第三章-1 沈黙の邂逅
夕方、貴賓を招いた祝賀会が催される。アリーシャは煌びやかな衣装へ着替え、ルークもアリーシャの色で統一した装いだ。
今晩ばかりは、アルシオはもう少しアンナに見てもらわねばならない。アリーシャとルークは、王座に座り、列をなす貴賓たちからの祝辞の言葉を、延々と受けていた。
「皇子殿下の健やかなる御成長を」
「皇国の未来に、祝福を」
同じ言葉が、少しずつ調子を変えて繰り返される。アリーシャは微笑みを絶やさず、ゆるやかに頷く。隣ではルークが低く礼を返していた。楽師が弦を鳴らし、談笑が広がる。葡萄酒の香りが甘く漂う中、エストリアの使節が進み出た。
「このたびは、誠におめでとうございます」
ユリウスは穏やかな笑みを浮かべ、一礼する。その瞳は変わらず柔らかいが、奥に理知の光を宿していた。
「小さき御命が、やがてこの地を照らす灯となりましょう」
「ありがとうございます、ユリウス殿」
アリーシャが応じると、彼はほんのわずかに視線を傾けた。
「実は、私の妻も、3か月前に女の子を出産しましてね。皇子とは同い年になります。是非とも、友好を深めていただけると、親としては幸いです」
アリーシャは目を大きく開けて、驚いた。
「まあ!ユリウス殿のご息女が?それは誠におめでとうございます!」
つい、女皇としての顔が崩れてしまった。隣のルークは、小さく咳を払った。
「……是非とも、皇子と遊んであげてください」
優雅に、笑顔でそう返した。そして、ユリウスの後ろで、並んでいた者たちがそっと横へよけ、静かに道が開いた。深い紅のドレスには、細やかな銀糸の刺繡が施され、艶やかな黒髪は腰まで流れるように揺れている。瞳の色は茶色だが、宿す光は強い。
セレナ・フォン・トラキオン。ざわめきが、目に見えぬ波のように広がる。彼女は玉座の前で優雅に膝を折った。
「女皇陛下。本日はお招きいただき、光栄に存じます」
声は澄んでいるアリーシャはゆるやかに頷き、セレナへと返す。
「遠路より帝国のご厚意、心より感謝いたします。」
セレナは立ち上がり、今度はルークへと向き直った。
「王配殿にも、祝意を」
その視線が、まっすぐにルークを射抜いている。ルークはじっくりと全身を見られている感覚を覚えるが、表情には出さずに、短く応じた。
「感謝します」
その低い声を聞いたとき、セレナの瞳が、わずかに揺れた。見つめあっている二人。同じ艶のある黒い髪。瞳はややルークのほうが、赤みが強いが、どちらも茶色である。そして、男女の違いはあれど、表情も、まとう雰囲気もよく似ている。アリーシャはそう感じた。
セレナはそれ以上何も言わず、ルークも沈黙の意味を測りかね、ただ静かに彼女を見返す。周囲の談笑が、ほんの一瞬、途切れる。
しばらくして、セレナは深く一礼し、静かに下がる。残されたのは、揺らぐ灯りと、消えきらぬ余韻。祝いの夜は、まだ続く。だがアリーシャは、胸の奥に小さな棘が刺さるのを感じていた。
祝賀の灯が遠ざかるころ、トラキオン帝国の使節団にあてがわれた客間は、静まり返っていた。重厚な扉が閉じられ、従者たちが下がると、ようやくセレナは肩の力を抜いた。
――王配殿。
瞳を閉じれば、先ほどの光景がよみがえる。赤みを帯びた茶の瞳。艶のある黒髪。抑えた声音。そして、あの立ち姿。自分と似ている?とんでもない。似ているのは、自分ではない。セレナの父、現皇帝セヴェルス・フォン・トラキオンに、だ。
かつて覇気に満ち諸侯を一瞥で黙らせた頃の皇帝。幼いころ、遠くから見上げるしかなかった背中。近寄りがたかった存在。あの頃の父と、――その静かな圧が似ていた。
セレナはゆっくりと目を開く。兄たちの顔が脳裏をよぎった。今の皇帝には、かつての威圧するような覇気はなく、病床に臥せっている。帝国内ではすでに派閥が割れ、後継争いは水面下で激化している。皇帝が未だ、正式な継承者を指名していないからだ。実力主義、その言葉は、帝国では常識だった。セレナは側室の子である。権力も、武力も、したたかさも、兄たちには及ばない。だからこそ、皇国との縁を求めた。かつて、皇帝がケイネスとの縁談を勧めた時、セレナは快く引き受けた。今も同じだ。アリーシャに友好的であれば、いずれ皇国は後ろ盾になり得る。それが狙いだった。――だがもしあの男が、王配殿が皇帝の血を引く者だとすれば。
セレナの指先が、わずかに震える。正統性を主張されれば、帝国は揺らぐだろう。兄たちは懐柔しようとするか、あるいは排除に動く。どちらに転んでも、爆弾だ。そして何より、皇帝は、それを知っているのか。
セレナは窓辺へ歩み寄る。窓を少し開けると、春の夜風がわずかに髪を揺らした。確かめなければならない。帝国の安定のために。そして、自身の立ち位置を守るために。
セレナの瞳に、静かな決意が宿る。皇国の夜は穏やかだ。だが彼女にとって、この地は戦場に等しかった。




