短編 気づかぬまま、隣にいた者
第七章-1と2の間、ジークハルトとネリーとです
王城に戻ったのは、夜半を過ぎてからだった。
松明の火が回廊を照らし、騎士たちの足音が重く響いている。アリーシャ王妃が攫われた――その報は、城の空気を一変させていた。
ジークハルトは馬を降り、足早に歩き出す。
喉が渇いていることに、その時ようやく気づいた。
(……最悪の事態だけは、避けねばならない)
そう考えながら、城内へ足を踏み入れた瞬間だった。
回廊の柱の陰に、ひとり立つ影があった。
ネリーだった。
いつもなら背筋を伸ばし、静かに控えているはずの彼女が、その夜は、明らかに違っていた。
顔色が悪い。唇は強く結ばれ、指先がかすかに震えている。いつもしゃんと伸びた背筋が、今はすこし屈められている。
「……ネリー?」
名を呼ぶと、彼女ははっと顔を上げた。
「ペイル卿……」
声は、普段よりも低く、掠れていた。
「ルーク殿下は?」
「すぐに出立される。王妃殿下を……必ず、連れ戻すと」
そう答えながらも、ネリーの視線は定まらない。
拳を握り締めるその仕草に、ジークハルトは初めて気づいた。
常に落ち着いており、表情を変えない。
今なお、平静を装おうとしている、だが――
(今にも泣きそうじゃないか)
ジークハルトは、思わず一歩近づいた。
「大丈夫だ」
そう口にしてから、自分が何を言おうとしているのか、考えた。
「ルーク殿下なら、必ず」
「……はい」
ネリーは小さく頷いた。
だが、その瞳はまだ揺れている。
しばしの沈黙の後、彼女は深く一礼した。
「……ジークハルト様」
「?」
「どうか……、お二人をよろしくお願いいたします」
ネリーはしっかりとジークハルトの目を見ている。
「わたしは、ここで待ちます」
震えを押し殺すような声。
「姫様が、必ず戻ってこられるように。……わたしは、信じております」
その言葉は、覚悟だった。
(……託してくれた)
アリーシャを。
ルークを。
そして――この場を。
自分に。
ジークハルトの胸に、これまで感じたことのない感覚が走った。彼女は、自己主張のない侍女などではない。
――自分がついてなど行けないから、俺を戦場へ送り出している。
(……俺は)
気づいてしまった。
この人を、ただの「忠実な侍女」としては、もう見られない。
「……必ず、連れ戻す」
そう答えた自分の声が、驚くほど、真剣だった。ネリーは、ほんの一瞬だけ目を伏せ、それから静かに頷いた。
「……はい」
その横顔を、ジークハルトは、なぜか目に焼き付けていた。走り出してからも、胸の奥に残る違和感は、消えなかった。
(俺も、真剣になっちまったかもな・・・)




