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最終章-5 夜明けの先で

 近衛騎士たちは、剣を構えたまま、ただ一人の侵入者を前に、動けずにいた。

 アリーシャは、玉座の前に立ったまま、カインを見据える。

 かつて兄と呼んだ人。

 幼い頃、同じ城を走り回った人。

 何を言っても、分かり合えないと痛感してしまった。

ヴァンとディートリヒ達が剣を手にカインへと間合いを図る。


しかし、王座の間の扉が勢いよく明けられる。

息を切らして走ってきたルークがそこに立っていた、

 ルークは一歩前に出ると、まず――ヴァン・クライブへ視線を向けた。


「……団長」


 短く、だが深く。


「女皇陛下を守ってくれたこと、礼を言う」


 その言葉に、ヴァンは一瞬だけ目を細める。


「それが、我らの役目だ」


 ぶっきらぼうな返答だったが、そこに迷いはない。

 ルークは、続けた。


「ここから先は――」


「この男との決着は、私に任せてほしい」


 王座の間が、静まり返る。

 ヴァンは、カインを一瞥し、次に、アリーシャの背を確かめるように見る。

 そして、剣をわずかに下げた。


「……了解した」


 短い言葉。

だが、それは完全な信頼だった。


「我らは、陛下を守る」


 ディートリヒが、無言で一歩前に出る。

近衛騎士たちが、王座を囲む陣形を取り直す。

 戦場が、二つに分かれた。

 前へ進んだのは、ルーク一人。

 カイン・シュバルツが、ゆっくりと剣を構え直す。


「……ずいぶんと、様になったな」


「君は、選ばれただけの男だ」


 刃先が、ゆっくりと向けられる。

知っている必要はない」

 ルークは、剣先を下げない。


「彼女を守る」


「それで十分だ」


 一瞬、沈黙。

 そして、カインが低く笑った。


「……やはり、同じだ」


 剣を握る手に、力がこもる。


「お前も、奪う側の人間だ」


「守ると言いながら、彼女の未来を決めている」


 ルークは、首を振った。


「いいや」


 短く、しかし確かに。


「俺は彼女の選択の先に、立ち続けるだけだ」


 その言葉に、アリーシャの胸が、静かに熱を帯びる。

 カインの表情から、余裕が消えた。


「……なら、証明してみろ」


 剣が、わずかに上がる。


「どちらの生き方が、正しかったのかを」


 ルークは、息を整える。


「望むところだ」


 二人の視線が、正面から噛み合う。

王の間、二人は向かい合っていた。

 剣先の距離は、互いに一歩。

カインは、薄く笑っている。

余裕のある笑みだった。


「……ここまで来たな、ルーク」


 剣を構えたまま、楽しげに言う。


「皇国のためだ。

姫のためだ。

お前も、そう言い聞かせてここまで来たんだろう?」


 ルークは答えない。

視線は、揺れていなかった。

 次の瞬間、剣がぶつかる。

乾いた音。

火花が散る。

速さも、重さも、互角だった。

どちらも、一歩も引かない。


「……はは」


 打ち合いの最中、カインが笑う。


「やはりな。いい腕をしているな」


 剣を弾き、距離を取る。


「だが、軽い」


 視線が、鋭く細まった。


「お前の母も、何も成し得なかった」


 その名を出した瞬間、ルークの剣が、ほんの僅かに止まる。

 カインは見逃さなかった。


「皇国の影。使われて、捨てられた女」


 断定する声。


「結局、何も残せなかった」


 一歩、踏み込む。


「お前も同じだ」


 剣先が、ルークの喉元を掠める。


「……だから」


 カインは、確信を込めて言った。


「お前は、何も守れない」


 その一言が、落ちた。

 空気が、静止する。

だが――、ルークは怒らなかった。

剣を強く握り直すことも、歯を食いしばることもない。

ただ、深く、息を吸った。

 ――違う。

否定の言葉は、怒りから出たものではなかった。

奪われた名も、踏みにじられた過去も、今、この瞬間には関係がない。

誰かに強いられたわけではない。

自分の意志で選び続けてきた場所だ。

 守ると決めたのは、支配することではない。

導くことでもない。

彼女が選んだ意思の、その先に立ち続けること。

だから――、もう迷いはなかった。

 

