第三章-2 若獅子への期待
レオナールが退室すると、司令室にはルークとアルベルトが残った。アルベルトは腕を組み、ふうと息を吐く。
「しかし、思い切った登用をなさる」
「そうだな、しかし他に適任もいない」
ルークも短く応じた。辺境はかつてカイン派の基盤だった地だ。表向きは平穏に戻ったとはいえ、水面下の燻りまでは消えていない。
「グランディール公からは了承してもらったが、代わりに補佐として副官にマリウスという男をつけてほしいと」
アルベルトの眉がわずかに動く。
「……マリウス殿か」
「知っているのか」
「知っているどころではない。何度か剣を交えた。戦場でも隣に立ったことがある」
現グランディール侯爵も昔は武人であったが、その右腕として隣にいたのがマリウスだった。爵位を継ぎ、剣を置いてからも、変わらず公爵のそばで守って来たのだそうだ。その男を補佐としてつけるのは、公爵の親心か、もしくはーー
アルベルトはわずかに笑う。
「あの御仁がついてくれるのなら、レオナールも安心だろうさ」
「老獪と聞くが」
「老獪も、老獪だ。だが義理堅く、主のためなら泥も被る男だ」
ルークはソファーの背もたれへともたれる。
「辺境はまだ揺れている。カイン派は一掃されたが、新しい女皇と王配に不満を抱く者もいるだろう」
「そうだな」
「グランディール家の三男を据えることで、緩衝になればいいが」
アルベルトは鼻を鳴らす。
「上手く緩衝になるかどうかは、あやつ次第だ」
ルークは静かに言う。
「荷は重いかもしれないが、やってもらわなければ困る」
短い沈黙の後、やがてアルベルトが低く続ける。
「王配殿下。あやつは、まだ“勝ち方”しか知らん。“守り方”はこれから覚えていけば良い」
若き守備隊長の背中を思い浮かべながら、ルークは呟いた。
「この国のためにも。……彼自身のためにもな」
兵営を出て王城へ戻る途中、回廊の向こうからゆったりとした足取りの男が現れた。
バロン・クラウゼンは淡い笑みを浮かべ、胸に手を当てて一礼する。 声音は柔らかいが、どこか粘つく。
「王配殿下。今しがた、女皇陛下へ改めてご挨拶に伺ったところです。いやはや――実に聡明で、お優しいお方です」
ルークは足を止める。
「それは、ありがとう。」
突き刺しそうな視線を努めて隠しながら穏やかな声音で返す。バロンはわかっているだろうが、くすりと笑って返す。
「とんでもございません。今後とも陛下とは、良きお付き合いをさせていただきたく、本日は贈り物を差し上げました」
一瞬だけ、視線が絡む。探るような目を、ルークは受け流す。
「王配殿下はお忙しいご様子でしたので、私が代わりにお相手をさせていただきました」
バロンは目を伏せる。
「陛下は、たいへんお疲れのご様子で。お一人で気を張っておられるようでした」
――“お一人で”。その言葉が、わざとらしく落ちる。
「贈り物も、直接お渡しできて光栄でした。……お手ずから、受け取ってくださいましたよ」
その言葉に毒が含まれているのは明らかだ。
「…気遣いに感謝する」
形式的な言葉を交わし、ルークは歩みを再開する。背後から感じる不快な視線には気にもとめず、振り返りはしない。
執務室の扉を開けた瞬間、空気が違うことに気づいた。ソファーに座るアリーシャは安堵したような表情でルークに顔を向ける。いつものように背筋は伸びているが、指先がわずかに強張っている。その奥にいるジークハルトは、珍しく露骨に険しい顔をしていた。
「どうした」
ルークの声に、アリーシャが顔を上げる。
「ルーク……」
ほっとした色が、ほんのわずか滲む。ジークハルトが低く吐き捨てる。
「なんだ、あの男は」
「代理官か」
聞かなくてもわかってはいたが、念のために確認する。
「いちいち距離が近いんだよ。視線も、言葉も」
ジークハルトは乱雑に壁にもたれかかる。アリーシャは小さく息を吸った。
「ガルデからの贈り物を持って、改めてご挨拶にと……」
そう言いながらも、声はどこか落ち着かない。ルークはゆっくりと歩み寄る。
「……アリーシャ」
名を呼ぶと、彼女の肩がほんのわずかに緩んだ。隣に腰を下ろし、そっと腕を回す。抱き寄せると、彼女の体温が伝わる。
「なにかされたか?」
「いえ。なにも……」
言葉を探すように視線を落とす。
「でも、笑っているのに、目は笑っていないような……」
言葉にできない、微かな違和感を与えてくる。安心を求めて、アリーシャはルークの腕を、そっと掴む。ジークハルトが吐き捨てるように言う。
「薄気味悪いやつだったよ」
「……そうだな」
ルークは静かに答える。
(わざわざ俺の不在時に)
無意識に眉間に皺が寄り、アリーシャを抱く腕にも力がこもる。アリーシャの細い肩が、わずかに軋む。――いけない。深呼吸して苛立ちを押さえつけてから、そっとアリーシャの髪に頬を寄せ、低く囁く。
「俺がいる。心配するな」
少しだけ砕けた声に、アリーシャは目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。
「ええ……」
その姿を見て、ジークハルトはようやく一息つく。窓の外には穏やかな陽が差している。だが王城の内には、確かに小さな波が立ち始めていた。




