第十章-2 約束の帰還
ルークは馬の手綱を緩め、ゆっくり息を吐いた。
「……助かった」
振り返り、少し離れた場所にしゃがみ込むジークハルトに声をかける。ジークハルトの胸当てや小手には血がこびりつき、マントは裂けている。ジークハルトもまた、緊張が和らいだ表情をしていた。
「間一髪、だったな」
淡々とした声にで、手を振り返すジークハルトに、ルークは苦笑し近づく。
「一人で追跡してたって聞いたぞ。無茶をする」
視線をガルデが去った方角へ向ける。
「時間がなかったしな。それに……証がなければ、戦になっていた」
「そうだな」
やがて、ルークが低く言った。
「俺は……三日と、言われた時、腹を括った。もう、戻れないかもしれない、と。アリーシャの顔が浮かんだんだ」
「素直じゃん」
ジークは静かに苦笑する。
「それを、陛下に直接言ってやればいいのに」
ルークは一瞬、目を細め、ジークハルトを睨む。しかし文句は言葉にならない。
「……」
ジークハルトは、深く息をはき、苦笑しながら立ち上がった。
「ルーク。前に、俺が言った言葉、覚えてるか?」
ルークは、ジークへ顔を向ける。
「……ああ。弱さを見せ合え、だったな」
「お前は陛下が弱ってても、支えたい、守りたいって思えるだろ?頼って欲しいって。陛下も同じだと思うぞ」
その一言に、ルークの表情が変わる。女皇であろうと、気丈に振る舞っていたアリーシャ、体調が悪くても、押し通そうとしたアリーシャ。そうか、俺はもっと頼られたかったのか。
そして、バロンに対する嫉妬や、アリーシャにいだく独占欲、劣情、絶対に見せたくないと思っていたこの気持ち。嫌われたくない、必要とされたいと思うこの気持ちも、ルークの本心だ。
では、アリーシャはどう感じていたのだろうか。俺が隠そうとするたび、彼女は。
ルークは小さく息を吐き、兵士たちへと声をかけてた。
「皇都へと、帰還する!」
二人は馬に乗り、戦場を後にする。待つ者のもとへと、帰るために。
帰還の報せが届いてから、城の空気が変わった。張り詰めていたものが、今度は落ち着かない緊張へと変わる。
アリーシャは正門へ立っていた。背後には近衛兵と侍女たち。空はまだ薄く曇っている。遠くで蹄の音が響く、隊列が見え始める。気が急いて、知らず一歩前へ足が出る。先頭に、見慣れた姿がみえた。マントを翻し、ルークがゆっくりと戻って来た。馬が止まり、彼が降りる。
形式上は、ここで跪き、帰還の報告をするのが筋だ。だが、二人の視線が絡んだ、その瞬間、何もかもひどく遠く感じた。アリーシャが、先に歩み出る。兵たちがわずかにざわめくが、構っていられない。もう強いふりはしない。
「……よく、戻ってきてくれました」
声は静かだが、わずかに震えている。ルークはその震えを、聞き逃さない。
「約束しただろう」
低く、穏やかに答える。そして――ルークは歩み寄り、アリーシャを強く抱き寄せる。鎧越しでアリーシャが痛い思いをするかもしれない。小さな息が、彼女の喉から零れた。そして、アリーシャの手が彼の背に回る。
「……心配、しました」
胸に顔を寄せたまま囁く声が聞こえた。女皇としてではない、一人の妻としての安堵の声。ルークの喉が、わずかに震える。
「……俺もだ」
それは告白だった。彼は抱きしめる力を、少しだけ強める。
「でも、約束しただろう?帰ってきた」
アリーシャは、目を閉じ、こくん、と頷く。
「……帰ってきたら、たくさん話したいことがあるの」
ゆっくりと顔を上げ、ルークと視線が合う。
「……俺も、話したいことがある。聞いてくれるか?」
「もちろん」
兵士たちの視線がある。そんなこと、関係なかった。彼は額をそっと彼女の額に触れ、もう一度、強く抱きしめる。
「もう、離してやれないや」
兵士たちは目を伏せる者もいれば、静かに微笑む者もいる。咎めるものは誰もいない。やがて、ルークが名残惜しそうに腕を緩める。だが完全には離さなかった。手を引き、抱き上げる。
「帰ろう」
「ええ」
アリーシャは、腕をルークの首に回した。二人は城へと歩き出す。曇っていた空が、わずかに明るんだ。




