最終章-2 発起
午後、執務室で改めて報告がなされた。
「カイン・シュバルツは、あの後、邸へ戻っておりません」
宰相の声は低く、慎重だった。
「王都近辺での目撃もなく、行方をくらませています。
ただし……右派の一部貴族が、動いている形跡があります」
匿っているのか。
あるいは、利用しているのか。
どちらにせよ、所在は特定できていなかった。
「……あの男は、近いうちに決起するでしょう」
ルークの言葉に、誰も否定しなかった。
説得や和解の可能性は、誰も口にしなかった。
「これは反乱ではありません」
宰相が続ける。
「彼は、自分こそが正しいと信じているでしょう」
ルークは、黙って聞いていた。
それが、最も厄介だということを、誰よりも理解している。
*
話が一区切りついた後、宰相は一瞬、言葉を選ぶように視線を伏せた。
「……フロレンスのことですが」
あえて敬称を付けず、名前で切り出してきた。
ルークは、すぐには反応しなかった。
「彼女は……危険な女性ではありませんでした」
宰相は、淡々と続ける。
「堂々と意見を述べた。
権威や立場など、飛び越えて。
その存在は眩しすぎて……皇国にとって、都合の悪い存在でした」
当時の自分には、地位も、発言力もなかった。
庇いきれず、結果として彼女は、幼いルークを連れて国を去った。
「……今でも、後悔しています」
それは弁明ではなかった。
ただの、事実の提示だった。
ルークは、しばらく黙っていた。
宰相が自分に向ける視線が、他と違うことは感じていた。
過剰に口出しをせず、だが、常に一歩引いたところから見守るような態度。
何か理由があるのだろう、とは思っていた。
だが、それを確かめるつもりはなかった。
やがて、短く答える。
「……誇れる人でした」
それだけで、十分だった。
過去を責める必要はない。
彼はもう、進むべき道を知っている。
*
南部より、急報がもたらされたのは、夕刻を過ぎてからだった。
「……カイン・シュバルツが、兵を率いて立ちました」
報告を受け、執務室の空気が一瞬だけ張り詰める。
だが、アリーシャは取り乱さなかった。
静かに、深く息を吸う。
逃げ場は、もうない。
避けることも、先延ばしも、許されない。
「……規模は」
「正確な数は不明ですが、右派の私兵を中心に、相当数かと」
アリーシャは、短く頷いた。
視線を上げ、ルークを見る。そこに、迷いはなかった。
「王配殿下に命じます」
はっきりとした声。それは、妻としての言葉ではない。
「兵を率い、迎え撃ちなさい。
――この反乱を、ここで止めてください」
統治者としての、正式な命だった。
ルークは、即座に膝をつく。
「……御意に」
その返答に、感情はなかった。
だが、覚悟は揺るがない。
命令を下した後、アリーシャは一歩、彼に近づいた。
躊躇うことなく、腕を回す。
強くは抱きしめない。
ルークの胸に顔を埋め、そして、顔を上げる。
「必ず……わたくしの元へ、戻ってきてくださいね」
その言葉に、命令の響きはなかった。
帰る場所はここだと、伝えたかった。
ルークは、彼女の背に腕を回し、抱き止める。
「……必ず」
短い言葉。
だが、それで十分だった。
アリーシャは、微笑む。
覚悟を決めた顔をしていた。




