第五章-2 警戒の強化
王城へ戻ると、皇居の前でアルシオを抱いたアリーシャが待っていた。すでに伝令から落馬したことは聞いているらしく、心配そうにルークへと駆け寄ってくる。
「ルーク!大丈夫なの!?痛みは?」
「アリーシャ」
ルークはアルシオごと、アリーシャを抱きしめる。
「大したことない。心配かけてすまない」
その声音に、ロビーにいた者たちの張り詰めた空気がわずかに緩む。だがジークが補足する。
「少し背を打っていますので、念のため宮廷医師のところへ、これから向かいます」
その言い方はどこか固い。アリーシャは顔を上げる。
「……本当に?」
「大袈裟だよ」
ルークは苦笑する。だが少し動きが、ぎこちないのをアリーシャは見逃さなかった。
「大袈裟じゃありません!問題ないことを、診てもらってきて!」
「……仰せのままに」
少しだけ肩をすくめ、ルークは医務室へと向かった。宮廷医師は慎重に触診を行い、背を確かめる。
「打撲でございましょう。骨に異常は見られませんな。数日は安静を」
「安静は必要か?」
「無理をしますと、かえって悪化します。なるべく安静にお願いします」
湿布の薬草の匂いが広がる。表向きは、ただの落馬事故だが、診察を終えたルークの横顔はどこか硬い。
医務室へと向かう直前、ジークハルトはネリーを呼び止めた。
「ネリー」
振り向いた彼女の顔から、柔らかな表情が消える。
「……ただの事故ではないのですね」
「ああ」
ディートリヒも加わる。ジークは声を落とした。
「馬の腹帯に刃の痕があった。王配殿下は意図的に事故に遭われた可能性が高い」
ネリーの瞳が揺れる。
「では……」
「王妃殿下と皇子殿下の警戒を一段階上げろ。だが理由は言うな。混乱を招く」
ディートリヒが低く答える。
「承知した」
ネリーは静かに頷く。
「わたしが常にお側におります。他の侍女らにも警戒するようそれとなく伝えておきましょう」
その声は、決意に満ちていた。
医務室から出た後、ルークは近衛騎士の詰め所へ足を運んでいた。隊長ヴァンが姿勢を正す。
「王配殿下」
「急にすまないな。女皇陛下と皇子殿下の護衛の人数を増やし警備を強めて欲しい」
「何か、ございましたか……?」
「あまり口外しないで欲しいんだが、――」
ルークは演習での出来事を伝えた。今回が自分だけを狙ったものだとしても、次がそうとは限らない。
二人の周囲に護衛の近衛騎士を増やす必要がある。
「専属の者たちの他にも、一定距離を置いて配置しましょう。巡回も増やします」
「目立たぬようにお願いしたい。陛下には不安を感じさせたくない」
静かに重く、守りを固める。回廊を戻る途中、ルークはふと立ち止まる。遠くから、アルシオの笑い声が聞こえた。あまりに穏やかで変え難いもの。守らねばならないものが、ここにある。そのためなら――何をしてでも、守り抜く。ルークの瞳に冷たい光が宿る。
夜、王城は静まり返っている。アルシオはすでに、揺籠の中で眠っている。寝室には控えめなランタンの灯りだけが揺れている。ルークは上衣を脱ぎ、背に巻かれた包帯を気にする様子もなく窓辺に立っていた。
「痛む?」
アリーシャは後ろから問いかける。
「大したことはないよ」
いつもの声音だけれど、湿布と巻かれた包帯の面積の広さに息を呑む。
「嘘」
ルークが振り返る。
「……まぁ、数日は痛むだろうが、問題ない」
少しだけ、困ったように笑う。アリーシャは、包帯の端にそっと指をかけた。
「医師からは、安静にしているよう聞いているわ」
「仕事が溜まっているから、政務を行うことは問題ない」
「あまり無茶をしないで……」
静かに言うと、彼は小さく息をついた。
「……善処する」
包帯越しに、背に触れる。そう言っても、必要であれば、ルークは無理をする。分かっていても言わずにはいられない。アリーシャはルークの背中にそっと額を預けた。鼓動が聞こえる。
「……もしもあなたに何かあったら、耐えられない」
小さく零す。ルークは静かにアリーシャに向き直り、身体を抱きしめる。
「分かっている」
穏やかな声に、不安がわずかに軽くなる。どちらともなく、そっと口付けを交わした。
ルークを狙った何かが、静かに動いていることは知らない。そして、ルークもまたアリーシャを不安にさせたくない。だが、誰もこれが始まりでしかないことは、知らなかった。




