第二章-2 晩餐会で生まれた想い
同日の夜。
迎賓館では、公式の晩餐会が予定されていた。控えの間では、慌ただしく準備が進められている。貴賓や招待者の動線の調整や、進行の打ち合わせを確認しつつ、会談の衣装から、会食向きの衣装へと着替える。
アリーシャは紫に金の刺繍が散りばめられた衣装を纏う。華美になり過ぎず、しかし国としての威厳を表している。開催の時間まで短い時間しかないが、アリーシャは長椅子に腰掛けたまま休息をとる。
会談とは違う緊張感に包まれているため、ふぅ、と思いのほか大きなため息が漏れた。
「まだ、肩の力は抜いておけ」
声のする方を振り向くと、労うようにルークが隣へと座る。今夜のルークもいつも以上に華美な衣装を纏っている。白を基調に、ところどころにアリーシャのドレスと同色の紫を入れた、夫婦とわかる色だ。
「全部を背負う必要はない。俺がそばでカバーするから」
それだけの言葉が、確かに暖かくアリーシャを包み込む。アリーシャは、ふっと息を吐き、微かに笑う。
「……ありがとう」
「それが俺の役目だからな」
それは王配としての言葉であり、夫としての言葉でもあった。衣装が乱れるため抱きしめることはできないが、アリーシャはルークの肩へ頭を傾けた。
しばらくして、扉が開かれ、晩餐会が始まった。それぞれの円卓には、食事が並べられていく。最初の軽い挨拶のあとに、ダグラスが静かに言う。
「先王ケイネスの国葬の折には、言葉を交わす機会はなかったが――」
その目が、まっすぐアリーシャを捉えた。
「亡き王の後を継いで間もないというのに、たいしたものだ」
「お言葉、恐れ入ります」
アリーシャは静かに頭を下げる。
「未熟ではございますが、兄に恥じぬよう皇国を統治していくつもりです」
「そして――王配殿。貴殿もまた、面白い男だ。会談の最中、一度も私から目を逸らさなかったな」
「ダグラス陛下から、そのようにお言葉を頂けるのは光栄でございます。私の役目は、陛下のお側にいることですから」
「なるほど。ならば貴殿は、良い伴侶を得たということか」
アリーシャが一瞬だけルークへ笑みを送ると、ルークもまた、微笑み返した。
食後、卓が静かに下げられ、広間の中央が空けられる。奥扉が開き、楽の音が流れ出した。弦の調べが柔らかく空気を震わせる。
ダグラスが立ち上がる。その動きだけで、場の視線が集まった。
「女皇陛下」
ダグラスの声は低く、よく通る声だ。わたくしは立ち上がり、ゆるやかに一礼する。
「この歓迎、まことに光栄だ。最初の一曲、私にいただけるか?」
――来た。周囲の空気がわずかに張る。外交上、断る理由はない。国を代表する者同士、男女であれば最初の相手として選択するのは、最大の敬意でもある。
アリーシャが答えようとした、そのとき。ダグラスはふっと笑った。そして、視線をゆっくりとルークへ向ける。
「……いや。夫婦の間には入れぬな」
広間に小さなどよめきが走る。
「最初の一曲は、王配殿と踊られよ」
その声音には、嘲りも揶揄もない。ただ、事実を見極めた男の、率直さ。アリーシャの胸が、静かに熱くなる。ダグラスは続ける。
「その次を、私に頂けるか?」
挑むようでもあり、礼でもある。アリーシャはまっすぐにダグラスを見つめ、微笑んだ。
「喜んでお受けいたします」
そのやり取りを見ていたルークが、一歩前へ出る。
「ダグラス陛下、お先に失礼します」
差し出された手を、アリーシャは取る。いつもより少しだけ強く、握られた手が暖かかった。
「……行こうか」
アリーシャは笑顔で頷き、二人で広間の中央へ向かう。音楽に合わせ、ゆるやかに体を預ける。周囲の視線が向けられるのを感じるが、今だけは二人の時間だ。
「まだ油断は出来ないが、ダグラス陛下は懐の深い方だな」
「ええ。でも……」
「大丈夫。」
その一言で、心が凪ぐ。歩幅は自然と合い、呼吸も同じ速さになる。人々の視線の中で、二人は夫婦として、王と王配として、揺るぎなくそこにいた。遠くで、ダグラスが腕を組み、静かに二人を見ている。
曲が終わる頃には、胸の奥に溜まっていた緊張は、かなり和らいでいた。名残を惜しむように、ルークの手がゆっくり離れた。
