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皇国のアリーシャ  作者: 岡井チマ
第二部
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第二章-1 均衡に刺す影


 セレスティア皇国は、三国の狭間に立つ緩衝の地である。

西に軍事国家ガルデ王国。

東に商業国家エストリア共和国。

そして南には、広大な領土と強大な軍を誇る帝国が控えている。

 皇国とガルデは、互いに牽制しながらも、同時に南の帝国を強く意識せざるを得ない位置にあった。一国が動けば、均衡は容易く崩れる。


 先王ケイネスの治世下では、巧みな均衡外交によってその中立は保たれてきた。だが、王が代わった今、若き女皇が率いる皇国は、どう舵をきっていくのか試される立場にいる。さらに昨年、皇国北部では冷夏が続き、収穫は例年を下回った。国庫は逼迫してはいないものの、余裕もまた多くはない。そして同様の寒気が、国境を越えてガルデにも及んでいる可能性は高かった。

 そんな中、ガルデ王ダグラス・アルム・ガルデから、正式な会談要請が王都に届いた。名目は、ガルデへの食糧支援とセレスティア皇国を挟んで位置するエストリアへの交易仲介への申し出であった。文面は丁重で、過剰な要求も見当たらないが、国境付近での緊張を考えれば、それを額面通りに受け取る者はいなかった。食糧支援という名目の裏にあるのは、真に困窮か、それとも戦略か。いずれにせよ、それは皇国にとって軽く扱える問題ではない。

 宰相は文書を置き、低く息をつく。


「ガルデが本当に困窮しているなら、支援は必要でしょう。しかし、帝国が南で動けば、我らも兵糧を抱えておく必要がある」


 宰相は口元を手で触る、最近知った彼の思案するときの癖みたいだ。


「そして、隙を見せれば軍事的介入を探ってくるでしょうな。おそらく、我が国の中立を揺らそうとする思惑もあるでしょう」


 アリーシャは、机の上に広げられた資料に視線を落としたまま、静かに頷いた。帝国や、ガルデ国との情勢は理解している。だからこそ、軽く扱えない申し出であった。


「会談の場は、王都の迎賓館にいたしましょうか」


 彼女の言葉に、数人の文官が頷く。


「迎賓館なら、こちらが迎える面目を保てます」


 宰相が補足する。ルークは、少し後ろでそのやり取りを聞いていた。発言はしない。だが、アリーシャの選択が、外交として正しいものであることは理解している。――俺が口を出す必要はない。


 そして会談当日。

 会談のため整えられた迎賓館は、磨き上げられた床と静かな陽光に包まれ、まるでこの一日を見守るかのように凛と佇んでいた。

 大広間に姿を現せたガルデ王、ダグラスは、ゆるりと一歩進み出る。無駄のない所作。重心の低い立ち姿。戦場を知る者の静かな威圧が、その場の空気を支配していた。年齢は三十代後半だろう。穏やかな笑みの奥に、決して退かぬ覚悟を秘めた眼差しを持っていた。


「若き女皇陛下。此度のご拝謁、感謝申し上げる」


 ダグラスの声は低く、よく通った。


「遠路はるばる、ようこそお越しくださいました」


 大広間の中央には長卓が設けられ、両国が対するよう椅子も用意されている。アリーシャは背筋を伸ばし、務めて笑顔でダグラスを迎える。後方にはルークと宰相が控えている。まっすぐに視線を合わせたまま、アリーシャは長卓を示した。


「どうぞ、お掛けくださいませ」


 両国の王が席に着くと、供の者たちは静かに後方へ退いた。背後に立つ気配が一歩整い、広間は張り詰めた静寂に包まれる。

そして、ダグラス王の眼差しが、まっすぐアリーシャを射抜く。


「単刀直入に申し上げよう。我が国は今年、穀物の収穫が芳しくない。貴国よりの支援を賜りたい」


 その言葉は、支援を求める側のものだが、ダグラス王の眼差しは一歩も退いてはいなかった。まるで問いかけるように、あるいは試すように、アリーシャの覚悟を見定めようとしている。胸の奥で、鼓動が強く打った。喉が、乾いて張り付いているようだ。

