第六章-3 異変
夜。王城の庭は、ひっそりと月に照らされていた。
アンナはランプを手に、アリーシャを先導する。
その後ろを、エリアスが付き従う。
「……アンナ。こんな時間に、どうして庭へ?」
ディートリヒは気がかりがあると、近衛騎士団長のヴァンの元へと少し前に席を外していた。
また、ネリーも配膳を下げに行ったばかり。
エリアスとしては、戻ってくるのを待ってから移動したかったのが、本音であった。
「本当ですよ。アンナさん、いくら王城の中とはいえ、こんな時間に殿下を連れて行くのは、関心しませんよ。
後で、ディートさんに、俺が怒られますよ」
「すぐに終わります、姫様。
西のサムロール領について……急ぎ、お伝えしたいことがあるそうで」
アリーシャは、一瞬だけ足を止めた。
(サムロール領……?)
ルークが向かった先だ。
無関係ではない。
夜風が、ドレスの裾を揺らす。
「……わかりました」
そう答えた自分の声が、少しだけ低く響いた気がした。
ネリーは、その場にいない。
誰も、止めない。
アンナは、少しだけ安堵していた。
夜の庭は、静かすぎるほどだった。
噴水の水音だけが、月明かりの中で淡々と響いている。
アンナは、アリーシャを先導しながら、胸の奥に小さな違和感を覚えていた。
(……まだ、来ていない?)
サムロール領の話は急ぎだと言っていた。
それなのに、人影がない。
その時だった。
「――待っていたよ、アリーシャ」
闇の奥から、声がした。
アリーシャは息を呑む。
月明かりの下に現れたのは、カイン・シュバルツだった。
昼のサロンで見せた穏やかな表情のまま。
「カイン兄様…」
アンナは一歩前に出た。
「お話とは……サムロール領の件では?」
「そうだとも」
カインは、ゆっくりと頷いた。
「姫、こちらへおいで。」
その言葉に、アリーシャの背筋が冷える。
「……どうぞこのままお話しください!」
次の瞬間。背後で、布擦れの音がした。
「――っ!」
アリーシャが振り返ると、そこには複数の影が現れた。
咄嗟にエリアスは剣を抜き、アリーシャの前に出る。
「殿下、下がってください!」
「カイン様!何をなさるのです!」
アンナが声を上げる。
カインはエリアスに向かって剣を振り上げる。
エリアスは鍔で受けるが、力で押し負け、バランスを崩したところで一撃を食らってしまう。
咄嗟に受け流すも、大腿に深手を負い、地に倒れてしまう。
「ぐっ!!」
エリアスは歯を食いしばり、痛みに耐えようとするが、意識を保つので精一杯だった。
「迎えに来ただけだ」
うずくまるエリアスには一瞥もくれず、カインはアリーシャに近づく。
「くっ!殿下!お逃げください…!」
逃げたくても、恐怖で足が思うように動かない。
そうしてカインはアリーシャの腕をつかみ引き寄せた。
「いや!兄さま、放してください!」
カインの胸に抱き留められ、口元に布が押し当てられる。
(……甘い、匂い……!)
抵抗する間もなく、力が抜け、意識が遠のいていく。
「やめてください!これは……、こんなことは――!」
アンナは、カインの前に駆け寄った。
「カイン様!姫様は………!」
カインは、初めてアンナを見た。
その視線は、穏やかで、優しかった。
「アンナ」
名を呼ばれ、胸が跳ねる。
「今まで、協力ありがとう」
アンナは、理解した。
(……あ)
サムロール領の話。
急ぎの用件。
夜の庭園。
――すべて、最初から、用意されていた。
「これからも、よろしく頼むよ」
微笑みながら、そう言った。
「――いや……」
アンナは後ずさる。
「わたしは……なんてことを……!」
言い終わる前に、腕を掴まれた。
「放して!放してください!」
だが、抵抗は虚しく、アンナもまた、闇へと引きずられていく。
(……わたしは……)
少しでも役に立てたらと、そう思っていただけなのに。
――違った。
自分は、最初から最後まで、利用されていただけだったのだ。
*
少し離れた場所で。
ネリーは、胸騒ぎを覚えてアリーシャを探していた。
居室にも執務室にもいない、思い当たるところは全て見て回った。
まさかと思い、庭園へ向かう。
月明かりの下。
噴水のそばに、大腿から血を流して倒れるエリアス。そして、そばに落ちていたのは――
アリーシャの肩掛けだった。
ネリーは、それを拾い上げた瞬間、理解した。
(……連れ去られた!)
迷いはなかった。
「近衛兵!王妃殿下と、侍女が行方不明です!」
声が、夜を切り裂く。
同時に、ルークの元へ早馬を飛ばした。
――アリーシャとアンナが消息を絶ったことを。