「お見事だった、女皇陛下」
ダグラスが歩み寄る。近づくだけで、場の温度が一段下がるようだった。その存在は重い。王として戦場をくぐり抜けてきた男の威厳だ。彼が手を差し出す。
「では、私の手を取ってもらえるか」
アリーシャは息を整え、その手を取った。
「はい、よろしくお願い致します」
大きく、硬い手がアリーシャの手を引く。ルークと比べると、体格の大きなダグラスは歩幅も大きく、合わせていかないとこちらが乱れてしまいそうだ。
「若いな」
唐突な言葉を投げかけられる。
「だが、弱くはない」
その視線は真正面から射抜く。
「すぐに手折られそうな花かとおもえば、なかなか強かだ。王の器を持っている」
「……弱いままではいれません」
「それもそうだな」
ダグラスの口元がわずかに上がる。威圧の中に、確かな承認が感じられた。しかし、弱みを見せればたちどころに飲まれてしまうのも事実だった。
「楽しいひとときであった」
曲が終わると、ダグラスはそう言って踵を返していった。その背後には、バロン・クラウゼンがいつのまにか近づいていた。朗らかな笑みのまま、わずかに距離を詰めてくる。
「素晴らしいお姿でした、女皇陛下」
アリーシャの前に立ち、手のひらを差し出しながら礼をとる姿勢は完璧だった。
「もしお許しいただけるなら――次は私とも踊って頂けますか」
視線が合うと、明るい茶の瞳は、柔らかく笑っている。だが、その奥でなにか光るものが見えた気がした。ここで拒むのは、失礼に当たる。彼はこれからダグラスの代理として、付き合っていかなければならない。
「……光栄です」
アリーシャは、女皇として微笑み、その手を取った。重ねた手――誰にも気付かれないが、指先がなぞるように動いた。アリーシャだけは意図的だと、すぐに分かる。だが、周囲の視線があるため、明確な拒絶はできない。
「ダグラス陛下は厳格な方、さぞ気を張っていらしたことでしょう」
囁く声は、気遣いを装っていた。腰に添えられる手が、わずかに強くなる。ーー動けない。背筋がひやりと冷えた。
「……おやめください」
アリーシャの言葉は聞こえていなかったかのように、バロンは、笑みを崩さない。
「貴方様のような高貴な方と踊れるのは、身に余る光栄でございます」
ダンスに紛れて顔が近くなる。
「誉を賜った者に、ほんの少しのお心遣いを」
その言葉が、決定的だった。拒まねばならない。だが、今は――
「陛下は、三曲続けて踊られました」
静かな声が割り込む。ルークだった。
「これ以上は、ご負担になります。――あとは、私が」
バロンは一瞬だけ目を細め、すぐに穏やかな笑みへ戻る。
「左様でございますね」
手を離し、一礼する。
「ひとときの至福の時間を、ありがとうございました。――これからも、どうぞどうぞ、よろしくお願いします」
その言葉を残し、バロンは身を引いた。アリーシャはルークに連れられ、席へと戻った。円卓には二人しか居なかった。ルークが傍らに屈み、短く告げる。
「少し休んでいい。なにか飲み物を頼もう」
先ほどまでバロンと重ねられていたアリーシャの手を取り、ルークはその手のひらを見つめる。
ルークはそっと、そこへと口付けを落とす。まるで、上書きをする様に--。
一瞬のことで、周りにいた者は気づきもしないだろう。ルークは立ち上がり、給仕に飲み物を頼むと、すぐに定位置へ戻る。アリーシャの後ろに立ち、今は遠くにいるバロンを睨む。あの男の視線も行動も、ただの無礼なんかではない。
――次も侵しにくる。前に立てば斬り伏せる。だが、今の立場ではそれは出来ない。俺は横に立つと決めた。守るために、彼女の影になると。
……なのに。あの手を引き剥がした瞬間、胸に湧いたのは王配としての責務ではなかった。
(触れるな!――それは俺のだ)
そんな感情を抱いた自分に、わずかに息を呑む。表情には出さない。出せば、彼女を不安にさせる。
(隠さなければ…)
一方で、アリーシャは胸元に引き寄せた手の温もりを確かめながら、深く息をついた。――守られている。そして、隣に共に立ってくれている。
そう思っていた。




