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第七章-3 ルークの動揺

カインは、アリーシャに覆い被さる。

熱を帯びた視線が、逃げ場を塞ぐように絡みついた。


――わかってしまった。


この男が、何をしようとしているのか。


かつて、触れ合うことの喜びを、


何度も感じた幸福感を、


知っているからこそ、それを踏みにじる形で、与えられるものを、受け入れることなどできない。


「…いや!いや!やめて!カイン兄様!」


必死に身を捩る。

縛られた腕が痛む。

だが、そんなことはどうでもよかった。

距離を取ろうとするたび、力はさらに強まる。


「恐れることはない」


低い声が、耳元に落ちる。


「あの男のことなど、すぐに忘れる」


伸ばされた手が頬に触れた瞬間、ぞっとするほどの確信が伝わった。

アリーシャは首を振り、必死に拒む。

だが、逃げ道はなかった。

ゆっくりと唇と唇が重なる。

きつく唇を閉じているが顎を掴まれ強引に口を開かされると、息を奪うような、逃げ場のない口付けが押し付けられる。


「んっっ!」


逃れようとしても、身体は思うように動かない。

恐怖と嫌悪が、胸の奥を締めつける。


「……っ」


声にならない息が漏れる。

ドレスが引き下げられ、肩に冷たい夜気が肌に触れた。

そのわずかな変化だけで、ここが安全ではないことを、はっきりと思い知らされる。


ようやく距離が離れたとき、視界が滲んでいた。

涙に濡れた瞳と、浅い呼吸。

震えが止まらない。

カインの視線に、歪んだ執着が宿るのがわかった。

その手が、さらに力を込めようとした――


その瞬間。


轟音とともに扉が破られた。

ルークが足でドアを蹴破り、木片が飛び散る。


「――アリーシャから手を離せ!」


 低く、鋭い声。


「……ルーク!」


 名を呼ぶ声が、震える。

涙が途端に溢れ出す。

剣を抜いたルークが、踏み込んできた。

背後には、ジークハルトとヴァンが付き従う。

その他の近衛兵たちは、カインの部下たちを相手に抗戦を交えているようだった。

 カインは、一瞬も動揺を見せなかった。


「……来たか」


 そう言って、ベッド横に立てかけた剣を抜く。

剣がぶつかり合った瞬間、金属音が石壁に反響した。カインの剣筋は、無駄がなく鋭い。

力任せではない。

相手の動きを見切り、最短距離で急所を狙う

――戦場で磨かれた技だ。

 だが、ルークも引かない。

 踏み込みは深く、呼吸は整っている。

感情に呑まれず、間合いを保ち、冷静に刃を重ねていく。


(……強い)


 カインは内心で舌打ちした。

新興貴族と侮っていたが、剣に迷いがない。


「さすがだな、ルーク」


 刃を受け流しながら、余裕を含んだ声で言う。


「新参者にしては、よく鍛えられている」


「無駄口を叩く余裕があるとは思わなかった」


 ルークは短く返す。


「あきらめて降参しろ」


「笑えないな……」


 一歩下がったところで、息を整えたカインは、口角を歪めた。


「――名無しのフロレンスの息子だろう、お前」


 その言葉は、刃よりも鋭く突き刺さった。

 ルークの呼吸が、わずかに乱れる。


「……何を、知っている」


「知っているとも」


 カインは愉しげに続ける。


「女傑のフロレンス。

男に媚を売ることもせず、気の強い女だったか。」


 肩をすくめる。


「名を消され、追い出された女だ。

いや、今では“名無し”だったか」


 その瞬間。

 ――ルークが大きく踏み込んだ。


「黙れ」


 低い声。

だが、そこにいつもの冷静さはなかった。

ルークは剣を振りかぶる。

しかし間合いを詰めすぎている。


(――しまった)


 自覚した時には遅かった。

カインの剣が、鋭く軌道を変える。

気づけば肩に鈍い衝撃を受けた。

肉を裂く感触と同時に、温かいものが流れ落ちる。


「……っ!」


 ルークの身体が、わずかに傾ぐ。


「はは……」


 カインは愉悦を隠さなかった。


「やはりだ。正論を振りかざす者ほど、崩れた時は弱い」


「……貴様……!」


 怒りで視界が揺れる。

だが、剣を握る手は、まだ離さない。


「母を誇りに思うのは結構だ」


 カインは言い放つ。


「だがな、ルーク。

皇国は、ああいう女を必要としない。

だから消された。それだけの話だ」


 その瞬間、別の剣が割り込んだ。


「そこまでだ、シュバルツ卿!」


 ジークハルトだった。

さらに数名の騎士が加わり、カインを包囲する。


「……潮時か」


 カインは舌打ちし、一歩退く。

  離れた場所で、アリーシャは、その光景を見ていた。

血が、床に落ちる。

それが、彼のものだと理解した瞬間、胸の奥が、ひどく冷たくなった。

ルークは肩を押さえながらも、前を見据えた。


「逃げるのか」


「今は退いてやろう」


 カインは微笑を残す。

視線が、一瞬だけ、奥へ向けられる。

――アリーシャのいる方向。


「覚えておけ、ルーク」


 カインは静かに告げた。


「名を奪われた者の息子が、この国の中心に立てると思うな」


 そう言い残し、闇へと消えた。

残されたのは、血の匂いと、重い沈黙。

ジークハルトが、ルークの肩を支える。


「無理をするな。傷が深い」


「……わかっている」


 だが、ルークの視線は、まだ動かなかった。

胸の奥で、燃え続けるものがあった。

 怒りではない。

 憎しみでもない。


 ――踏みにじられた、尊厳だった。


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