柔らかな表情が消える。


「……ただの事故ではないのですね」


「ああ」


 ディートリヒも加わる。ジークは声を落とした。


「馬の腹帯に刃の痕があった。王配殿下は意図的に事故に遭われた可能性が高い」


 ネリーの瞳が揺れる。


「では……」


「王妃殿下と皇子殿下の警戒を一段階上げろ。だが理由は言うな。混乱を招く」


 ディートリヒが低く答える。


「承知した」


 ネリーは静かに頷く。


「わたしが常にお側におります。他の侍女らにも警戒するようそれとなく伝えておきましょう」


 その声は、決意に満ちていた。



 医務室から出た後、ルークは近衛騎士の詰め所へ足を運んでいた。隊長ヴァンが姿勢を正す。


「王配殿下」


「急にすまないな。女皇陛下と皇子殿下の護衛の人数を増やし警備を強めて欲しい」


「何か、ございましたか……?」


「あまり口外しないで欲しいんだが、――」


 ルークは演習での出来事を伝えた。今回が自分だけを狙ったものだとしても、次がそうとは限らない。

 二人の周囲に護衛の近衛騎士を増やす必要がある。


「専属の者たちの他にも、一定距離を置いて配置しましょう。巡回も増やします」


「目立たぬようにお願いしたい。陛下には不安を感じさせたくない」


 静かに重く、守りを固める。回廊を戻る途中、ルークはふと立ち止まる。遠くから、アルシオの笑い声が聞こえた。あまりに穏やかで変え難いもの。守らねばならないものが、ここにある。そのためなら――何をしてでも、守り抜く。ルークの瞳に冷たい光が宿る。


 夜、王城は静まり返っている。アルシオはすでに、揺籠の中で眠っている。寝室には控えめなランタンの灯りだけが揺れている。ルークは上衣を脱ぎ、背に巻かれた包帯を気にする様子もなく窓辺に立っていた。


「痛む?」


 アリーシャは後ろから問いかける。


「大したことはないよ」


 いつもの声音だけれど、湿布と巻かれた包帯の面積の広さに息を呑む。


「嘘」


 ルークが振り返る。


「……まぁ、数日は痛むだろうが、問題ない」


 少しだけ、困ったように笑う。アリーシャは、包帯の端にそっと指をかけた。


「医師からは、安静にしているよう聞いているわ」


「仕事が溜まっているから、政務を行うことは問題ない」


「あまり無茶をしないで……」


 静かに言うと、彼は小さく息をついた。


「……善処する」


 包帯越しに、背に触れる。そう言っても、必要であれば、ルークは無理をする。分かっていても言わずにはいられない。アリーシャはルークの背中にそっと額を預けた。鼓動が聞こえる。


「……もしもあなたに何かあったら、耐えられない」


 小さく零す。ルークは静かにアリーシャに向き直り、身体を抱きしめる。


「分かっている」


 穏やかな声に、不安がわずかに軽くなる。どちらともなく、そっと口付けを交わした。


 ルークを狙った何かが、静かに動いていることは知らない。そして、ルークもまたアリーシャを不安にさせたくない。だが、誰もこれが始まりでしかないことは、知らなかった。


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