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皇国のアリーシャ  作者: 岡井チマ
第二部
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第七章-1 夜の残滓

 朝、アリーシャが目を覚ますと、隣にルークの姿はなかった。指先でその跡をなぞれば、すでに温もりは消えてしまっていた。昨晩を思い出せば、胸の痛みが今起きたことのように思い起こされる。

 アリーシャの目から涙が静かに溢れた。弱さをみせたこと、ルークを失望させたことが辛かった。でも、ここで涙を流しても、一歩部屋から出れば、それを見られることは許されない。気持ちには蓋をして、声を殺して泣いた。


 一方で、ルークはジークと鍛錬を行っているが、その剣筋はいつもの鋭さはなく雑さが目立つ。当然、ジークハルトには苛立ちを勘付かれた。


「…ルーク。昨日の件は聞いてるけど、お前そのまま陛下に当たってないよな?」


「……」


 ルークは、返答できなかった。否定が返ってくるだろうと思っていたジークハルトは思わず、剣を止める。


「おいおい、嘘だろ。なんて言ったんだよ」


 ルークも剣を止め、苦い顔をしながらこぼした。


「アリーシャは気落ちしていたのに、きつい物言いをしてしまった。バロンの言葉に揺らされていたのが、許せなかった」


「お前ね……」


 ジークハルトは大きなため息をつく。


「この馬鹿真面目が。あんな奴の言葉を間に受ければ、それこそ奴の思う壺だろうが」


 言われるまでもなく、ルークも理解していた。


「あと、あれだな。おたくら、もう少しお互い弱さも見せ合うべきじゃないの?」


 ジークハルトの言葉に、ルークは眉をひそめた。


「弱さを……見せる?」


「そうだよ。お前は何でも一人で抱え込む。陛下も大概だけどな。似た者同士だよ」


 似た者同士――その言葉が、妙に引っかかった。ルークは剣を鞘に収める。金属音が、やけに乾いて響いた。


「…なにを、どう見せればいいんだ」


 思わず出た言葉に、ジークハルトは呆れたように笑う。


「ほらな。そういうところだ」


「……」


「なんでもかんでも内に溜め込みすぎだよ」


 ルークの視線がわずかに揺れる。自分の中の、言語化できない気持ち。それをどう見せればいいのかわからない。見せるつもりは無かったのに、アリーシャの発言に、苛立ちを吐露してしまった。こんな自分を見せれるはずがない。ルークは奥歯を噛みしめた。だからといって、あのとき、アリーシャは確かに弱っていた。受け止めるべきだったのに。


「謝らせるつもりはなかった」


 ぽつりと落ちた本音に、ジークハルトは目を細める。


「細かいとこまでは分からんが、お前ここにいていいのか?はやく陛下のところへ戻って、安心させてやれよ」


 ジークハルトが肩を叩き、声を落とす。


「まだあの男は場内にいる。余計な隙は見せるな」


 なかばジークハルトに促され、居室へと戻った。


 居室へ戻ってから、アリーシャとルークはいつも通り朝食を済ませる。お互い、言わなければならないことがあるはずなのに、言葉が喉の奥に引っかかる。

 その後、執務室へ入ると、すでに数名の文官が控えていた。


「本日目を通して頂きたいのは、辺境再編の最終報告と、ガルデへの支援物資第二便の確認でございます」


 アリーシャは頷き、報告を受ける。声音はいつも通り、落ち着いている。ルークは一歩後ろに立ち、文官からの報告を聞いてはいるが、意識の端で彼女の横顔を捉えていた。――昨夜、ルークの一言がさせてしまった苦悶の表情は見えない。


「辺境の守備の再編は、概ね完了したとのこと。概ね離反した者もなく、編入されたとのご報告です。周辺の村々へも兵を配置し、取り締まりも強化されたとのこと」


「負傷した方々はどうされましたか?」


 アリーシャが問う。


「大事には至っておりませんが、重症を負った兵士については、補償を与え、帰還させるとのこと」


 負傷者が出てしまったが、幸いにも死者は出ておらず、被害の広がりもない様子。アリーシャが小さくほっと安堵の息を吐く。だが、すぐに顔を上げる。


「再発防止策を出して下さい。被害がこれ以上出ないように」


「は」


 アリーシャの横顔をルークは横目で見る。


(強い。何事もなかったかのように、前へ進もうとしている)


