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皇国のアリーシャ  作者: 岡井チマ
第二部
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第七章-2 掴まれた手首

 後日、謁見の間にて、アリーシャは王座に座り、正面にいるバロンへと対していた。王座の横にルークと宰相が立ち、下には重臣たちが控えている。ガルデ国支援の総括を伝えるために、今日はこの場を開いた。


「第一便の物資は予定通り到着。第二便も本日未明、国境を越えたとの報告がございました」


 宰相の報告を受け、アリーシャはゆるやかに頷く。


「ご苦労でした」


 そして、バロンへと視線を向けて、静かに伝える。


「皇国としての責務は、これにて一段落と考えております」


 バロンは穏やかに微笑み、胸に手を当て、優雅に一礼した。


「女皇陛下のご英断、ガルデ国を代表して感謝申し上げます。両国の友誼は、より強固なものとなりましょう」


 言葉は蜜のように甘が、アリーシャは動じない。


「今後はエストリアとの協議の期日を定めるため、引き続きダグラス王と詰めていただきたく存じます」


 柔らかな物言いだが、内容は明確だ。主導権は皇国にある。バロンの瞳がわずかに細まる。


「承知いたしました。代理官としての務めも、ひとまず区切りと考えております。定期的な訪問は継続いたしますが、ガルデ国へ帰還したく存じます」


 バロンの口から“帰る”との発言に、場が静まり返る。アリーシャは微笑み、静かに告げる。


「長きにわたるご尽力、感謝いたします。帰国前に、ささやかな晩餐の席を設けましょう」


 バロンの視線が、ゆるりとアリーシャへ向く。


「ところで……陛下。ご体調はいかがですか。お優しい陛下が、お心を砕かれている。王配殿下も、とても心配しておられました」


 “王配”を強調するバロンの言葉に、横のルークの気配が強くなる。アリーシャの指先が、わずかに玉座の肘掛を撫でる。悟られてはいけない。胸の奥で、自らに言い聞かせる。


「ご心配にはおよびません」


 笑顔を貼り付けて、視線をまっすぐに返す。


「国境近辺の守護も強固になりました。再編も完了し、秩序はすでに機能しております。もう、あのような事は起きませんわ」


 バロンの瞳が、ほんの刹那だけ冷えた。


「それはようございました。陛下のご英断、誠に素晴らしいことです。――王配殿下も、さぞ苦慮なされたことでしょう」


 ――どうせお前が主導したのだろう、と言外に滲む。その瞬間、ルークが静かに口を開く。


「皇国の決定は、常に陛下の御裁可を経ている」


 感情のない声音で、事実のみを伝える。バロンは小さく頷いた。


「それは重畳。……頼もしい王配殿下だ」


「王配殿下は、わたくしの右腕です。常に私の意向を汲んでくれています」


 一際明るい笑顔でアリーシャはかえした。


「それが、皇国の在り方です」


 誰も口を挟めない。この瞬間、主導は完全に彼女にある。ルークは半歩後ろで、わずかに視線を落とす。


(強いな)


 胸の奥で、静かに息を吐く。まだ距離はあるが、誇らしいきだった。

 そして、バロンは、ゆるやかに微笑んだ。


(ならば、もう一度起こして差し上げましょう)


 燭台の灯りが、金の装飾を柔らかく照らしている。楽師の奏でる弦の音が、優雅に演出している。立食形式の晩餐は、穏やかに進んでいた。ガルデの使節や皇国の貴族たち、華やかな衣装と香水の匂いが混ざる。

 表面上は、アリーシャの功績を称える声が多く、平和そのものだ。アリーシャは中央で応対している。


「本日はお越しいただき、感謝いたします」


 穏やかに微笑み、言葉を交わす。もう視線は揺れない。先ほどの会議の余韻は胸に残っているが、顔には出さない。その半歩後ろで、ルークは常に周囲を見ていた。誰が近づき、誰が離れ、誰が長く視線を向けているか、無意識に把握している。

 やがてルークの視線が、会場の端で止まった。レオナールの父であるグランディール侯爵が、壁際でワインを傾けている。視線が一瞬ルークとあった。ルークはアリーシャへ低く告げる。


「少し外す。ディートリヒ達があそこに控えているから、そばを離れないで」


「ええ、わかったわ」


 アリーシャは、壁際に控えている二人の護衛たちの元へと移動した。ディートリヒ・クラウスと、もう一人、エリアスの後任のローラン・マエルだ。気配は抑えつつ、二人とも静かに控えている。

