第九章-2 弱さを見せること、受け入れること
王城では、アリーシャが窓の外を見ていた。空は気分を表しているかのように曇天が広がっている。国境へ向かった日から、城の空気はどこか張り詰めたままだ。
(無事でいて……)
祈ることしかできない自分に、胸が小さく疼く。その時、控えめなノックがした。
「アリーシャ様」
ネリーの声がした。
「アンナが……戻りました」
アリーシャは振り向く。
「本当に?」
扉が開く。少しやつれたが、穏やかな笑顔のアンナが立っていた。
「アリーシャ様……ご心配をおかけしました」
アリーシャは思わず歩み寄る。
「もう大丈夫なの?」
「ええ。悪阻が少し落ち着きましたので」
その言葉に、胸が温かくなる。アンナのおなかの中に小さな命が育っている。
「エリアスには……?」
アンナは頬を染め、ネリーが小さく微笑む。
「ジーク様が場を設けてくださって」
アリーシャの目が柔らぐ。
「そうなのね」
「ええ。すこし強引でしたが」
アンナはくすりと笑う。
「エリアス様は、最初は驚いておられました。でも……妊娠のことをお伝えしたら、今すぐにでも結婚しようと、仰ってくださったのです」
アリーシャの手が、思わずアンナの手を包む。
「本当に?」
アンナの瞳に涙が滲む。
「はい!……私は、アリーシャ様も裏切って、エリアス様の騎士としての未来も奪って、さらには、貴族としての未来も奪うのが怖かった。だから、精一杯強がって身を引こうとしました。でも、それは私の独りよがりな強がりだったんです」
エリアスは、アンナの強がりを見抜いた。確かに、重傷を負い、騎士としての未来が閉ざされたこと、剣のない自分には価値がないのではないかと自暴自棄になったこともあった。俺も弱い男だよ、と。それでも、アンナと一緒になりたい。自分が守ったものをこれからも守っていきたい。お腹の命も含めて。――そう吐露した。強くあろうとする男が、震えながら。
「だから、私の弱さも……全部見られてしまいました」
アンナは微笑む。
「互いに、情けないところも含めて、選んでくれたのです」
アリーシャの胸に、その言葉が深く落ちる。
“情けないところも含めて”
弱さを見せたから、結ばれた。
弱さを許したから、絆が深まった。
(じゃあ、わたくしは……?)
窓の外を見つめながら思い出す。ルークは、あの夜、泣きそうな顔をしていた。「愛している」と叫んだのは、強いからか、それとも弱いからか。国よりも、自分を選ぶと口にした。あれは王配としては未熟だったかもしれない。――だけど
(あの人は、隠さなかった)
恐怖を。
失うかもしれない未来を。
守りたいという、身勝手にも似た願いをさらけ出した。
わたくしは、何を見せていた?
女皇としての責任。
揺るがぬ決意。
正しさ。
強さ。
……強がり。
(わたくしは……)
弱さを、見せていた?
国境へ向かうと言い張った時、本当にそれは責任だけだった?それとも“守られるだけの存在になりたくない”という意地もあったのではないか。ルークに対して対等でいたい、並び立ちたい、守られる側で終わりたくないという焦り。それもまた――弱さではないか。
「アリーシャ様?」
ネリーの声で、はっとする。アリーシャは小さく笑う。
「……わたくし、強いふりばかりしていたのかもしれないわ」
ネリーが首を振る。
「いいえ。女皇としてのアリーシャ様は、お強いです。ですが……それだけでは、苦しくなります」
アリーシャは、ゆっくりと瞼を伏せる。ルークは弱さを見せた。自分は受け止めきれず、反発した。女として愛される喜びと、女皇として揺らぐ苛立ち。その両方を抱えきれず、強がった。
静かな気づきが、胸に広がる。弱さを見せることは、相手を信じることだ。弱さを受け取ることは、対等になることだ。
アンナとエリアスは、互いの傷を知って結ばれた。――では
(わたくしと、ルークは)
まだ途中なのだ。強がってばかり意地を張って、弱さを完全にさらけ出せていない。だから、あんなに衝突した。
アリーシャは窓の外を見つめる。遠い国境の空を。
(戻ってきたら……)
今度は、強さだけでなく、弱さも、意地も、不安もきちんと伝えよう。女皇としてではなく、妻としてだけでもなく“アリーシャ”として。
「……戻ってきたら、ルークと話がしたい」
ネリーとアンナは、微笑む。
「きっと、聞いてくださいます」
アリーシャは、ゆっくりと頷いた。その胸の奥で、何かが少しだけ柔らかくほどける。
だが、不安は消えない。もし、戻らなかったら?その思考が、再び胸を締めつける。弱さを見せる前に、失ってしまったら。
(どうか……)
もう一度、向き合う機会が欲しい。祈りは、静かに続いていた。