 次の瞬間。

ルークの剣が、初めて無駄のない軌道を描いた。

速さではない。

力でもない。

迷いが、消えた剣だった。

カインは、反応が遅れた。


(――なぜだ)


 刃を受け止めたはずなのに、身体が、わずかに流される。


「守れない、だと?」


 ルークの声が、背後から聞こえた。


「母は、自分の選択を貫いた」


 剣が、カインの構えを崩す。


「名を残さなくても、意味を残した」


 一歩。


「俺は――」


 もう一歩。


「奪わない。決めつけない」


 最後の踏み込み。


「彼女の選んだものを、ありのまま受け入れる」


 金属音。

 カインの剣が、石床に転がった。

遅れて、膝が崩れる。


「……なぜだ……」


 呆然と呟く。


「俺の方が……、正しかったはずだ……」


 ルークは、剣を振り上げなかった。

ただ、静かに告げる。


「お前が守ろうとしたものは虚栄だ」


 カインの瞳が、揺れる。


「……違う……、俺は……」


「――違わない」


 初めて、はっきりと遮った。


「お前は」


 一拍。


「何も見えてなかった」


 沈黙。

 夜明けの光が、二人を照らし始める。

カインは、力なく笑った。


「……なるほど……」


 呟く。


「だから……、折れなかったのか……」


 ルークは、答えなかった。

剣を収め、背を向ける。

もう、勝敗は決している。


 彼女はすべてを聞いていた。

カインの声。

嘲るような断定。

そして――ルークの沈黙。


(……違う)


 叫びたかった。

何も守れない?


 違う。

 思い返せば、最初から――。

 政治に口を出すことを許されなかった時。

 婚姻という選択を迫られた時。

 恐怖に囚われ、立てなくなった夜。

 いつも、彼は決めつけなかった。

押しつけなかった。

ただ、「選ぶのはあなたです」と、そこに立ってくれていた。


(……守って、くれていた)


 奪わず、閉じ込めず、前に立ちすぎず。

それは、力で守るよりも、ずっと難しいことだったのに。

 剣が落ちる音が響いた。

金属が石床を打ち、乾いた音を立てて転がる。

膝をついたカインの姿を、アリーシャは呆然と見つめた。――負けた。

けれど、それは力の差ではない。

(……ああ)


(だから、だったのですね)


 ルークが、急かさなかった理由。

 信じることを、強要しなかった理由。

 初めから――、彼は「わたくしの選択」を守ってくれていたのだ。

 夜明けの光が、ゆっくりと差し込む。

 その中で、カインは静かに崩れ落ちた。

 最後は怒りでも憎しみでもなく――理解できなかった男の哀れな姿だった。


 それを見届けた瞬間、アリーシャの足が動いた。


「――ルーク!」


 考えるより先に、駆け出していた。

 剣を収めたばかりの彼の胸へ、そのまま飛び込む。強く、しがみつくように。


「……っ……」


 堪えていたものが、一気に溢れた。

 涙が止まらない。


「ありがとう……」


 声が震える。


「守ってくださって……、ずっと……最初から……」


 ルークの腕が、驚いたように止まり――それから、ゆっくりと彼女を抱き返す。


「……アリーシャ」


 名を呼ぶ声は、これまでで一番、柔らかかった。

アリーシャは、顔を上げる。

涙に濡れたまま、それでも、はっきりと。


「わたくしは……」


 声が、うまく出なかった。

息が、浅くなる。


「あなたが……いなくなるかもしれないと……思っただけで……」


 指が、無意識に彼の衣を掴んでいた。


「怖くて……」


「何も……考えられなくて……」


 涙が、また溢れる。


「それでも……」


 必死に、顔を上げる。


「それでも、わたくは……」


 一度、深く息を吸う。


「あなたが、無二の存在だと……」


「生きて……ここにいてくださって……」


 言葉が、震える。


「……愛しております」


言葉が、詰まる。

それでも、逃げなかった。

ルークは、一瞬だけ目を見開き――それから、深く、息を吐いた。

そして、彼女の額に、そっと口付ける。


「……ありがとう」


 それ以上は、言わない。

 でも、抱きしめる腕に込められた力がすべてを語っていた。


夜が明ける。

 それは、誰かを支配する朝ではなく――選び続ける者のための、光明だった。


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