 ルークは軽く頷き、グランディール侯爵の方へ歩み去った。侯爵は、ルークが前に立つと静かに一礼をとる。


「王配殿下、辺境の再編、その他諸々。つつがなく終えられ、安堵しております」


 言葉は熱を帯びないが、視線はアリーシャへと向けられる。その視線はいくらか優しいものに見えた。


「辺境守備隊長が、上手く纏めてくれました。あなたの、腹心の部下までつけていただき、感謝しております」


 侯爵は鼻で笑う。


「あれはまだまだ甘い。マリウスが苦労している姿が目に浮かびます。ともあれ、あの地でこれ以上不穏な動きが起きないことを願うばかりです」


 ルークは少し声を落とす。


「それに、右派の動きも、あなたが宥めてくれていたでしょう」


「はて、なんのことでしょう。見当がつきませんが」


 これまで右派が表立って行動を起こしてこなかったのは、ライオネル侯爵が存外バロンに懐疑的だったことに加え、グランディール侯爵が右派の貴族たちの不満を自分からガルデへと転換していた、とルークは思っていた。侯爵にははぐらかされてしまったが。


「なんでもありません。あと少し、平穏に過ぎてくれればいいのですが…」


 ふと、広間のアリーシャへと視線を戻すが、その姿は無い。嫌な予感がして、ルークは侯爵に断りをいれてから離れた。


 広間の熱気が、少し重い。笑顔を保ち続けることに、ふと疲れを覚える。少しだけなら、とアリーシャは小さく護衛たちに告げた。


「少しだけ、外の空気をいただきます」


 アリーシャはバルコニーへ向かった。夜風が頬を撫でる。遠くで音楽が続いているが、ここは、ほんの少しだけ静かだ。アリーシャは手すりに指をかけ、ゆっくり息を吐いた。この油断のならない外交ももうすぐ終わりが見えて来た。至らなかった所もあるけれど、確かな手応えもある。

 少し離れた位置には、ディートリヒたちが控えている。息を抜きたいアリーシャの気持ちを汲んで、少しだけ距離をとってくれている。ディートリヒは特に、その距離感が心地よくて、安心する。


 そのとき背後で、衣擦れの音がする。ゆったりとした足取りだが、背筋がぞわりとする気配で誰が来たかわかる。


「お一人で夜風とは、風雅でいらっしゃる」


 何度もその甘い声をかけてくるバロンの声に、ゆるやかに振り返る。


「晩餐をお楽しみでは?」


 動揺を悟られないよう、微笑みは崩さない。バロンは月光の下で、静かに笑う。


「楽しませて頂いておりますよ。ですが、陛下の御姿が見えぬと、場が少々物足りなく感じまして」


 距離を詰めすぎず、ゆっくりとアリーシャに歩み寄る。ディートリヒたちも警戒しているが、バロンは代理官である。急に間に入り盾になることは出来ない。


「女皇陛下、この度の支援誠にありがとうございました」


 月光の下、声音は低く柔らかい。アリーシャは静かに答える。


「隣国として、当然のことをしだまでです」


 バロンは月を仰ぐ。


「あなたは素晴らしい女性だ。聡明で、強く、そして……美しい。……あの王配殿下の影に埋もれてしまうのは、惜しい」


 今までになく、バロンの言葉が、強くアリーシャにかけられる。アリーシャは笑顔を引き攣らせてしまう。


「影になった覚えはありません」


「そうでしょうか。あなたは彼の顔色を伺ってばかりのように見えますが」


 その言葉が、わずかにアリーシャの胸を刺す。さらに、一歩バロンが近づく。


「私なら、そんなことはさせません。あなたを理解できるのは、彼だけではない」


 そっと、バロンがアリーシャの背中に手を触れる。ぞくりと冷たいものが触れた気がして、身を引く。しかし、バロンがアリーシャの手首を掴み、強引に自分に引き寄せる。


「なにをっ」


 バロンの顔が思いの外近くにあり唇が、アリーシャの唇に触れる寸前ーー、掴まれた手首に力を込め、アリーシャはバロンを思いきり突き飛ばした。


「いや!!」


 バロンの身体がよろめき、数歩後退する。その間に、ディートリヒたちが割って入る。


「陛下に許可なく触れないでいただきたい!」


 剣の柄に手がかかる。ローランもアリーシャの前に立つ。アリーシャの呼吸は荒いが、バロンをきつく睨む。


「……失礼にも程があります」


 寒空の元、凛とした声で、反論した。


「これは皇国に対する侮辱です。ガルデへ正式に抗議いたします」


「私の想いがご理解頂けず、残念です」


 一瞬バロンの笑みが消えるが、すぐに元に戻る。アリーシャはそれ以上言葉を交わず、踵を返して、広間へと戻った。


 

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