第三章-2 祝賀の後の影
祝賀から三日後。王城の奥、客殿と本館をつなぐ回廊は、人払いがなされていた。セレナから王配であるルークに、秘密裏の面会が申し込まれた。未婚の皇女が既婚の王配と二人きりで会うなど、本来なら許されぬことだ。だが相手は帝国の皇女、そして――祝賀の夜に抱いた違和感が、ルークの胸にも残っていた。
場所は、セレナらにあてがった区域の近くの小会議室だ。扉の外にはジークハルトが控え、帝国側の護衛も廊下の向こうに立っている。室内に残るのは、二人のみとなった。
「ようこそ、お越しくださいました」
セレナの侍女が紅茶をいれ、静かに下がる。セレナは深い青の簡素なドレスに身を包んでいる。祝賀の夜とは違い、装いは控えめだが、背筋の伸びた気配は変わらない。口元を扇で隠しているが、目元だけは微笑んで見える。
「このような形での面会、無礼をお許しください」
「構いません。要件は」
ルークは紅茶には手を付けず、即座に切りこむ。セレナは静かに、だがしっかりとルークを見つめ問いかけた。
「王配殿下のこと、少し調べさせていただきました。とはいえ、わたくしが集められる情報など、たいしてありませんけど。」
外の風が、窓を鳴らす。
「殿下は、……ご自身のご父君をご存じですか」
ルークの視線が、わずかに細められた。
「母は皇国出身ですが……、残念ながら、父については何も知りません」
それ以上でも、それ以下でもない。セレナは頷き、静かに続けた。
「祝賀の夜、初めてお目にかかった時、……私は驚いたのです。あなたが、我が帝国の皇帝――セヴェルス・フォン・トラキオンに似ておられることを」
出された名に、空気が重さを増す。
「瞳のお色、立ち姿。それに、人を圧するあの静かな気配、本当によく似ておいでです」
セレナがわずかに視線を上げ、右手を自身の胸に当てる。
「それに、……わたくし達もどことなく、似ていると感じませんか?」
ルークは言葉がでなかった。セレナに感じた違和感。父親かもしれない存在。沈黙のルークを置いて、セレナは続けた。
「殿下の母君は、フロレンス・トロント。皇国の伯爵家の長女だったそうですね。ここでは、女傑のフロレンスの方が知られていますね。一時期、彼女が帝国で過ごしていたのはご存知?」
「いや……」
ルークは短く返したが、初耳だった。皇国出身とは聞いていたが、その素性も、伯爵家の出であったことも、帝国にいたことも。各国を転々とはしていたが、ルークの知る限り、帝国の名を母の口から聞いた覚えはなかった。
「当時、父はまだ皇太子の身でしたが、一時期、他国の女性にかなりご執心だった、というのは帝国では少し有名な話です」
それが、ルークの母、フロレンスのことだと言う記録はない。だが、話の筋は通ってしまう。
「現在、皇帝は病床にあります。正式な継承者は、未だ指名されていません。第一皇子、第二皇子の争いは、すでに水面下で激化しております。でも、もし、――もし王配殿が、皇帝の血を引く御方であるならば――継承順位は、大きく変わります」
ルークの瞳が、わずかに揺れた。
「証拠は」
「ございません。……でも、わたくしの勘はよく当たるんです」
セレナは即答した。
「だからこそ、公にするつもりは毛頭ございません」
セレナの声音に、虚勢はない。
「ただ、その可能性があるとして、貴方はどうなさいますか?」
ルークは息を飲み込んだ。突然の父親の存在、それがまさか帝国の皇帝だと。想像の範疇を越え、理解が及ばない。
「返答次第では帝国にとっても、皇国にとっても、貴方の存在は爆弾となり得ます」
ほんの一瞬、母の横顔が胸を刺した。だがそれを押し殺すように、ルークは言った。
「……俺は、今の居場所を守りたいだけだ」
視線が鋭くなる。
「帝国の継承争いには興味がない」
今度ははっきりと断言する。セレナはその目を静かに見つめ続ける。ルークの瞳に見えるのは、野心ではなく、確かな覚悟だけだった。
「そう、ですか」
小さく息を落とす。
「では、この件は胸の内に留めましょう」
ルークは頷いた。セレナが去ったあと、ルークはしばらく動けなかった。天井を見上げると、母の顔がふと脳裏をよぎる。
幼い頃、一度だけ問うたことがある。――母様、父様はどこにいるの?そう聞いた時の、母の寂しげな笑顔、子供心にそれ以上聞いてはいけない気がして、聞けなかった。
「……興味はない」
そう呟く声はかすれていた。だが胸の奥に、小さな波が立っていることを、ルーク自身はまだ認めていなかった。




