短編 ずるい男
その日、アンナは近衛隊の宿舎へと訪れていた。其処は普段女性が訪れる場所では無い。アンナに好奇の目を向けるものも少なくないが、アンナにはここへ来なければならない理由があった。手には果物やジュースと言った見舞いの品をカゴ一杯に入れ、ある扉の前で立ち止まる。
深呼吸をして、意を結してからアンナはようやく扉を叩いた。
「フェルナー卿、アンナです。失礼してもよろしいでしょうか」
そう告げると、なかから慌てた声が返ってきた。
「え!アンナ?」
ガタガタと物音がしてから、扉が開き、部屋の主人のエリアス・フェルナーがアンナを迎える。
エリアスは簡素なベストにシャツ、ズボンであった。足を引き摺りながら移動している。アリーシャを庇った際にカインに受けた剣は、エリアスの太腿に深々と傷を追わせていた。それなのに、棚の側に剣がおいてあるのを見るに、おそらく先ほどまで素振りでもしていたのか、頬が上気していた。なんてことないようにエリアスは人懐っこい笑顔でアンナを迎える。
「こんなとこまで、どうかした?」
しかし、アンナは部屋には入らず、俯いている。エリアスもアンナの表情から、無理には問いたださない。しばらくすると、アンナは頭を下げながら、重い口をひらいた。
「この度は、誠に申し訳ありませんでした。……私の、せいで、フェルナー卿にご迷惑をおかけして……。とても謝っても許してもらえるなんて思っておりません。治療費や賠償金はいくらご請求していただいても、一生かけて、償いさせていただきます!」
深々と頭を下げ、見舞いの品を差し出すアンナ。エリアスは、しばし言葉を失った。アンナの声もさしだした手も震えていた。ここまで謝罪をしに来るのも勇気がいっただろう。エリアスは穏やかな声で言った。
「……顔、上げて」
だが、アンナは動かない。
「アンナ」
今度は、少しだけ低く声を発する。その声音に、ビクッと肩を震わせ、アンナはようやく顔を上げる。目の縁が赤くなって、今にも泣きそうだ。エリアスは小さく息を吐く。
「……謝ってもらう必要はないよ。俺は、迷惑だなんて思ってない」
「ですが……!」
「俺が負傷したのは、俺が弱かったからだ」
言葉はあくまで軽い。だが、視線だけは真っ直ぐだった。
「結局、……殿下も、アンナも守れなかった」
アンナの喉が小さく鳴る。
「……そんなことありません!そもそも、私がカイン様の企みに踊らされた、それが原因です!」
涙が溢れ、声が揺れる。
「フェルナー卿は、近衛です。それなのに、その脚の傷では、もう・・・」
その続きを、アンナは続けることができなかった。エリアスの未来を奪った自分が、それを断言する勇気が出なかった。
「アンナ」
遮る声は、今度こそ強かった。エリアスは、足を引き摺りながら一歩近づく。痛みに眉を寄せながらも、距離を詰める。そして、アンナの手を引いて、部屋の中に引き入れる。扉を閉め、アンナを抱きしめる。カゴの中の果物が床に落ちて、転がった。
「もう言わなくていい」
アンナは息を呑む。
「もう自分を責めなくていいんだ。アンナが無事で、殿下も無事に帰ってきて、よかった。それでいいんだ」
アンナを抱きしめる腕の力が強くなる。
「それに、負傷したからって、剣が握れないわけじゃない。近衛としての未来が無くなったからって、俺の人生終わったわけじゃない」
「……なぜ、そこまで」
掠れた問い。エリアスは一瞬だけ視線を逸らす。そして、観念したように笑った。
「惚れた女の前では、格好つけたいもんでしょ?」
アンナは目を見開き、まっすぐエリアスを見上げている。涙は止まり、アンナの頬が、みるみる紅を帯びる。
「……え」
「だから謝る必要ない。治療費もいらない」
エリアスはそっと、アンナの頬に触れる。
「その代わり、――アンナをちょうだい」
アンナの心臓が強く鼓動を打っている。エリアスは、ゆっくりと顔を近づける。優しく、愛しむような口付けだった。
「……ずるいです」
かすかに笑う。
「そんなこと言われたら、断れません」
また、アンナの瞳から大粒の涙が溢れる。
「そうだよ。俺、ずるいんだ」
そして、エリアスは再びアンナに口付けを送った。




