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皇国のアリーシャ  作者: 岡井チマ
第二部
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第二章-追補 揺れる静寂

 朝、目を覚ますと、いつものようにルークの姿はなかった。広い寝台の片側だけが、すでに冷えている。


――もう、鍛錬に向かわれたのね。


 そう思いながら、シーツに残る温もりに、そっと指を伸ばす。ほんのわずかに、昨夜の名残がある気がした。ルークの朝は早い。王配となった今も、早朝の鍛錬は欠かさない。けれど、昨夜は、いつもより遅く眠ったはずだった。

 カインを討ってから、ルークは夜毎アリーシャを求める。けれど昨夜は――なぜかいつもより強く、切実だった。まるで、何かを確かめるように。求められれば、わたくしはすべてを受け止めたい、そう思っているのに。……でも、その視線だけが、どこか遠くを見ているようで。

 ルークは、決して弱音を吐かない。わたくしの前では、なおさら。それでも、抱きしめられたときの腕の強さ、荒々しくも感じたことを忘れられずにいた。


「アリーシャ様、起きられていますか」


ネリーが寝室へと入ってきた。


「ええ、起きてるわ」


 ネリーが入室し、朝の支度をしてくれる。彼女にはルークに感じたことは、話すことは出来ない。アリーシャ自身も、言葉にできないから。ふと、今日はアンナではなく、別の侍女がネリーと共に来ていたことに気づいた。


「ネリー、今日はアンナはどうしたの?」


「アンナは体調が優れず、本日はお休みを頂いております」


 ネリーはそう告げると、新しい侍女ケイトをアリーシャに紹介し、支度を続けた。心の機微に聡いアンナであれば、アリーシャのもやもやしたこの気持ちを上手く整理してくれたかもしれないのに。


「そう、大事ないといいわね」


 窓の外を見ながら、アンナを案じた。


 鍛錬場から戻ってきたルークの足音が廊下に響いたとき、アリーシャは咄嗟に顔を上げた。扉が開き、汗を流したばかりの彼が現れる。


「おはよう」


 いつもと変わらない声に、胸の奥がほっと緩む。


「おはようございます、ルーク」


 朝食の席に着くと、二人の間に静かな時間が流れた。食後に、いつもの紅茶の湯気が、淡く揺れる。ルークが、何気ない調子で口を開く。


「……昨日の疲れは、残っていないか」


「ええ。大丈夫よ」


 アリーシャは微笑む。


「よく眠れたわ」


「そうか」


 短い返事だけれど、その声はいつものように柔らかい。だが、その視線が伏せられていることにアリーシャは気づいた。昨夜の視線のことを思い出し、少し勇気を出して聞いてみることにした。


「……何か、考え事をしているの?」


 ルークは一瞬、言葉を探すように間を置いた。


「ああ、支援のことや他にも、考えなければならないことが増えたからな」


 それは当面の問題であり、嘘ではない。視線を上げ、アリーシャを見る。


「だが――、今はアリーシャとのこの時間が何より安らぐ。それだけで十分だ」


 それ以上は言わない。独占も、欲も、重さもすべて胸の奥にしまう。アリーシャには、気づいてほしくない。こんな感情を抱えていることは。


 だが…


「……アリーシャ、あの代理官だが」


 ルークが少し言い淀む。口にするつもりはなかった。気づけば名を出していた。あの笑みが、頭から離れない。


「あの男には用心してくれ」


 ほんのわずかに、声が低くなる。それは王配としての警告か、夫としての本音か、自分でも分からなかった。ただ、あの男の手が近づいた瞬間の光景が、何度も脳裏をよぎる。ルークの忠告に対し、アリーシャは目を伏せる。


「でもーー、彼はダグラス陛下の代理ですから、どうしても必要最低限の接触は避けられません」


「…わかっている。だが、必ず誰かを同席させてくれ。俺か、宰相を」


 それは命令ではなく、願いに近い。本音を言えば、近づくことさえ許したくない。


「……ええ。わかりました」


 小さく頷く。会話はそこで終わった。

 ルークは理由は言わない、不快だったか、とも聞かない。自分が怒りを露わにすれば、彼女が気を遣うと知っているから。




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