表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
皇国のアリーシャ  作者: 岡井チマ
第一部 
45/84

短編 内緒の焼き菓子


 午後の光が、王城の私室にやわらかく差し込んでいた。

 窓辺の小卓には、まだ何も並んでいない。


「姫様、実は……」


 アンナが差し出した白い紙袋から、甘い香りがふわりと漂った。


「城下で今、とても流行っている焼き菓子なんです。

 行列ができるほどだそうですよ」


 袋の口が開いた瞬間、アリーシャの瞳が、はっきりと見開かれる。


「……まあ」


 焼き色のついた、小さな菓子。

 どこか素朴で、けれど温かみのある佇まい。


「……とても、美味しそう」


 ぽつりと零れたその声は、皇女ではなく、一人の少女のものだった。


「姫様」


 ネリーが静かに声をかける。


「毒味が済んでいないものを、すぐにお出しするわけにはいきません」


 言葉は穏やかだった。

 叱責ではなく、確認に近い声音。

 アリーシャは、はっとしたように視線を落とす。


「……そう、ですね。

 わたくしが、軽率でした」


 そして、すぐに微笑を作る。


「下げてください、アンナ。

 お気持ちだけで、十分ですから、あなた達で食べて」


 あまりにも聞き分けがよくて、あまりにも慣れた諦め方だった。

 ネリーは、その横顔を一瞬だけ見つめ――小さく息を吐いた。


「アンナ」


「は、はい!」


「毒味を。責任は、あなたが持ちなさい」


「……え?」


 アンナが目を丸くする。


「城下の流行を、姫様にお伝えしたいと思ったのでしょう。

 ならば、その責任を持って、お出ししなさい」


 一瞬の沈黙のあと、アンナは深く頷いた。


「はい! 必ず!」


 ネリーはそれを見届けてから、アリーシャに向き直る。

「……今回は、容認致します」


 その言葉に、アリーシャの表情が一変した。


「……ありがとう!ネリー」


「ええ。ただし――」


 ネリーはわずかに視線を逸らしながら続ける。


「体調に少しでも違和感があれば、すぐに中止です。

 それと……内緒ですよ」


「……はい」


 嬉しさを抑えきれない声で、アリーシャは頷いた。

 ネリーは、茶の準備に取りかかりながら、心の中で小さく呟く。


(この方は……本当に)


 欲しがらない。

 だからこそ、与えたくなってしまう。

「……あの」


 茶器を並べ終えた頃、アリーシャがふと思い出したように言った。


「エリアスも、ご一緒にいかがですか?」


「え、俺も?」


 思わず漏れたその反応に、アリーシャはくすりと笑う。

「はい。四人だけの、内緒ですから」


「それは……断れませんね」


 エリアスは肩をすくめて席に着いた。

 こうして始まった、公式には存在しない、小さなティータイム。

 焼き菓子は、ほんのり甘く、城下の空気をそのまま閉じ込めたような味がした。


「……とてもおいしいわ」


 アリーシャは、そっと呟く。


「素朴なのに、優しい味ね」


 その笑顔を、ネリーは静かに見つめる。

(どうか……)

 この方が、こうして何も恐れずに笑える時間が、少しでも長く続きますように。


 ――まだ、祈りだけでよかった日の、ささやかな午後。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