第二章-2 祝賀に向けて
祝賀までの数日間は、あわただしく過ぎていった。祝賀は、皇国の威信を示す場でもある。大広間には新たな織物が掛け替えられ、回廊の燭台は磨き上げられ、装飾はいつもより華美に変えられる。
「警備の配置をもう一度確認を。穴は無いようにな」
ルークは近衛隊長のヴァンに簡潔に命じた。警備の配置も、通常より一段も二段も厚い。招かれた客は友好国の使節と国内の有力貴族。万に一つもあってはならない。
貴賓のリストも上がってきている。今回、ガルデからは、謹んで辞退するとの報せがあった。国境での一件があったのだ。祝辞に参列するのは、気が引けるのだろう。エストリアからはユリウスが来訪するとの報せが届いた。そして――帝国からは第1皇女セレナ・フォン・トラキオン。その名を聞いたとき、居並ぶ家臣たちの空気がわずかに変わった。
かつて皇帝がケイネスに持ちかけた縁談。その記憶は、重臣たちの胸に残っている。縁談自体は成立することなく、ケイネスは事故にて鬼籍に入ったが、その皇女が来訪するということ、何かしらの意図があるのか疑ってしまいたくなる。けれど、アリーシャは何も言わなかった。ただ静かに頷き、執務机へと向き直る。
昼からは祝賀用の衣装の採寸があり、アリーシャは居室へと戻った。アルシオはアンナが見守る中、揺り籠の中で穏やかに過ごしていた。レックスの泣き声に驚いて目を開け、やがてまた眠る。その寝顔をのぞき見ると、胸の奥が柔らかくなる。
「殿下、祝賀の御衣装の最終確認を」
侍女が差し出したのは、白に紫紺のリボン、金糸を織り込んだ礼装だった。胸元には皇国の紋章。母としてではなく、女皇としての威厳を見せる装いである。祝賀の際は、謁見の間にて、短時間だけだが、皇子のお披露目も行う予定にしている。そのため、おくるみは、アリーシャと色を統一はしても、生地は赤子の肌に優しい、柔らかなものを選んでいる。慣れるよう、今のうちに揺り籠に一緒にかけてある。
指先で布地をなぞりながら、アリーシャは小さく息をつく。短時間とはいえ、大勢の好奇な目にさらされるわが子を思う。――この子は、私とルークが守る。
夜、居室に戻ると、珍しくルークが先に戻っていた。ルークは、揺り籠の傍に立っており、アルシオを優しい顔で眺めていた。
「……よく寝ているな」
低く呟き、指先でそっと小さな手に触れると、アルシオはきゅっと握りしめる。そして、むにゃりと唇を動かし寝ぼけているようだ。アリーシャもルークの傍へと歩み寄り、肩にもたれる。
「明日は一瞬だけ、皆の前に出てもらうが、長くは出さない。名を告げて、祝意を受けて、それで終わりだ」
「ええ」
それが最善だと分かっている。分かっているのに、胸はわずかにざわつく。
「……大丈夫だ」
隣に立つルークの声は、静かだった。アリーシャは頷き、そっとルークの袖を握る。
そして当日の朝、王城の鐘が、澄んだ音を響かせる。青空の下、城門には各国の旗が掲げられ、石畳には色鮮やかな絨毯が敷かれる。馬車が次々と到着し、貴族たちが華やかな装いで降り立つ。
遠く、陽光を受けてきらめく紋章。トラキオンの双頭の鷲が、風にはためいていた。その下から姿を現したのは、背筋をまっすぐに伸ばした若き皇女。
セレナ・フォン・トラキオン。
冷ややかとも取れるほど整った面差しで、ゆっくりと王城を見上げる。その視線は、やがて謁見の間へと向けられる。――今日は、祝いの席。けれど、彼女の胸中にあるのは祝意だけではなかった。
正午の鐘が鳴ると同時に、謁見の間の大扉がゆっくりと開かれた。高い天井から差し込む光が、磨き上げられた床に白く伸びる。居並ぶ貴族たちが、一斉に頭を垂れた。
「女皇陛下、王配殿下、ならびに王子殿下、御入場」
先触れの声が、静寂を震わせる。アリーシャは玉座へと続く赤絨毯を、ゆっくりと進んだ。隣にはルーク。わずかに触れる距離で並び歩くその存在が、胸の鼓動を静めてくれる。
その後ろを、アンナに抱かれた小さな白い包みが続いた。ざわ、と空気が揺れる。玉座の前に立つと、アリーシャはアンナからアルシオを受け取り、顔が見やすいように少し包を開ける。そして、少し深く息を吸い、正面を見据えた。
「本日は、皆様のご参列、誠にありがとうございます。ここに――我が子の名を、正式に宣言いたします」
声は澄み、凛としていた。
「名は、アルシオ。皇国の皇子です」
一瞬の静寂。そして、拍手が起き、皇国の未来に栄光をーーと、祝意が広がる。柔らかな布の隙間から、小さな顔が覗いた。赤みを帯びた茶色の瞳が、眩しげに瞬く。黒い髪はまだ短く、額にふわりとかかっている。
我が子の初の公の場に、アリーシャも知らず、組んだ手に力が入る。貴賓たちは皇子を見ているが、何処からか「御髪が……」と聞こえた気がした。
皆の視線が集まっていることを感じたのか、アルシオが小さく声を上げた。ふにゃ、と頼りない泣き声が、広い謁見の間に響く。張りつめていた空気が、わずかに緩む。ルークが半歩だけ近づき、包みの端に触れた。
「大丈夫だ」
低く、優しい声で話しかけると、アルシオはその声で安心したのか、すぐに泣きやんだ。それを見た何人かが、穏やかに微笑む。
「健やかな御成長を」
代表して祝辞が述べられる。形式ばった言葉のやり取りは、簡潔に終えられた。
やがてアリーシャが軽く頷くと、アンナは静かに踵を返し、アルシオと再び奥へと下がっていった。
だが、残された視線は、消えない。アリーシャは玉座に座したまま、ゆっくりと場を見渡した。