 だが、強がっているのが分かる。王配としては、このまま口を挟まずに見守る。だが、夫としては?二つの立場が胸の内で擦れ合う。


「支援物資は滞りなく送られているか?」


 ルークが静かに補足する。アリーシャは、一瞬だけ彼を見る。その目に、まだ昨夜の残滓が残っていた。


「は。着々と、ガルデへと輸送が進んでおります」


 ルークと目があっても、アリーシャはすぐに視線を逸らす。同じ部屋にいるのに、二人の距離は微妙に遠い。その空気を、文官たちが察しているかどうかは分からない。だが、ジークハルトだけは、執務室の隅で腕を組み、静かに二人を見ていた。



「――報告は以上になります」


 支援物資の輸送について、周辺の守護が機能していること、一定の支援が間も無く完了することをバロンへと報告する。

 今回の会議は確認事項のみであったため、ルークが単独でバロンと対した。アリーシャを同席させる必要はなかった。――いや、させたくなかった。用件のみ伝えて、さっさと退室しようとしたが、バロンに引き止められた。


「そういえば、陛下のご体調はいかがですか?」


 わざとらしくさも心配しているかのような表情でバロンが尋ねてくる。ルークは目を細める。


「貴殿に心配して頂く必要はない」


「左様でございますか。しかし、此度の盗賊騒ぎ、さぞお心を痛めておられることでしょう。陛下はお優しい方ですので、気丈に振る舞っておられるのではないですか?」


「そうだとしても、貴殿には関わりないこと。」


 失礼する、と吐き捨て、バロンを残しルークは退室した。残されたバロンは、笑みを崩さない。あからさまなルークの態度に、腹を立てるどころか、愉快そうに扉を見つめていた。


(今日のあの態度、ああも露骨な態度では、陛下と何かあったと言わんばかりではないか!)


 バロンは笑いを堪えるのに必死だった。若く経験の浅い女皇と、下賎な王配、理想に酔う統治はそのうち綻ぶ。しかし、対して見れば想像以上に二人の信頼は固かった。しかし、静かに何度も毒を注げば、揺らせる。冷静な男のようだが、女皇に関しては、そうはいられないようだ。

 現に、ルークの表情からは焦りが見えた。だが、まだまだこんなものではない。もっと崩してやろう。


 後ろに控える部下に、バロンは尋ねる。


「例の者たちは、今どうしていますか?」


「は、一部襲撃時に捕縛されましたが、半数は国境付近の森に潜んでいるとの報告です」


「そうですか。一旦、その場で待機を命じてください。まだ、お願いすることがあるかもしれません」


「承知しました」


 そう言い残し、部下の男は姿を消した。バロンはゆったりとした足取りで、あてがわれた部屋へと戻る。


 執務室へと戻る道中、回廊の反対側から、ライオネル侯爵がゆっくりと歩いて来た。そして、ルークの前で立ち止まる。ルークも侯爵の前で止まった。


「王配殿下。昨日、陛下がご体調を崩されたとか」


 いくつもの目に見られていたのだ、当然広まっていた。


「大事ありません。今日も執務を取っておられます」


 侯爵の視線は、アリーシャを心配しているようにも、落胆しているようにも取れない。


「殿下。僭越ながら、一言申し上げたい」


「……何でしょう」


「ガルデの使節、クラウゼン卿。あの男は、言葉で盤を動かす類の人物です。陛下の御前で、王配殿下の影響力を殊更に強調する。あるいは、逆に挑発する。殿下の姿勢が試されています」


 ここでルークは察した。バロンがライオネル侯爵へも、その言葉で毒を蒔いている。“王配が決定している”という空気を作ろうとしている。

 だが。なぜそれを今、ルークへと伝えて来たのか。


「それは忠告ですか?」


「かような者に踊らされるのは癪にございます。私はあくまで王家に仕えておるのです」


 ここで、女皇と王配に、とは言わない。あくまで完全な味方ではないと、突きつけてくる。だが、正面切って伝えて来たライオネル侯爵を、ルークは視線を逸らさない。


「それで構いません。それでも、俺は陛下の隣でお支えするまで」


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