 そのときーー背後で、ルークがわずかに姿勢を正す。その視線はダグラス王を真っ直ぐに射抜いたまま。だが、その気配は揺るぎなく、わたくしの背を支えていた。


「……支援の件、確かに承りました」


 ゆっくりと、言葉を選ぶ。


「しかし、昨年は我が国北部も冷夏に見舞われました。余剰が潤沢とは申せません」


 ダグラス王の眉が、わずかに動く。動揺ではない、研ぎ澄まされた獣のような気配がわずかに濃くなる。


「承知している。貴国もまた容易ではあるまい」


 低い声が、静かに続く。


「ゆえに、一方的な負担を強いるつもりはない。支援物資の輸送路の防衛は、我が軍が担おう」


 その言葉に、背後の気配がわずかに硬くなる。後方に控えた宰相たちもざわめきを抑えられなかった。


「国境付近の警備を強化するのみ。貴国の兵を割く必要はない。


 ダグラスは言葉を続ける。


「さらに…、東のエストリアとの交易再開を望んでいるが、我が国から直接では難しい。貴国が仲介に立ってくれれば、双方にとって、利のある形と考えるが?」


 ダグラスの眼差しがアリーシャを捉える。逸らせば、その瞬間に主導権が奪われる。胸の奥で、鼓動が高鳴るけれど、視線を逸らせば飲まれる。アリーシャは卓の下で拳を握りしめて、視線を返す。


「人道的支援と交易については、皇国として可能な限り協力いたします」


 そして、静かに続ける。


「ですが、軍事的関与については、現時点ではお約束できません」


その一戦だけは譲れなかった。ダグラス王は一瞬、目を細め、やがて短く息を吐いた。


「……なるほど」


(視線は逸さぬか)


 嘲りはない。だが、試すような響きは確かにあった。


「承知した」


 それ以上、踏み込むことはなかった。張り詰めていた空気が、わずかにほどける。ダグラス王は椅子に身を預けた。


「今後は私の名代としてこのバロン・クラウゼンが代理官として実務を行おう」


 後方から一人の男が歩み出る。年齢は30歳前後か、明るい茶髪で、柔らかな笑みを浮かべている。


「ご紹介にあずかりました、バロン・クラウゼンと申します。以降は私がガルデ王の代理として実務を担わせて頂きます。――何卒、よろしくお願い申し上げます」


 会談は、大きな衝突なく終わった。だが、それが始まりに過ぎないことを、その場にいた誰もが理解していた。


「本日はありがとうございました。実りあるお話ができましたこと、何よりに存じます」


 アリーシャは静かに言葉を継ぐ。


「ささやかではございますが、晩餐の席を設けております。よろしければ、ぜひご同席くださいませ」


 ダグラスは小さく頷いた。


「ありがたく受けよう」


 そう告げると、一行は準備のため一度退室した。会談が一旦の区切りを迎え、静まり返った謁見の間で、ルークはアリーシャへと声をかける。


「……大丈夫だったか?」


 小さく問う声に振り向けば、いつもの夫の顔だった。アリーシャは微笑む。


「とても緊張したけど、大丈夫よ」


ルークはアリーシャの肩に触れ、そっと声を落とす。


「あなたは見事だった」


 胸の奥が、熱くなる。ルークに、そう認めてもらえたことが、なにより嬉しかった。アリーシャはそっと囁いた。


「……ルーク。あなたがいてくださるから、頑張れたのだと思うわ」


 彼は一瞬だけ目を細め、そして小さく笑った。


「そうか」


 その笑顔に、認められた気がした。それは、初めてアリーシャが女皇として、立った外交の場だった。


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