第十章-1 王の謝罪
寒空の元、ガルデ軍と国境を挟んでみ睨み合いが起きていた。中央に立つダグラス王は鎧をまとい、馬上からこちらを見下ろしている。武装しているということは、――交渉に来た姿ではない。
背後の最小限の兵を伴って、ルークは整然と馬を進める。ダグラスがただ、話をしに来たわけでないことは当然想定してはいたものの、こちらはあくまでも「対話」をしに来たのだ。だが、最悪の状況になってしまえば数で圧倒されるこちらが、勝つことは難しいだろう。よくて捕虜、もしくは見せしめに殺されていても仕方ない。
(戦いになるわけには、いかない)
それでも引くわけにはいかない。ダグラスの正面まで馬を進めて、ルークは止まった。数歩分の距離を隔て、両軍が睨み合う。
沈黙が流れる。
先に口を開いたのは、ダグラスだった。
「……女皇は来ぬのか」
低く、重い声だ。
「我が使節団は貴国領で全滅した」
ダグラスの視線が鋭くなる。
「説明に来るのは王配か」
それは、皮肉でもあり、試すような響きだった。ルークは視線を逸らさない。
「女皇の名代として、本件は私が預かっております」
「預かる?責任を“預かる”とは、便利な言葉だな」
空気が張り詰める。
「我が国は飢えていた。貴国の支援を受け入れた。それを傘に、軽んじられたか」
声が低く落ちる。
「女皇は、抗議を宣言したな。その報復が、これか」
兵たちがざわめき、敵意が膨らむ。ルークは、ゆっくり息を吸う。感情を乗せずに答える。
「使節団には、我が国の護衛をつけておりました。その全てが死亡しております。貴国の使節をお守りできなかったこと、言い逃れはいたしません」
「――ですが、故意ではない。現在、襲撃の実行犯を追跡中です。回答を待っていただきたい」
ダグラスの口元が歪む。
「待てと?我が使節が死んだのだ。その“追跡中”という言葉を、どう信じろと」
ダグラスが一歩、馬を進める。場の緊張が跳ね上がる。
「随分と都合が良い物言いではないか」
ダグラスの威圧に乗じて、ガルデ軍の気配が、じわりと前に出る。ルークは動かない。背後の兵も、動かない。
(煽られるな。感情を見せるな)
ダグラスは剣を抜かせる口実が欲しいのだ。ルークは低く、しかしはっきりと告げる。
「皇国は、貴国を軽んじてはおりません。支援は取引ではない。本件は、我が国の失態です。しかし、猶予を頂きたい」
「ならば、証を持ってこい。さもなくば――」
背後の圧が強くなる。ルークは怯まず答えた。
「承知しました。証を持って参ります。それまで、軍を動かさぬことを願います」
「よかろう、三日ここで待ってやろう。間に合わぬ場合は、分かっているな」
ダグラスが威圧をさらに強めた。その瞬間、――ヒュン、と風を裂く音。両軍の中央、境界線の土を抉るように矢が突き立った。矢には白布が結ばれており、それは休戦の合図だった。両国の兵にざわめきが走る。ルークもダグラスも、同時に視線を向ける。矢が飛んできた方角から、土煙があがり、馬を駆る男が見えた。そして、並走する馬の背には、縄で縛られた男が横たえられている。
「――ジーク」
ルークの声が低く落ちる。ジークハルトは減速もせず、両軍の間へ突っ込む。
「両者、待っていただきたい!」
鋭く通る声を張り上げ、担いでいた男を、地面へと叩き落とした。どさり、と鈍い音がして、男の顔が見えた。死んだと思っていた男の顔に、ダグラスの目が見開かれる。
「……バロン?」
血に汚れながらも、確かに息をしている。ジークは馬上から降りずに、また声を張る。
「使節団の代理官は死んでおりません!襲撃は、この男の謀事!」
兵がざわつく。ダグラスの視線が、地面のバロンへと落ちる。バロンは、ゆっくりと顔を上げた。痛みに歪みながらも――笑っていた。
「……陛下」
その余裕が、逆に不気味だった。ルークはバロンの前で馬を止める。
「バロン・クラウゼン。説明してもらおう」
ダグラスも前へ出て、怒りと困惑が混じる視線でバロンを見下ろす。
「これはどういうことだ、バロン」
捕縛されたまま、バロンは荒い息を整える。
「私は……皇国の傲慢を暴こうとしただけです。使節団は、私の命で…… “演出”した」
その言葉に、ガルデ兵の顔色が変わる。
「演出、だと?」
ダグラスの声が震える。
「我が国を怒らせ、女皇を引きずり出し……、戦端を開かせるために」
ルークは目を細める。
「何のためだ」
「国は、揺らがねば変わらない。常に敵がいないといけないんだ。だから、火種が必要だった」
ダグラスの拳が震える。
「我が兵を……駒にしたか」
「必要な犠牲です」
その一言で、空気が凍る。ダグラスは、しばらく何も言わない。やがて、重く口を開く。
「……縄をかけろ」
ダグラスを見上げる。
「王よ、お助け下さい!私は、ガルデのために――」
「黙れ」
短く、鋭い一言。そして、背後の兵へ命令した。
「連れて行け」
兵がバロンを引き立てる。
「陛下……!」
なおも縋ろうとする。だがダグラスは視線すら向けない。バロンは引きずられながらも、最後まで笑っていた。だがその笑みは、もはや余裕ではない。土煙の中、連行されていく。ダグラスはゆっくりとルークへ向き直った。深く息を吐く。
「……王配殿。あの愚か者のしでかしたこと、申し訳なかった」
明確な謝罪をダグラスが口にした。王が、他国に頭を下げる。
「ガルデは、皇国に責任を求めることは一切ない。食糧支援、エストリアとの仲介、貴国の温情に対し、仇で返してしまった」
それは、王としての誠意だった。ルークは馬を降りて、対等の高さで立つ。
「皇国としてもガルデの総意とは思っておりません。ですが、あの男の処罰は厳重にお願いします。再び、同様の策が生まれぬよう」
「当然だ」
剣を抜きあうには至らなかったが、そうなってもおかしくなかった。ジークハルトが間に合わなければ、あの男と同じ末路に立つのはルークであっただろう。
風が吹く。張り詰めていた空気が、わずかに緩む。ダグラスは最後に言う。
「女皇陛下に、伝えてほしい。ガルデは、誠意をもって応えると」
ルークは頷く。
「必ず」
視線が交わるが、そこに敵意はなかった。国と国、互いに矜持を持つ者同士。
やがて、ガルデ軍が退く。
戦は、回避された。




