第七章-4 まだ語られぬもの
傷の手当てが終わる頃には、夜が更けていた。
休息のため、部屋にはしばらく、二人きりの時間が訪れていた。
ルークは椅子に腰掛け、包帯を巻かれた肩を動かさないようにしている。
顔色は少し悪いが、呼吸は落ち着いていた。
でも、怒りを抑えているのだろうか、視線を合わせない様にしていた。
アリーシャは、寝台の端に座ったまま、しばらく言葉を探していた。
(……聞きたい)
胸の奥に、確かにその思いはある。
――名無しのフロレンス。
カインが吐き捨てた、あの名。
なぜ、あれほどまでにルークの様子が変わったのか。なぜ、怒りを抑えきれなかったのか。
けれど――。
アリーシャは、唇を結び、視線を伏せた。
(……今じゃない)
自身のことはほとんど語らないルークではあったがそのことでルークへの信頼が無くなるわけではないことを、もう、アリーシャは知っている。
いつか、語る気になれば、話してくれればいい。
静寂の中で、ルークが先に息を吐く。
初めてアリーシャへと顔を向ける。
「……怖い思いをさせましたね」
それは、責めるでもなく、言い訳でもない、短い問いだった。
アリーシャは、ゆっくりと首を振る。
「……いいえ」
嘘ではなかった。
怖かったのは、連れ去られたことではない。
剣戟でもない。
カインに――尊厳を奪われていたかもしれない、ということだけだった。
言葉にできず、ただ、小さく息を吸う。
声がわずかに震えた。
「……助けに来てくれると、信じていました。」
理由も、感情の整理も、まだ追いついていない。
けれど、この一言だけは、確かだった。
「……っ――」
ルークは、何も答えなかった。
ただ、視線を落とし、しばらく黙っていた。
やがて、低く言う。
「……無事でよかった」
それ以上、言葉は続かなかった。
だが、その声には、飾りのない安堵が滲んでいた。
アリーシャは、そっと立ち上がる。
彼の隣に近づき、躊躇いながらも、包帯の巻かれた肩に触れない位置に手を置いた。
触れれば、痛むとわかっている。
それでも、ここに“いる”ことを伝えたかった。
――ルークは拒まなかった。
視線だけが、静かに交わる。
何も語られない。
過去も、名も、まだ明かされない。
それでも――。
(……この人は)
駆けつけてくれた。
命を懸けて、ここに来た。
それが、役目でも、義務でもないことを、アリーシャは感じ取っていた。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
(……嬉しい)
その感情に、名前をつける必要はなかった。
けれど、確かにそこにある。
アリーシャはルークの頭を胸に抱いた。
ルークの温もりを感じることが不思議なほど、自然に思えた。
――まだ語られぬものを胸に抱えたまま、二人は静かに朝を迎えていた。




