第四章-2 帝国の兄妹
トラキオン帝国の王城は、皇国とは違う重厚さを持っていた。黒曜石を思わせる磨き上げられた床。高い天井。赤と金で統一された広間は、威圧そのものだが、無駄がなく派手さもない。使節団の帰還を告げる鐘が鳴り、扉が開かれる。セレナが足を踏み入れた、その時だった。
「――おかえり、セレナ」
声が落ちる。ゆっくりと柱の影から現れたのは、第二皇子――エミリオ・フォン・トラキオン。黒い髪を肩ほどまで伸ばし、後ろで一つに束ねている。切れ長の目は細く笑い、その奥に滲むのは露骨な好奇心と、計算。腹違いの妹を迎える兄の顔だ。
「長旅、ご苦労だったね」
「恐れ入ります、兄上」
セレナは優雅に一礼する。
「皇国はどうだった? 新たな女皇は」
声音は柔らかい。だが、問いは直線的だ。
「お若いですか、とても聡明なお方でした。とても、今まで深窓に秘められた皇女だったとは思えないほど。前陛下がお亡くなりになられましたけど、皇国は安定しているようですわ」
「ほう」
エミリオはゆっくりと歩み寄る。
「王配は?……新興貴族出身と聞いていたが。どんな男だった?」
視線が、逃さない。セレナは微笑む。
「ーー静かな方でした。多くを語らず、しかし……隣に立つ姿は、堂々とされて」
言葉を選んだつもりが、一瞬の沈黙を作ってしまった。ほんの一瞬だったが、エミリオはそのわずかな呼吸の乱れや視線の泳ぎを、見逃さない。
(……何かあるな)
にこやかに笑う。
「なるほど。安心したよ。帝国と皇国の友好は大切だ。君が無事で何よりだ」
「ご配慮、感謝いたします」
セレナはそれ以上言わず、丁寧に辞した。背を向けた瞬間、エミリオの表情が消える。エミリオは自室へと戻ると、乱雑に外套を脱ぎ、椅子に腰掛けた。
「影を呼べ」
何処からかの控えていた側近が前に出る。
「皇国の王配について調べろ」
「王配……ルーク・アリスター、でございますか」
「そうだ。セレナが王配について、口にした時、一瞬動揺が見えた。なにかある」
側近は顔色を変えない。エミリオは窓の外を見る。遠い皇国の方向。
「セレナは後ろ盾を作りに、皇国へと言っていたはずだ。何かしら得ていたということか」
唇がゆっくり歪む。今、皇帝は病床にある。継承は未定だが、正妃の子である自分が一番後継に近いとエミリオは考えている。先に産まれただけの、兄――マティアス など、剣が振れるだけの阿呆だ。帝国の覇権が盤石である今、剣よりも政治、外交に長けた内政力をもつものが、次の皇帝に相応しい。
だが、兄よりも厄介なのはセレナだ。女だてらに思慮深く、行動力もある。側室とはいえ、侯爵家出身の母を持ち、後ろ盾は弱くない。
もし――ほんの僅かでも可能性があるなら。
「調べ上げろ。……必要なら、排除する」
側近は深く頭を垂れた。
「御意」
扉が閉まる。一人になったエミリオは、指先で机を軽く叩いた。規則正しい音。
(セレナが皇国で、何者と接触したのか、確かめなければならない)
静かに、確実に、刃は研がれ始めていた。




